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第三話

 翌日、母と伯父、柑南と共に遠野病院に訪れた。伯父に引き取りの手続きを任せ、伯父を抜いた三人で昨日訪れた安置所に案内される。布を取り、姉の顔を見た母は泣き崩れてしまった。柑南は、少しばかり鼻を啜りながらも俯いたまま姉の顔を見ようとはしなかった。見れば、私の母と同じ様に泣き崩れてしまうと思ったのか。それとももう泣き疲れてしまい泣くのが苦痛になってしまったのか。


 姉の顔を見た私の目には涙は灯らない。姉を失くした事には拭えぬ程の悲しみがあるのに、どうしたって、幾ら感傷に耽ろうとも涙は出なかった。


 どれほどそうして居ただろう。伯父が安置所に入ってきた。


「手続きは済ませたから、後で葬儀の人が来るそうだ」

「ありがとうおじちゃん」

「……ちあき、本当に亡くなってしまったんだな」

「……うん」


 あんなに、小さく、て、可愛かったのにな……、と伯父が泣き崩れる母を見ながら涙を流していた。姪が亡くなったのだ。最もな反応だ。伯父は厳格と言う言葉が似合う人間だった。だからこそこの光景が本当に現実なのかと自分の頭を疑った。私以外の皆が悲しんでいる。なのに私は泣けない。靴に入った小石の存在の方に意識が向かう。薄情な人間だと思う。それが自分の異質さ、ここに居る意味を疑わせる。


 悲しみ方は人それぞれとは言ったものだ。泣き喚き当たり散らす人もいれば、私のように胸には何かつっかえているのに泣く事も出来ない人間も居る。何を言われようとも受け入れるつもりだったが、誰も何も言わなかった。


 病院を出て上郷へと向かった。柑南に案内を頼みながらたどり着いたのは平家の一軒家だった。祖母の家よりは古くは無さそうだが、それなりに時を感じる。庭には花々が咲き乱れている。薔薇だったり、祖母の家にもある百日紅だったり、これは姉が世話をして居たのだろう。


 柑南が鍵を取り出し玄関を開ける。そこまで広い家では無いが、親子二人で暮らすには充分な大きさの家だ。警察が立ち入ったのだろう事もあり、少々荒れてはいたが生活痕が見て取れる。鍋に入っていたであろう味噌汁から異臭がし、母が庭にあったコンポストへ捨てに行った。伯父は庭に面していた窓を開け放ち換気をする。徐々に臭いは薄れていった。


 部屋を見回し、棚の一角に小さな小物と並ぶ懐かしい人形を見つけた。昔姉とごっこ遊びで遊んでいた人形だ。何という名前だったか。人形の腕を弄りながら物持ちが良いものだと思いつつ、柑南と伯父の話に意識を移す。


「柑南くん、しばらくは大伯父ちゃんたちと暮らそう。何か必要なものがあったら持ってきなさい。段ボールに入れて持っていこう」

「はい」

「葬式が終わったら、……この家とお別れしなきゃいけないが、大丈夫か」

「はい」

「姉ちゃんの写真ってある? アルバムとか、スマホとかに」

「アルバムならここにあるよ」


 柑南はリビングに設置されていた本棚から一冊のアルバムを取り出した。しゃがみ込み受け取り、アルバムを開く。まだ赤子だった時だろう柑南と柑南を抱いて笑う、あの安置所に居た姉よりも少しばかり年若い姉の笑顔が写っていた。


 ぺらぺらとアルバムを捲っていけば、柑南の成長が見て取れる。柑南が多かったが、共に写真に映る姉も少なからず居た。


 姉は、この柑南を抱いた姉の笑顔は本物だっただろう。愛おしげに柑南抱き上げ、柑南を撮ってきたのだろう。自分の知らない姉が、ここに居る。


 この十年の姉を遅れながら、私は知っていく。保育園のお遊戯会の写真。海に行ったであろう写真。誕生日に撮ったであろうケーキに向かう姉の写真。たった十数分で私は姉の十年を見終えてしまった。私は姉には選ばれなかった。十年の時を過ごす事を許されたのは、この柑南だった。それに、少しだけ憎らしい気持ちになった。ぐ、と口を結ぶ。甥に憎らしいと思うなど、まるで子供の癇癪も良いところだ。柑南よりも今だけは幼くなった気分だった。


