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第九話

 兼親から呼び出された。夕食を摂り終え食休み中の事だった。スマホを弄っているとLINEに通知がひとつ。開いてみれば兼親から少し話をしたい。とメッセージが来ていた。盆も終わり恐らく仕事終わりなのだろう。母に出てくるとだけ告げて家を出た。兼親の家に向かえば縁側で缶ビール片手も作業着姿の兼親が一人座り込んでいた。挨拶をして隣に座ると、しばらくコオロギの鳴き声だけが響いていた。


「……あのさあ、立ち入った事聞いてもいいか」

「何」

「前鬱病って聞いたけれど……本当にそれだけ?」

「あー……鬱病だけって言うのは正しくないか。鬱病は二次障害で、本当は発達障害」

「発達障害?」

「自閉スペクトラムって言うのなんだけど、最近分かったんだよね」

「自閉症って事?」

「大人になるまで気が付かなかったから、兼親が想像してるテンプレよりは軽いだろうけど」


 結構しんどいんだよね。とぽつりと溢す。発達障害によってどれだけ努力して仕事を覚えようにも時間がかかる。自分で解決すべきだと周りに何度も教えられた事も聞けず、結局仕事が長続きしない事が多かった。それによって主治医から検査をしようと言われ、最近分かった事だった。


 はたから見れば努力していないと見る人間の方が多いだろうが、努力をした事が無い人間なぞこの世には居ないだろう。努力しても普通の人間の水準まで辿り着くのが困難なのだ。どう頑張っても頭に靄がかかっている。会話も身内や馴染みの友人以外とはうまくかわせず、仕事も覚えられず何度も失敗し、中には自殺まで実行する当事者は多い。私も未遂をしたが、主治医からは発達障害の想定外の出来事が起こった際に感情が処理できず、突発的に起こしてしまったものだろうと言われた。


 感情のキャパシティから溢れて処理できない場合の多い発達障害は、極端な思考に向いてしまう事が多いのだと言う。


 言葉をゆっくりと選びながら話せば、兼親は黙って聞いていてくれた。


「最初に鬱になった原因って何だったの」

「ありふれてるけど学生時代のいじめ……と不審者に痴漢されて家出るの怖くなってからかな」

「……苦労してんなあ」


 俺には理解に及ばぬ事もあるが、大変な思いしてる事は分かった。と兼親が空を見上げた。


「お悩み相談してくか? 康之くんのこと」

「あいつも悩みの種だがまだ言うべき事じゃ無いかな」

「そうかい」

「今日何で呼んだの?」

「ああ、休みに鮎釣りでも誘おうかと思ってさ。ウェーダーの試着たのんます」

「ウェーダーって何?」

「サロペットってわかるだろ?」

「あーはいはい。防水の長靴とズボン一体型のやつみたいなのね」


 ウェーダーとは防水の腹や胸まである胴長の事らしい。先程は気が付かなかったが縁側に用意してあった様でそれを渡されてスキニーの上から着てみる。サイズは大丈夫だと伝え柑南用にも何か買うべきかと問われる。


「柑南のサイズ近場であるの?」

「怪しいと思う」

「水着着せて康之に見張ってもらっておくか」

「……康之くん悩みの種らしいけど、いいのか?」

「使えるもんは使っとかんとね」


 答えはまだ出る筈も無い。確定事項では無いのだからそれまでは康之の吐露は見ないふりを貫く事にしている。そもそも家の中で無視を続けていれば母に何かあったのかと疑問視される。母にダメージが行く事はどうしても避けておきたい。柑南が何処ぞの行きずりの男の子供である事を私はまだ願っている。徒労になるとしても。弟に手を出す様な変態だった姉でも、母には話したくない。母が一番傷付く筈だからだ。


 はあ、とため息を吐く。縁側から夜空を見上げるが今日は曇っていて星も月も見えやしない。


「多分さあ。愚痴る事になるとは思うんだけど、その時また聞いてくれる?」

「幾らでも」

「なんて良い幼馴染なんだろうか」

「忘れてた癖によく言うよ」


 ふふ、と小さく笑うが、正直空元気だ。結果なんて知りたくもない。分かる前に死んでしまおうかと思いもしたが、母と柑南の存在だけが今の生を繋ぎ止めている。あの人達は被害者だ。私の様な外野とは違うのだ。未だに泣けないでいる自分が何故か恥ずかしいと感じた。


「今度の休みの鮎釣り、楽しみにしておくね」

「そうしてくれよ」

「そろそろ戻るね。おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 兼親に別れを告げて家に向かうと、外で伯父が煙草を吸っていた。一本頂戴とせびるとライターと共に渡された。


