第4話 真相の輪郭
明転まで 7分
音を三つに絞る。
呼吸。金属。液体。
非常灯の細い帯が廊下を一本だけ撫で、色を置いていかない。瑞希は工事用通路の奥で膝をつき、ケーブルピットの格子に指をかけた。南京錠。鷹取 仁が工具で静かにピンを抜く。金属の鳴きは一度だけ。
格子を内へ。冷たい空気が持ち上がる。
明転まで 6分30秒
箱が二つ。どちらも配電ユニットの擬装。
一つは封が切れている。甘い油の匂いが薄く立つ。蓋を外すと、上段はダミー基板、下段に匂い袋と透明管。香料混合のオイルが暗転の間だけ放たれ、群衆の流れを細い導線へ押すための刃。
「匂い系、一系統目」鷹取が囁く。
瑞希はニトリル手袋を確かめ、クランプで管を噛む。息を殺し、逆止弁を塞ぐ。油の音が細り、匂いが薄くなる。
ルミの声が回線の底から届く。「西の導線、ざわめきが一段下がった。効いてる」
明転まで 5分40秒
二つ目は封が生きている。ネジ角が擦れていない。蓋の封印シールは本物ではない光り方——偽物だ。
箱の側面に指の痕。薄い煤がTO-SHINの形を作る。名借りの署名。
「未起動の箱」瑞希。「二筆目が灯心に見せかけた」
鷹取が短く頷く。瑞希は蓋を順番に外し、袋のクランプを先に閉めてから管を抜く。起動させないまま無力化。封印シールに別の細いテープを被せ、元の景色に戻す。
明転まで 4分50秒
格子の下に目を落とす。黒い井戸。母線が鈍く沈み、影が一か所だけ厚い。
——本命。短絡で黒を作る装置だ。
瑞希はフックを落とす。金属の輪が暗闇の奥で何かを捉える。重い。
「引き上げる。磁石に木片を噛ませる」
鷹取が補助の力を入れる。二人の腕に同じ張力が走り、箱が格子の縁まで顔を出す。擬装は配電ユニット。その裏に導通板、熱を食うジェル、強磁。
明転まで 4分
瑞希は静電を逃がし、端子を寝かせ、一本ずつ配線を抜いていく。間違えると逆火が走る。
カチ。カチ。
呼吸。金属。液体。三つの音だけが残る。
——雨上がりの市場。
祐子は段ボールを二つ重ね、そこをベンチに決め、「ここが一番、風の音がいい」と笑った。
アルコールランプの芯火を細く調整して、「火は怖くない。芯を合わせれば言うことを聞く」
Rの脚だけ内側に返し、「ここ、帰り道ね」とサインをする。
気まぐれ天使は、即興で世界の音と帰路を整える。
——指先の記憶が戻り、今の金属も言うことを聞く。
明転まで 3分10秒
「——死んだ」鷹取が低く言う。板の導通が切れた。磁石に木片を噛ませ、効きを殺す。母線に貼り付かない。
瑞希は蓋を外し、内部の順序を書き留める。報告書の骨は現場で作る。
ルミ:「上が簡略を開けろって声を上げ始めた。小春が定義で押し返し中。あと二分は稼げる」
「二分で十分」瑞希は短く返す。
明転まで 2分20秒
匂い系二系統目の箱に、薄いメモが貼ってある。消防法の条文の引用、事務語の言い回し。内側の手の癖。
「内側で外側を殴る文」瑞希。
鷹取は鼻で笑う。「定義で現場を縛る手」
瑞希は袋の管を抜き、逆止を塞ぐ。甘さがさらに薄くなる。
明転まで 1分30秒
格子を戻す段取りに入る。南京錠の代わりに結束で仮止め。完璧ではないが、今はそれで足りる。
瑞希は白いカード(さっきの招待状)を布の内側で擦り、炙らないまま温めた。黒がわずかに薄くなる角。
——地図を隠す癖。灯心は署名しない。二筆目は見せたがる。
明転まで 1分
ルミ:「群衆の波形、戻り始め。非常灯に人が寄ってる。いい流れ」
鷹取が肩で頷く。「怒鳴り声は俺が受ける。お前は動線だけ見ろ」
瑞希は真鍮を胸に戻す。角の擦れが、HAPPY BIRTHDAYのざらつきで指に残る。
——「朝が来る準備だけしとこ」
祐子の笑い声が、暗闇の底で小さく跳ねた。
明転まで 30秒
影が増えも減りもしない。匂いはほぼ消えた。短絡は殺した。瑞希は工具をまとめ、床の微小な傷に布を一枚置く。痕跡を増やさないための、嘘ひとつ。
明転まで 10秒
鷹取が格子を閉める。二度、静かな音。
瑞希は回線に短く囁いた。「ルミ、中心は片付いた」
ルミ:「了解。小春が上を抑えてるけど、私服が市場側で動いてる。——二筆目ね」
明転
光が戻る。歓声が遅れてやって来る。演出の光だ。
通信はまだ生きている——少なくとも、この瞬間までは。
瑞希は立ち上がり、工事用通路を出た。匂いは消え、黒は落ちない。数字では測れない安堵が、薄く喉を通る。
鷹取が肩を鳴らす。「終わったか」
「一段目は」瑞希は答え、耳を澄ました。
回線の縁に、微かなノイズ。息の粒が一つだけ混ざっている。
聞いている。
次は向こうの手だ。
瑞希は真鍮の蓋を撫で、工具袋を肩にかけた。
——明かりは戻った。通信は、その三十秒後に死ぬ。
それが二次仕掛けだと、このときの瑞希はまだ知らない。