「姉ちゃん優しかっただろ」

「……うん」

「…………私の、姉ちゃんだからなあ……」


 アルバムを閉じて視線を外す。柑南にとって母であった姉。憎らしいなんて、私の姉だからなんて、大人気ないその言葉が出た事に、子供相手に嫉妬をしている事に目を伏せた。涙は出ては来なかったが、目を伏せながら写真の中の姉は私をどう思っていたのかと、私は姉をどう思っていたのかと形容し難い思いを抱く。嫉妬の他に疑問が湧き起こっていた。


「柑南はどのお母さんが好き?」

「この写真が好き」


 しばらく考え込んだ後、再びアルバムを開き柑南に問うと、ページを横から捲り指差した写真。


「桜が綺麗だし、お母さんも笑ってて好き」

「そっか」


 す、と写真をアルバムから抜き取る。恐らく柑南が撮った写真なのだろう。桜が舞い散る中佇む笑顔の姉。写真の裏を見れば三年前の春。


「これを遺影にしよう。綺麗な写真だ」

「うん。おれが撮ったんだよ」

「カメラマンになれるよ。良い写真」


 柑南へ笑顔を作り、頭を撫でる。一瞬びくりと跳ねた様だが、何も言わずに受け入れてくれた。家の整理は後日に回そうと伯父に言われ、柑南の必要なもの、服や下着や携帯ゲーム機などを段ボールに詰め込んで車に乗せる。家に帰り着くまで、車内は静まり返っていた。外の景色が段々人工物が加わっていく事に、自然よりもこちらの方が馴染むな。と姉の事から一時だけでも逃れるため現実逃避をしていた。


 家に着いてからは空いている部屋に柑南の荷物を置き、休憩しようと居間に集まった。大人陣にはアイスコーヒーと、柑南にはオレンジジュースを用意する。台所から戻れば柑南は茶菓子を食べていた。母と伯父は話し合いをしている。


「葬儀の打ち合わせもそのうち来るだろうから、ときわは柑南と居てやれ。納棺が済んだらしばらく忙しくなると思う」

「うん」

「今回は身内で済まそう。寺も家の墓がある寺の坊さんに頼む。俺は死亡届今から出してくる。喪主も俺がやろう」

「ごめん兄さん」

「仕方ない。ときわコーヒーありがとう。行ってくる」

「うん、行ってらっしゃい」


 伯父はアイスコーヒーを飲み干すと席を立つ。母と祖母はやはり沈んでいる。柑南はどうだろうとちらと見ると、落ち着いている様だ。しかし鳥人の顔の表情の変化など分からぬので悲しんでいるのかどうなのかはさっぱりである。


「ちょっと煙草吸ってくる」

「おれも行っていい?」

「え?」


 柑南は茶菓子を詰め込みながら玄関へと向かう。それに私は後を追う様に外へと出た。玄関横に置いてある低めの脚立に腰掛けた柑南を横目に私は煙草に火をつけた。ふう、と紫煙が舞う。空は雲一つない夏空だ。


「煙草って美味しいの?」

「うーん、まずい基本。たまに一瞬美味いかもって思う事があるけれども」

「何で吸ってるの?」

「格好付けたいから」


 雑な理由を述べながら、今まであまり喋らなかった柑南が口を開く事に意外と感じる。害意のない人間と判定されたのだろうか。元々の柑南はどんな子なのだろう。


「柑南、お隣さん獣人居るんだよ」

「そうなの?」

「話合うんじゃないかな。その獣人の人のお兄さん今は居ないらしいけれど、お兄さんは鳥人なんだって」

「おれ、自分以外の鳥人に会った事ない」

「運良く来てくれたら良いんだけどね。お盆も近いし」


 煙草を吸いながら、さっぱり記憶の中に存在しない兼親の兄を思う。コンゴウインコの鳥人ならばさぞ派手な鳥人なのだろう。と。


「そういや兼親とLINE交換したんだったな……」

「かねちか?」

「獣人の人だよ」


 スキニーパンツのポケットからスマホを取り出し、姉に子供がおり引き取った事、夜にでも家の庭で話さないかとメッセージを送る。仕事中であろうし返事はしばらく来ないだろうとポケットにスマホをしまう。


