第十四話
その日の夕方、黄朽葉宅の縁側に一人私は座り込んでいた。父との電話の後、相談があると兼親にLINEでメッセージを送っていた。黄朽葉宅に向かえば兼親の母が最初対応してくれたが、もう少しで風呂から上がってくるからと、この縁側に案内された。二人して話す時はいつも縁側を選んでいた事への配慮だろう。夜空を眺め流れ星は見えないかと見上げていたり、時折冷えた麦茶と枝豆を摘みながら兼親を待つ。
十分程待っただろうか。から、と居間に続いているだろう障子戸が開いた。
「お待たせ」
「おん」
兼親は缶ビール片手で縁側に胡座をかいて座った。Tシャツにハーフパンツのラフな姿だ。黒い毛皮に覆われた顔は居間の方からの明かりがなければ闇夜に紛れ込みそうだった。金色の瞳が私に向いた。
「お悩み相談って事だけど、またなんかあったの。ときわんち事件多すぎじゃない?」
「私だって起きて欲しくて起こってんじゃないんだよ」
「で? 今度は何?」
「……兼親、お前ちょっと面白いって思ってるだろ」
私の言葉に、にひひ、と笑う兼親の顔に摘んでいた枝豆の皮を投げつけた。兼親はごめんごめんと謝るが、顔が笑っている事に腹が立つ。
「端的に言う。姉ちゃんが死んだのは私の所為だった」
「端的過ぎるわ。もっと順を追って話せ」
父に康之と姉の関係を知った事を告げた際に、姉と連絡を取っていた事が分かった。そうして姉は柑南を私に会わせる為に死んだ可能性が浮上した。拙くも言葉を選びながら説明した。
「ときわんちやばいね。普通に5chとかに載せても受けもらえるよ」
「こんな事書けるか馬鹿」
「にしても、ちいねえ結構やばい人だなあ。何か昔そんなに執着される理由とかあったんじゃないの」
そんな身に覚えは無い。と言い切るが、兼親は絶対に何かあると言って聞かない。……一か月の付き合いで獣人の表情も分かる様になったが、兼親はにやにやとした笑みを浮かべている。殴っても許されるのでは? と一瞬思ったが実行には移さない。犯罪者にはなりたくないので。
「しかし、本当に理由が分からないしなあ。姉妹仲平凡なもんだったし」
「弟を男として見ている姉貴だぞ? そんな人間妹にも何か抱いていても不思議じゃないだろ」
「否定できねえ〜」
だって言うて部屋一緒で寝起きしていたとか、部屋の陣地争いをしていたとかそんな事しか思い浮かばない。少しずつ思い出してみろ。との言葉に、ええ〜とげんなりする。
「あー、風呂によく一緒に入ろうとしてくるから、つっかえ棒してたな」
「それ何歳の時」
「十六」
「うーん、やばいね」
普通は妹の風呂に侵入する姉はそう居ない。確かに当時高校でそれを友人に相談した時引かれた思い出がある。そ、そんなに引く? と自身でも驚いた。が、同じベッドに潜り込んでくるとか、勝手に服を買い与えられるとか、兼親に告げて行くたびに兼親の顔の引きつりが酷くなってゆく。
「ちいねえかなりシスコンじゃん……ええ、それ全然気が付いてなかったの?」
「う、うん」
「うわー、うん、ごめん引く」
俺、兄貴にやられてたらブチギレてるよ。兼親はかしゅ、と缶ビールを開けて飲み始める。
「人の話肴にすんな」
「身近にそこまでやばいシスコンブラコンは居なかったので面白くて」
「あー、じゃあ弟とやってた行為もブラコンの延長だった可能性高しくんか」
「だろうなあ。しっかしまあね、受け入れてたときわもときわだと思う」
「当時既にメンヘラでしたね」
「何だっけ? いじめあったんだっけ?」
「中学の時ね」
高校では全く無かったよ。と一応平静を装う。どんな感じだったの? と聞かれ、女子勢は普通だったが男子勢から罵倒や私物破壊などされていた。と告げる。
「もーね。わらわらと来んのよね。一時期保健室登校だったけれど、教室から保健室すげー離れてるのに、昼休みになると保健室前まで来て罵倒しながら去って行くのよ」
「はは、隠キャじゃん」
「あー、はいはい私は隠キャ」
「違う違う、いじめてた奴らの方」
あれ、仲間内でイキりあって内輪ノリ楽しんでるだけの痛い一人じゃ何も出来ない隠キャだから。と兼親が語り出す。
「真の陽キャって言うのはどんな相手でも言葉拾ってキャッチボールしようとする奴で、一方的に罵詈雑言ドッジボールとかコミュ障だからな? 兄貴を見ただろ、オタクと言うインドア趣味にも旅行と言うアウトドア趣味にも理解ある奴。ああ言うのが真の陽キャ」
「……兼親、昔嫌がらせされてた感じ?」
「この見た目で何もない方が可笑しいだろ」
基本ウェイ系は一人だと何も出来ん。とは言うが、兼親は獣人故に逆らわれたのなら最悪死に直結する異種族だ。力は人間の倍以上あるのだし、兼親を揶揄った奴は相当な馬鹿に違いなかった。
「命知らずが居たもんだ」
「親父にチクったら卒業までそのグループハブられてていい気分だったよ」
「何者だ兼親の父よ……」
「呼ぶ? 酒入ってるからうるさいけど」
「やめてください」
兼親や健介の図体を見ると余程ゴリゴリゴリラが出てきそうで怖い。そうこぼすと親父に百七十くらいしか身長無いよ。と返ってくる。それはそれで怖いので遠慮させてもらう。
