第19話 精神汚染された魔物
「あれがノルンちゃんの言ってた魔物?」
「うん。そうだよ。わたしが見たのはあの子」
僕が聞くとノルンちゃんはうなずいた。
先ほど、彼女を弟子に取ってまで聞き出した魔物は、どうやらその場だけの嘘ではなく、教えてもらった通りの場所にいた。
銀色の体毛を持った、体高、二、三メートルほどの巨大なオオカミだ。
うつろな顔をしているが、青い瞳は接近してきた僕たちの方を向けている。
もっとも、僕ではない何かを見ているような、そんな焦点の合っていない違和感はある。だが、近寄るまで全く気にした様子もなかったのに、今ではこうして顔だけでも向けているということから、僕たちを捉えていることは確実だろう。
「この森って、あんな化け物が当たり前みたいにいるところなの?」
ノルンちゃんは、様子がおかしいと言っていただけで、見たことがないとは言っていなかった。それに今も、怯えているようには見えない。つないだ手が震えているということもない。
「うーん。当たり前じゃないけど、いることはおかしくないかな」
「なるほど」
どうやら、初戦闘がヤギだったこともあって、この場所を少し舐めていたのかもしれない。
僕が小さい頃なんかはさして危険だった記憶はないけれど、それはやはり、親が安全を確保してくれていたからだろう。そうでなくても、もうすでに僕の暮らしていた村がなくなっていることを思えば、安穏とした平和な地域ではないことくらいわかるはずだ。
「よし。わかった。ノルンちゃん、流石にちょっと下がってて」
「でも」
「大丈夫。ノルンちゃんには危険が及ばないようにするからさ」
「そうじゃなくって。お姉ちゃん、あのオオカミさんを退治するの?」
不安そうに聞いてくるノルンちゃんに僕の方がギョッとさせられた。
「どうしてそう思うの?」
「昨日はそうしてたから」
見せないようにしたつもりだが、バレていたらしい。
「昨日の魔物は知らないけど、あの子は多分、村には一度も悪いことしてないの。退治したらかわいそうだよ」
「かわいそう、か」
たしかにそうかもしれない。
様子がおかしいというのも、見ればわかるおかしさだ。それだけじゃない。あれは、誰かに精神系魔法で精神を汚染させられている。
となると、どちらかと言えば被害者だ。同情し助けることはあっても、忌避し討伐するような相手じゃない。それに、村に害をなしていないというノルンちゃんの言葉が本当なら、退治することで魔物間のパワーバランスが崩れ、村に危険が及ぶかもしれない。
「……あれもまた、村の守り神ってところか」
「何?」
「いいや。大丈夫。退治はしない。これからやるのは治療ってところかな」
「お医者さん? そういえばお姉ちゃん、色々持ってたもんね!」
「ん? 色々……ああ……」
ノルンちゃんは、僕が斜めに下げた小物入れを期待の表情で見つめ出した。
おそらく彼女は、ポーションもどきのことを言っているのだろう。だが、そう都合よく僕が持っているはずもない。
そもそも売り物なのだし、自分用に必要のないものだから、持ち歩こうという発想自体なかった。
なら何を持っているのかと聞かれれば、魔物討伐用のナイフや草採取用の袋だ。
「今回は何を見せてくれるのかな?」
さて、好奇心旺盛なこの子を前にどうやって誤魔化そうか。
「さて、弟子のノルンちゃん。ノルンちゃんも知っての通り、魔法使いにとって道具をうまく操れることは重要だ。けれどもそれは、場面や状況によるんだよ」
「お師匠様、場面や状況によるってどういうこと?」
「こほん。つまりね。自分の力で解決できることなら、道具に頼らず自分で解決できるようにしろってことさ」
それだけ言ってから、僕はノルンちゃんに背を向けた。
これで何も使わなくても怪しまれることはないだろう。
改めて、オオカミを確認する。
二、三メートルのオオカミは確かにデカいが、サイズからして、ノルンちゃんに害をなすような魔法を使う必要はない。
距離感から考えても、ノルンちゃんの場所まで届かないよう調整できるだろう。見たところ、オオカミにかかっている魔法もそこまで重篤なものじゃない。
「さあ、思う存分戦いな!」
僕はオオカミめがけて走り出した。
魔法使いが杖も持たずに走り出したことに、ノルンちゃんは驚愕で声も出ないらしい。
ただ、野生のオオカミは、そんな甘い行動を見逃してくれるはずもなかった。
武闘派じゃない僕のスキだらけの胴体に、大口を開け、ガブリと噛みついてくる。
「え……?」
驚きの声はおそらくノルンちゃんのものだろう。
その間も、オオカミは一心不乱に僕の肉体をぐちゃぐちゃの液状にするために、跡形もなく飲み込むために、まるで食べ物を咀嚼するように、ガブガブガブガブガブガブと、歯と歯をぶつけて噛みついている。
オオカミはそんな幻想を見ていることだろう。
「さあて。スキができた」
僕が使ったのは幻覚魔法。
精神系魔法の重ねがけはあまり褒められたことではないが、この場合、これが僕の取れる一番スマートな方法だ。
死にたくなるほど苦しめて殺すのではなく、キレイさっぱり治してあげるなら、敵意を別へ向けさせたかった。
「チェック」
僕はそこでオオカミの体毛を撫でる。
状況把握は完了。やはり、精神汚染の類。思ったとおりそれほどのものではないし、僕の魔法で相殺しておけば大丈夫だろう。
いつも使う魔法と違うため、少し意識を集中させて、僕はオオカミの肉体全体を包み込むような光を放った。
オオカミも、そこでようやく見ているものが無だと気づき、一度動きを止めた。そして、光を放つ僕の方へと向き直りかけて、再度、その動きを止める。
瞬く間にその顔はおそらく正常なものへと戻り、目には正気が宿り、僕のことを真っ直ぐ見据えられるようになった。
そこまで確認して、僕はオオカミから手を離した。
「さ、これでおしまいだから、できれば森に帰ってくれると嬉しいな」
見下ろすようなオオカミに対し、できるだけ自然にそう言った。加えて、腕を広げ、敵意がないことを示す。
じっと押し黙るオオカミは、そんな僕を見てどう思ったのか、突然僕に対して飛びかかり大きく口を開くとそのまま顔を舐め回してきた!
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