「会えたら会おうよ」

「うん」


 家の日陰部分に入っているとは言え夏真っ盛りだ。あまり外に長居するべきではないな。と柑南に中に入ろうと告げる。柑南は頷き共に家の中に入った。


 その後葬儀社の職員が家を訪ねて来た。母が対応していたが、途中父が家へと辿り着いたらしく、スーツの上着を脱ぎキャリーバッグを引きながら大粒の汗を垂らしてやって来た。少し額が広くはなったが柔和な顔付きの父。怯えられる事は無いだろうと、柑南におじいちゃんだよ。と言えば、初めまして、と礼儀正しく挨拶を交わしていた。父は苦い表情を浮かべたが、それは一瞬で掻き消え笑顔へと変わる。行方不明の子供に孫である子供が居たのだから驚きはするだろう。弟は火葬までには間に合うのだろうか。


 葬儀社との話し合いに父も加わり、大方纏まったのは夕暮れ時だった。叔母が帰ってきて母と共に夕食の準備をしている。二人の間で何か会話が交わされるだろうと台所には立ち入らず柑南と共にゲームをしていた。すると置いてあったスマホから軽快な音が鳴り通知を伝える。兼親からだった。


 夕食が終わったら会おうと送り、夕食を摂った後、柑南と共に外に出てしばらくゲームの話をしていれば兼親がやって来た。


「こんばんは、兼親」

「おう」

「この子、甥の柑南」

「こんばんは」

「おー、おばんです」


 兼親を見る柑南は少しばかりそわそわとしている様に感じられた。獣人と会うのは初めてなのだろう。


「俺、黒豹の獣人なんだ。柑南くんは?」

「鷹……」

「かっこいいじゃん。飛べんのか?」

「一応飛べるよ」

「へえ〜。俺の兄貴は飛べるけど疲れるからって普段飛んでくれないんだよな。あ、俺兄貴鳥人なんだけど」

「コンゴウインコだっけ?」

「そう、めちゃくちゃ派手」


 まあ中身も派手なんだけど。と兼親が恐らく笑顔で告げる。姉の話題に触れない配慮を感じた。


「今年の盆は帰ってくるかもしれねえつってたから、そしたら会おうよ柑南」

「うん」

「あ、これ持って来たんだけど、やる?」


 兼親が手に持っていたのは花火セットの様だ。それを柑南に渡せば柑南の目が喜色を含んだ気がした。


「いいの?」

「大伯父さんに許可貰って来な」

「分かった!」


 柑南が家の中に引っ込んでいく。それを見計らい、兼親は姉について尋ねてきた。


「葬式いつ?」

「明日は納棺と通夜だから、葬儀は明後日かな」

「そっか」

「家族葬で、身内だけでやる事になったよ。姉ちゃんの交友関係全然知らないから。一応姉ちゃんのスマホにかかって来てた職場の人の電話では、亡くなった事は伝えたけど」


 少し間を置いて、柑南は関東の方で引き取るのかと聞かれた。それに頷く。夏休み明けには間に合わないと思うが、家の引き払いや学校の転校手続きなど様々あるだろう。


「……せめて友達とはちゃんとお別れさせてやれよ」

「うん」

「ときわ、お前いつの間にか居なくなって寂しかったんだぜ」

「お別れ、したくなかったんじゃないかな。昔の私」

「なら忘れんなっつーの」


 兼親が苦笑いした後、柑南が家の中から飛び出して来た。大伯父さんやって良いって! と花火セットを抱きしめながら明るい声色で告げる。


「お! よかったな。バケツかなんかあるか?」

「多分水道のところあると思う。持ってくる」


 外付けの水道に向かい、バケツを隅に見つけ水を入れて持ってゆく。開けた庭に移動した兼親は付属の蝋燭に火を着け、手持ち花火を持った柑南にやっていいぞ。と許可を出す。火を着けるとばちばちと火薬が爆ぜて緑色へと変わる。


