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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1501年〜
56/58

次なる戦

評価・リアクション・ブックマーク等ありがとうございます。



◾︎武蔵国江戸城


「下野に『宇都宮成綱が高基を古河公方に擁立しようとしている』と噂を流せ」


「はっ」


 宇都宮成綱は後に下野宇都宮氏の全盛期を築き上げることになる宇都宮氏中興の祖。

 成綱死去後は家臣の専横を許し長い長い下り坂が続く宇都宮氏も、今は成綱のもと全盛期に向けて力を溜めている最中。


 そう考えると波風が必要が。


「待て」


 部屋を出ようとしていた小太郎を引き止める。


「常陸にも広めよ」


「承知いたしました」


 今度こそ小太郎が去っていく。


 元来、下野国・常陸国・下総国は古河公方の影響力が強かった。

 しかし、鎌倉()が古河御所周辺を除く下総国、北は野田市・柏市辺りまでを制圧したことで、古河公方は勢力圏を一国失った。


 それでも下野国・常陸国は古河公方のお膝元であり続けた。

 いや、南を警戒しつつ、下野国と常陸国を固めにかかったと表現するべきか。


 表向き、反古河公方を掲げている勢力は両国には存在しない。ほぼ全ての国人が古河公方に従っている。

 鎌倉と通じている大掾氏・上那須氏・山入佐竹氏は淡々と古河公方に従っているため、あちらには気付かれてはおるまい。ただ、山入佐竹氏は今も佐竹宗家と争っており、危険勢力として認識されているだろうが。


 いざ古河公方家の内紛となれば、古河御所の古河という立地の都合上、その権威が及ぶ両国は確実に主戦場となる。

 

 両国内には敵対勢力が不在。故に両国の国人にはこれまで功績を挙げ栄達する機会が少なかった。最近で功を挙げられる機会といえば、鎌倉方の領土に攻め込んだ戦くらいだろうか。

 

 頭打ちを食らっているのだ、彼らは。

 もし上を目指そうとすれば、それは必然的に上にいる者を追い落としてのことになる。

 そのため、誰もが古河公方の臣という皮を被り、自己の利益追求のためだけに動ける地盤が整ってしまった。


 そこに古河公方の家督争いが絡めば、守護職・代官職・領地が各陣営から報酬として提示される。


 応仁の乱により古くからの家格秩序が崩壊して以降、この世には下克上の風が吹き荒れている。

 堀越公方()が1代で伊豆一国から南関東を制したように、自分も己の力でまだ見ぬ高みを目指したい。そう考える者がいてもおかしくない。

 

 今のところ立場が明らかな勢力は、高基方として参戦する見込みの宇都宮成綱のみ。

 彼の行動もまた宇都宮氏の発展を願ってのことだろうが、所詮は国人領主。家督継承時の経緯から、配下の最大勢力芳賀氏の専横を許し、成綱と芳賀氏の二頭政治を行う羽目になっている。


 古河の内紛に先立ち芳賀方と連絡を取っておけば、宇都宮家中を2つに分断することも可能だろうか。


 芳賀といえば、壬生と並んで宇都宮家を乱す元凶というイメージがある。その壬生も成綱家臣に名前が見える。

 

 着実に戦国の世が近付いてきているのだ。

 急ぐ必要があるな。


 傍に置いてあったお手製の絵図を広げる。

 南関東を制した鎌倉御所。目下の敵、古河公方には手を打っており、下野国・常陸国は気にする必要がない。

 西もまた今すぐ目を向ける必要は無い。


 となると、今動くことができるのは。


「誰かある」


「ここに」


 近くに待機していた小姓がやって来た。


「陣触れを出せ」


「はっ、は?陣触れにございますか?」


 小姓は突然の陣触れの命令に戸惑った。

 黙って目を合わせてやれば、ようやく事態を飲み込む。


「規模は如何程にございますか?」


「1万だ」


「しょ、承知いたしました」


 小姓が去って行く。


「まずは、扇谷を滅ぼす」



〇 〇 〇



◾︎武蔵国河越城


「ようこそおいでくださいました、御所様」


 門前で河越城代の高橋左近将監と多摩郡代外山豊前守の出迎えを受ける。


「待たせたな。今すぐ軍議を開くぞ」


「はっ」


 早速、2人を従えて城内へと入る。

 広間に到着するまでの間に前線の情報を聞いておく。


「それで敵方の動きは?」


「松山城に籠ったままに」


「松山城か」


 松山城は平野の山に築かれた平山城ながら堅城と聞く。

 城の西から南にかけて流れる川が松山城を天然の要害たらしめた。

 

 この世界では、俺に本拠河越城を落とされた扇谷上杉家が本拠を移したのが松山城である。元は対古河公方、次いで対山内上杉家の拠点として機能していた。

 

 堅城という割には、戦国時代に何度も城の主が変わっていたと記憶している。

 

 戦国時代の松山城は北条氏康が手にしたことに始まり、太田資正が一時取り戻し、上田某の寝返りにより再び北条氏康の手に。越山してきた上杉謙信が奪取し、それを北条氏康と武田信玄の連合軍が落とし、最後に豊臣軍の前田・上杉勢を前に落城した。


 戦国時代の名だたる将の名前が並ぶ。


 “堅城”だからこそ落とした武将一覧に有名な武将の名前が並んだのか、有名な武将が落としたから“堅城”なり得たのか。

 

 扇谷上杉家の本拠となってからは、扇谷上杉家の居城に相応しい拡張工事が行われている。それなりに堅城になってはいるだろう。


 扇谷上杉家によって拡張された松山城が後の世に残るレベルなら、落とすのも苦労するかもな。


 

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