「黄朽葉さんち行ってたのか」

「そう、今度釣り連れてってくれるって」

「そりゃ良い」


 玄関の軒先で煙草に火を付けた。吸い込んでみるが自分の吸う銘柄よりも重い。あまり吸いすぎると吐いてしまうかもしれないと小さく吸ってゆく。気分がダウナーになりながら、兼親と話していた内容を思い出しついぽろりと伯父に溢した。


「なんかさー、自分の存在意義が分からんのですのよね〜。生きている意味あるのかなーとか」


 ぽつりと呟くと伯父は鼻で笑う。


「そんな事ばかり考えているから治らないんだ」


 その言葉に少しばかり苛ついて反論する。こちらに寄り添う気がない人間に何を言った所で無駄だとは理解しているが、それでも腹立ちが勝った。


「こんな事考えるからじゃなくて、こんな事しか考えられなくなる病気なんすよね〜。相変わらずデリカシー無いね。あんたみたいなのが親じゃなくて良かったわ。多分不理解理由にもうこの世にはおりませんわあ」


 けっ、と嫌味ったらしく悪態を付くと伯父は何も言わずに家の中に入って行った。堅物だし、結婚してから性格が変わったと母からは聞いていたので、伯母からしたら詐欺なのでは? と思わなくはない。私は伯父とは反りが合わないし、伯父の子供勢も昔は伯父を嫌っていたらしい。伯父がそれを知っているかは知らないが、葬式の集まりで従兄弟達が言っていたのを思い出す。


 大人気ない事を言ったとは思えど謝る気は早々無かった。煙草を吸い終えて家の中に入ると風呂上がりらしい柑南が居間から顔を覗かせた。


「ときわおばちゃん何処行ってたの?」

「兼親んち」

「なんか用あったの?」

「今度鮎釣り行こうってさ」

「釣り!?」

「康之と四人で行こうね」


 康之の件に関してはもう思考停止で行く事にすると決めた。ゲームでもしよか。と誘うと柑南は部屋へと携帯ゲーム機を取りに行った。居間では祖母と伯母と母がテレビに向かっていた。旅番組らしくグルメ旅をしているテレビ番組だ。


「おじちゃんはー?」

「お風呂だよ〜」


 先程八つ当たりした事が若干気まずかった事もあり居間に居ない事に安堵した。柑南が自分の物と私の携帯ゲーム機を持って来た。それを受け取り起動してから柑南と勝負をしていた。二人で仏間の方で行儀悪く寝っ転がりながらゲームをしていれば伯父が風呂から上がって来た。伯父の顔なんぞ今は見たくないと無視をしていると伯父は二階に引っ込んで行った。


 ……言い過ぎだったから謝っておくか。と考える。まだ滞在するのにぎすぎすしても堪らん、と一度ゲームを止めて二階の伯父の部屋へと向かった。正直伯父との交流は今までさして多くは無いのだ。関東の実家に居る頃、伯母から近況を聞くことはあったが直接話す事は少なかった。会ったのも姉がまだ実家に居た十年以上前だ。当時従兄弟を連れて泊まりに来て、姉と共に道案内をしたのを覚えている。確か姉と伯父二人と逸れて私と従兄弟達とでそれぞれ別々に案内した筈だ。お詫びとして姉の気に入っていたお菓子を買ってきてもらったのを覚えている。


 だがやはりどうにも気に食わない。この思いの根底にあるのは病気への不理解だと分かっているのだ。分かろうともしない伯父を軽蔑さえする。しかしながら自分はこうだからお前は理解しろなどと言うのは押し付けがましい事この上ない。伯父は古い価値観の持ち主だ。伯母も気難しいと言っているしやはり結婚詐欺では? と伯母が聖人に思える時もあった。


 なんかどっちもどっちな気がしてきたな。と思いつつ伯父の部屋の戸を叩いた。何ー。と声が聞こえて襖を開けた。


「あの……さっきはごめん。言い過ぎた」

「……別に。お前にも事情があるだろうし」

「別に分からなくても良いんだけれど、聞いてほしい」

「なんだ」

「本当は、死にたくなんかないんだよね。でも病気が原因でそう言う思考に無理矢理向かわせられちゃうって事は分かって。もう治る事ほぼ無理だろうから、……正直おじちゃんとは分かり合えないと思っているし、無理に全部理解してとは言わないから、否定だけはやめてほしい」


 それだけ、と言って戸を閉じた。伯父からは答えは返ってこなかったが、別に言い逃げでもいいかと下の階に戻った。

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