「おれ花火今年は初めてだ!」

「私は十年以上やってないな〜」

「ときわとちーねえと兄貴と俺でやった事あるらしいぞ」

「記憶に無え〜」

「俺も覚えてない。すげー小さい頃だったんだろうな。兄貴居たって事は」


 コンクリートブロックに腰掛けながら柑南を見つめる。遠い昔に自分達も柑南の様にはしゃいで居たのだろう。花火が嫌いな子供なんて少数派だろう。


「線香花火ある?」

「あるぞ」

「じゃあやる。兼親勝負しよう」

「おー」


 線香花火を二本取り出し一本を兼親へと渡す。火を着けるとじじ、と火薬が丸くなり次第にぱちぱちと爆ぜる。地味ではあるが、何故だか郷愁を誘う花火だと考える。隣にしゃがむ兼親の線香花火は早々にぽとりと落ちてしまった。


「だー! 線香花火って苦手なんだよな!」

「じゃあ蛇花火でもやってろ」

「くっそ地味じゃん。うんこだもんあれ」

「あ、ねずみ花火あるよ」

「お、やろうやろう」

「柑南火ぃ着けて〜」

「いいよー」


 取り出したねずみ花火に柑南の持つ手持ち花火の火がかかる。火がつくとしゅんしゅん音を立てながら勢いよく回る。


「おー、回る回る。なんか花火って久々にやると楽しいね」

「俺もそう思う」

「花火大会とは違った趣きがあるよ」

「花火大会十五日だから、それまで後十日か」


 盆前だと言うのに忙しくなってしまったなあと溢す。従兄弟も繁忙期だろうに呼び出されるのだから申し訳ない。そう言えば都合が都合なのだから仕方がないと兼親が慰めてくれた。


 ねずみ花火が勢いを失くし、燃え滓が残る。それを水を張ったバケツに放った。柑南が手持ち花火をぐるぐると振り回している。まだ八月だと言うのにコオロギの声が聞こえてくる。東北はやはり夏と言えど関東に比べて夜は非常に涼しいものだ。


「……盆前に海にでも行くか?」

「ん?」

「柑南連れて海行こう。盆過ぎたら入っちゃいけないしな」

「私姉ちゃんに引きずり込まれるわあ」

「お前置いてった人間が引きずり込むかよ」

「そりゃそうだ」


 はは、と笑いながら蛇花火を取り出す。ライターで火を付けると、ももも、と細長く膨張していく。


「あー! うんこ花火!」

「酷え名前で呼んでんね」

「まあ見た目犬の糞だし」


 うんこうんことはしゃぐ柑南に笑いが再び洩れる。このくらいの子供ってまだうんこで興奮するのだな。という笑いだ。私は今の年齢になってもうんこネタは笑ってしまう。


「葬式終わったら連絡してくれ。余ってる有給使う良い機会だしな」

「そうする。ありがとう兼親」

「いいって」

「柑南、お葬式終わったら兼親が一緒に海に行こうって」


 いいの!? と言う喜色を含んだ柑南の声に、海鮮丼も食べようか。と兼親が告げた。各々好きなネタを言い合いながら、猫ってイカ大丈夫だっけ? と問うと兼親が俺は一応人間だ。とおちゃらけながら答えた。私はそれに謝る。


 これは人によってはお怒りポイントだろうと自分の発言を悔やむ。獣人と言えど人は人だ。柑南だってそうだ。あまり普段馴染みもない人種な事もあり言葉には気をつけるべきだと肝に銘じる。柑南が最後の花火だ! と兼親に置き型の箱花火を掲げる。


「おー、火ぃつけるから離れとけよ」

「うん!」


 兼親が箱花火を庭の中心辺りに置き、火を付けると急いでこちらにやって来る。大して大きな花火ではないが火柱を上げながらばちばちと火薬が爆ぜる。火花の煌めきが柑南を照らしている。柑南が笑い声を上げながら兼親に抱きついた。花火や人間以外の種族という事もあり兼親は大分懐かれたらしい。少しだけ羨ましい。


 花火は終わり、柑南もそろそろ風呂に入れたほうがいいだろうと兼親に言われ、葬儀が終わり次第連絡すると告げて別れた。


 柑南を風呂へと入れた後は明日からは忙しくなるから、と早めに寝かしつけ私もすぐに床に着く。昨日とは違いすぐに寝着いた。

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