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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1501年〜
58/58

松山城の戦い

お久しぶりです。遅くなりました。

失踪している間にも、評価・リアクション・ブックマーク等ありがとうございます。



◾︎武蔵国松山城


 深夜。人の気配に目を覚ませば、小太郎が報告があると()()()()に控えていた。

 部屋に入るよう促し、早速報告を受ける。


「越後勢、白井城に入ったとのこと」


「数は?」


「およそ5000」


 当初の予想から兵数に変化はなしか。

 山内が8000前後出すため、山内と越後を合わせて13000といったところ。


「山内は鉢形城にいるのであったな?」


 鉢形城は山内上杉家の本拠地。

 しかし、古河公方・山内・扇谷の三家が連合を組んで相模に進行した際、鎌倉()に通じて蜂起した長尾左衛門尉景春の手によって陥落。。

 その後、相模より逃げ帰ってきた山内上杉家は平井城を拠点に鉢形城を奪還。結果として、長尾景春は乱以降何度目か分からない逃走を果たしている。


 先程山内の兵数は8000と推定したが、それは未だ行方の掴めない反乱分子長尾景春の存在が反映された数字だ。

 長尾景春が再び蜂起しても混乱が起きないよう、山内は今回しっかりと備えているようだ。領国では、ね。


 そもそも長尾景春の蜂起から逃走の流れは、蜂起した長尾景春当人の意思は何処にも存在せず、最初から第三者に仕組まれたものであった。


 当然、逃走した長尾景春の居場所はその第三者が知っている。

 今、何処に伏せて上杉顕定の首を狙っているかも()()知っている。

 

「ご苦労であった、小太郎。場外に布陣する外山豊前守と高橋左近将監にもこの事を報せておいてくれ」


「はっ」



〇 〇 〇



◾︎武蔵国松山城


 竹に雀が描かれた旗が、徐々にその数を減らしていく。


「もう上杉顕定は討ち取っただろうか」

 

 城の北と西で続く戦を眺めながら、そんな他愛のない言葉が口を()いて出る。

 やはり、この時代の情報伝達の遅さは、即発信即受信が当たり前である現代人()にとっては、未だ心が落ち着かない原因となるようだ。

 

 そのせいか、ついつい弱気な発言をしてしまう。

 

 しかし、独り言に口を挟む無作法な人間はここには居なかった。

 

 それもそのはず。彼ら(近習・小姓・側近)の間には、危急の場合を除き主君の思考の邪魔をしてはならない、という暗黙の了解が存在している。

 唯一、主君に小言を言える重臣クラスは皆出払ってしまっている。

 

 この場に残った者の目には、眼下を眺める主君の姿が、『戦場全体を俯瞰し、次なる謀を熟考する偉大な主君』として映っていた。


 奇しくも、戦の帰趨を決する伝令が出されたのは、ちょうどこの瞬間であった。



 後世に松山城の戦いと呼ばれるこの戦いは、扇谷上杉家の援軍と山内・越後連合軍が松山城を囲む鎌倉御所軍に攻撃を仕掛けたことで始まった。


 鎌倉御所軍は事前に上杉軍の接近に当然気付いていたにも関わらず、上杉軍が一里の距離に接近した後も松山城の包囲を続けた。


 敵の援軍と接敵しても包囲を続行する行為は、兵を薄く広く分散し、一点に対する攻撃に弱くする愚策であり、兵法としては最悪な布陣である。

 それでもなお松山城を包囲し続ける行動には、鎌倉御所の強気な姿勢を見せ付ける意図があったと考えられる。

 

 こうして兵を城の周囲に分散したままの鎌倉御所軍に対し、上杉軍は北と西から容赦なく襲いかかった。

 

 最初から、全て謀られていたことも知らずに。



「これよりを上野攻めの布陣を申し付ける」


 松山城周辺での戦は我ら鎌倉軍の圧勝で終わった。

 敗れた山内・越後上杉両軍は這う這うの体で領国へと逃げていった。


 すぐにでも追撃に移りたいところだったが、上野に関しては急ぐ理由が無くなった。そのため、今は松山城にて足を止めている。


「左近将監は鎌倉街道を北上し鉢形城を落とせ。その後は鉢形城を拠点にし、余裕があれば上野に入っても構わん」


「はっ」


 鎌倉街道は、当時としては初めて畿内に拠点を持たない武家政権・鎌倉幕府によって作られた道だ。

 何処にも根の張った拠点を持たない源頼朝は、幕府の支持基盤であった東国の支配力強化のため、東国15ヶ国の国府に通じる道を整備したことに始まる。

 しかし、五畿七道のような名称は今に残っておらず、当時の主な街道であったと思われる上道(かみつみち)中道(なかつみち)下道(しもつみち)の名称だけが残る。


 左近将監が進む鎌倉街道上道は、関東平野の西に(そび)える山々に沿うように北へと進む。途中、武蔵国府と上野国府を通り抜けながら碓氷峠を越え信濃国に至る。


「上野国をよく知る左衛門尉殿にも、左近将監の副将として同道をお願いしてもよろしいかな?」


「それについては、御所様に申し上げたき儀が」


 長尾左衛門尉景春。

 最初は山内上杉家の家宰の地位を求めて主家に謀反を起こしながらも、次第に目的と手段が入れ替わり、最終的には山内上杉家と敵対するようになった男。

 

 そんな彼は、長年の敵・上杉顕定を()()()()()ことで、身分的にも精神的にも自由の身となった。

 この場に彼が居るのは、今後の身の振り方を相談するためである。


「申してみよ」


 

鎌倉街道と呼ばれ始めるのは江戸時代らしいですが、とりあえず鎌倉街道で通します。

他にも京鎌倉往還(東海道)や甲斐路があるそうですがスルーします。


次回の更新も遅くなるかもしれません。

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