「重度のシスコンだったのは分かった。もう少し思い出せ。何か絶対きっかけある筈だ。もうちょっと小さい頃とか」
小さい頃と言われても、この遠野に居た記憶も忘れ去っている様な忘却魔なのだ。唸っていると、人形遊びの事を思い出した。
「昔さあ。お人形遊びしてたんだけど、何だっけな。大きくなったら結婚しようねって言われた」
「こっち居た頃?」
多分そうだ。姉の家に置いてあった人形を思い出す。確かあの人形だった筈だ。それで、この人形は私達の赤ちゃんだから名前を付けてと言われたのだ。そうしてその名前は……。
「かなたん……かなん……」
「柑南がどうした?」
「私が、人形に付けた名前だ……。かなん、って」
え。と兼親が絶句する。
幼い頃、姉とのお人形遊びではいつも、かなん、と言う名の人形で遊んでいたのだ。最初名付けた時はかなたん。と言う名だったが、舌ったらず故にかなんと私が呼ぶ様になったのだ。女の子の人形だったが、姉は、かなんと呼び持ち歩いていた。幼い頃はいつも。
それを思い出し、姉がどうして自身の子供に柑南と名付けたのかが分かってしまった。
「……仮説なんだけど。多分兼親も思い至って居るとは思うんだけどさ」
「うん」
「私が女で子供作れないからって、弟を利用して子供作って、それで、私との子とか思ってた。って言うの、か?」
「あー、闇深い答えに行き着いちゃったな」
それかなり正解に近そう。とビールをあおりながら兼親が呟く。
「あり得なくはないよな〜。だってときわに息子の方の柑南を会わせたかったんだろ。康之くんじゃなくて。正直言っちゃあなんだけど、完全に柑南の奴、ときわとのお人形遊の延長って事になるな」
「……いや、だからって死ぬ事ある!?」
普通に会わせろよ馬鹿姉貴! と頭を抑えて叫ぶ。
「親父さんが接近禁止令出してたんだろ? 遠野に島流しだぞ」
「うわあ、うわあああ、姉ちゃんの事不気味になってきたあ」
「大丈夫、俺は最初から不気味だった」
幽霊なんかより人が一番怖いのだと今思い知る。こんな激重感情を姉から向けられているとは全くもって思わなかった。ごっこ遊びの為に作られた子供が柑南と言うのは、残酷すぎやしないだろうか。
「こんな理由誰にもバラせねえよ〜」
「俺にはバレてるけど」
「兼親はお悩み相談室だから良いんだよ」
「お悩み相談室、開放的な空間だわ〜」
なんせ夜空を見渡せる縁側ですからね。
姉が恐ろし過ぎる。夜空を見上げると丁度流れ星が流れた。お願いです流れ星よ。嘘だと言ってください。柑南は知らん男の子供。と三度呟く。
「DNA検査してるんだろ? 結果が楽しみですね」
「お前には人の心が無いのか!?」
「ときわおばちゃ〜ん」
「おわ!」
柑南の声に思わず身を後ろに逸らす。生垣の横から柑南の姿が現れた。
「大伯父ちゃんお風呂に入れって」
「か、柑南、話聞いてた?」
「え? 聞いてないけど……」
「そ、そーかい」
あんな考察柑南に聞かせられる訳がない。ほっと胸を撫で下ろすと、兼親が柑南に問いを向ける。
「柑南ってさあ。その名前お母さんが付けたのか?」
「そうだよ。でもね、いつだったかなあ。ちっちゃい頃だったからあんまり覚えてないんだけど、好きな人が言ってた名前って話してた」
「あ〜……」
兼親が私に目線を寄越す。あの考察が外れていて欲しかったと言う私の思いは早々に全壊したのだった。膝に肘を付いて手で顔を覆った。
「ま、早く風呂入って来いよ。お悩み相談室は今日は閉店です」
「兼親〜」
「駄目駄目」
兼親に縋る様な目をしたが手振ってしっし、と追い払う真似をする。
「何話してたの?」
「お子様にはお早いお話ですわ」
「ああ〜もうやだ〜」
「? ……お風呂上がったらゲームしよう。ね! 早く入ってきて!」
柑南は追求はしない事にしたらしい。なんて聞き分けの良い子供なんだ。これが本当に姉と弟との子供なのかと胸に疑念が渦巻く。立ち上がって兼親におやすみと告げて祖母の家に柑南と共に戻る。家の中に入ると側の居間からは伯父夫婦の笑い声が漏れ出してきた。
「帰還しました〜」
「おー、早く風呂入れ。アイス買ってあるから」
「おじちゃん帰りに買ってきてくれたんだよ」
「柑南食べるか?」
「食べる〜」
「風呂入ってきます〜」
「はいはい」
部屋に着替えを取りに行って風呂場に向かう。服を脱いで風呂場に入り身を清めていく。暑いし湯船は省くか、と思ったが一人考え事がしたかったのもあり無理矢理湯船に浸かった。
あちい。と思いつつ、姉の事を考える。私が人形に付けた名前を付ける程私に固執していた人間だっただろうか。と。私の姉との距離感が幼い頃から可笑しかった可能性がある以上、無いとは言い切れないのだろうが、それにしても頭が痛くなる話だった。姉は確かに私と喧嘩をする事は殆ど無かった。ちょっかいをかけられる事は多かった。だがそれでもだ。
「訳わかんねえよ姉ちゃん」
呟いた後、ベタに湯船に顔を沈めてぶくぶくと息を吐いた。