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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1501年〜
54/58

古河公方

評価・リアクション・感想・ブックマークありがとうございます。



◾︎相模国小田原城


「時に、爺様。中央には楔を打った。西には抑えを置いた。残るは東、なのだが、此度の献金で古河は如何動くと思う?」


「そうですな。確か古河足利家の嫡男は大樹の偏諱を受けて元服したばかり。大樹の性格を考えれば、既に御内書が届いていてもおかしくありませぬな」


 献金によって朝廷を押さえ、利害関係で細川右京太夫政元を中立に置き、今川家は弟四郎氏時を三島城に置くことで抑えとした。


 ところが、東の古河公方に対しては何の対策も施していない。

 それも、古河公方足利政氏本人が天罰(火災)の影響で未だ参っているようで、古河公方サイドの足並みが揃わないからだ。


 鎌倉公方()との敵対に消極的な政氏と、堀越公方()との敵対に積極的な嫡男高基。 これが現在の古河御所内の派閥である。


 認識の違いもさることながら、政治姿勢に表れる攻撃と防御の立ち位置が、現実を見てしまった大人と現実を知らない子どもの差であろうか。


「御内書、か……。もし届けば、公方は煩わしく感じ、嫡男は大義名分と喜ぼう」


「それが分かっているからこそ、古河公方は御内書の存在を隠し、嫡男はその存在を大きく広める。御所様はその時を座して待てば良いのです」


 座して待てか。

 SNSという大変便利な物を利用したことがある人間に、SNS無しに座して待てとは、そんな無体なことがあるものか。

 

 そもそもこうなった原因として、義高が俺のことを無駄に嫌っているせいだ。


 普段から『〇〇(領地・銭・物)を寄越せ』と命令形式の書状を送ってきたり、幕政においても俺に関する事案は悉く却下しているらしいので、嫌いの度合いも相当であろう。

 

 理由は複数考えられるが、自分の預かり知らないところで勝手に独自勢力を築き上げた足利一門。しかも自身の実の兄。

 この要素が並ぶと俺でも嫌だな。自分の方が上の地位に在るのに、兄弟の方が名声が高いなんて。


 この世界では、茶々丸()がバッドエンドを回避したため、円満院と潤童子(氏時)は生きており、伊勢新九郎の伊豆討ち入りも発生していない。

 母こそ謀反人として京に送り付けられたが、弟は兄に重用されている。


 円満院から何か吹き込まれたのかもしれないな。

 ……吹き込む、吹き込むか。


「座して待つのは俺の性に合わん。いっそのこと、古河の御所と和睦でもしてみるか」


「古河と和睦ですと?」


 俺の突飛な発言に、爺様が剣幕を厳しくする。


「『人間(じんかん)五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり』」


 突然舞曲の一節を口にした俺に、何を企んでいるのだと言わんばかりに爺様は胡散臭げな視線を向けてくる。

 そんなに孫を疑わなくても良いじゃないか。


『人間の50年は、天界の時間と比べれば短く、夢幻のように儚いものである』と言っただけだぞ。

 

 この曲は、織田信長が桶狭間の戦いの出撃前に舞ったことで有名な幸若舞の一曲『敦盛』だ。

 幸若舞の創始者は足利一門桃井氏らしいのも、また何かしらの縁を感じさせる。


「俺もあと数年で30になる。しかし、爺様のように長生きできるとは限らないからな。生き急ぎはしないが、時を無駄にしたくはない」


「そうですか……。では、ご存分にお振る舞いくだされ」


 諦めてくれた。いや、呆れられているな。

 そこまでして情勢を動かしたいのか、と。


「此度は空然を使おうかと思っている」


「空然というと古河の次男にございますか?」


「ああ、その空然だ」


 古河公方足利政氏の次男、空然こと後の小弓公方足利義明。

 鎌倉の寺から逃げ出すところを捕え、7.8年程ずっと監視下で教育を施してきた。


「空然を和睦の使者として古河に送る。その間、下総千葉を兵力を以て潰す」


「下総ということは、兵は脅しですか」


「まあ、出兵が主となるがな」


 下総千葉攻めには、古河の主戦派の注意を引きつけ、使者の存在と目的を曖昧にする意図がある。


「空然は和睦の使者と名打ち、古河に入り和睦を目指す。その内実は穏健派の心を降伏させる」


「古河には降伏をと」


「そうだ。これまでに吉良・蒲原を従え、今川には偏諱を与え、斯波とは縁戚となった。しかし、どの分家も些か血が遠い。故に、将軍家初代より別れし古河を取り込もうと思ってな」


 正確には古河公方に仕える幸手(さって)一色家が1番血縁が近いと思われる。

 

 幸手一色家は元々宮内一色家という足利一門一色家の分家の1つであった。

 そこに3代将軍足利義満の四男か五男の義嗣(義教と同年の生まれ)のさらに子、つまり義満の孫が幸手一色家の婿養子となったことで、幸手一色家は将軍家に最も近い血統を繋いでいる。


「まあ、やってみてのお楽しみだ」



幸若舞自体は室町時代中期に創始したらしいですが、『敦盛』はいつ頃成立したのでしょうね。


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― 新着の感想 ―
どうなるか予想がつかない。 続きが楽しみ。
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