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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1487年〜
5/58

2年の月日



◾︎三島城


 時が経つのは早いものだ。

 年を越して数え年で13歳となった。


 そしてなんと、元服させてもらえた。ついでに結婚も内々定。

 元服後は足利左馬頭義氏と名乗ることとなる。「義」の字は現将軍足利義尚から、左馬頭の官位は歴代の鎌倉公方からとなる。

 そして結婚相手は公家の姫らしい。将軍家周りは日野家が固めているが俺の相手は誰なのだろうか。相手方との交渉は既に完了しており、あとは嫁ぐだけの状態で将軍家に止められている。相手が日野家より家格が上だからといちゃもんをつけられているのかもしれない。


 それにしても元服か。それも官位付き。感慨深いな。

 本来の足利茶々丸は元服させてもらえず燻っていた。だから茶々丸の廃嫡という話が後世に残っていたのだろう。

 しかし、俺は父に頼んだら呆気なく許可された。

 いや、なんでやねん。いくらこの世界の茶々丸が自称優秀だとしてもそんな簡単に通るのものなのか。継母や奉行衆あたりの意見で取り止めとなるかと思ったのに。


 諱も将軍からの「義」の偏諱と室町時代以前の足利家の通字である「氏」で「義氏」と父が色々やり取りをして認めさせたらしい。

 中央は父が関東へ攻め込むのを止めた前科があるので「氏」の名乗りを認めないと思っていたのだが、父の交渉がそれだけ優秀だったのだろう。

 もしかしたら婚姻を邪魔する動きはその意趣返しなのだろうか。

 

 元服にあたって堀越御所の空気はなかなかのものだった。

 というのも継母が俺の元服の話を聞いてから周囲に不満を漏らすようになったからだ。祝いの場でも不満な様子を隠さずにいたために父から叱られた程だ。

 御所に入れている風魔からも同じような報告が上がっている。


 男子を2人産んで余裕ができたかと思っていたが、そんなことはなく、今度は2人とも出世させなければ気が済まないようだ。これは史実通りなのだろうか。まだ7歳の後の将軍足利義澄こと清童子と4歳の潤童子も大変だ。呪いのように栄達を望まれる。

 

 足利の子供は世継ぎ以外は全員出家させられるが決まり。実際父も次男清童子が5歳を迎えた時に寺に入れようとした。しかし、弟2人は継母によって出家を阻止されている。

 その裏では継母と結託した元幕臣が京の管領細川政元と繋がり、清童子を京の寺に入れ、何れは将軍にするという密約を結んでいるとか。京を離れて30年。元幕臣共は京へ帰りたいのだろう。



○ ○ ○



◾︎三島城


 収穫を終えた三島城では静かに戦支度が進んでいる。


 目的は今川家の混乱の隙をついた河東の占拠だ。


 この戦は堀越公方足利政知の許可付きである。

 ただし、京の御所からの命令や許可、今川家の次期当主龍王丸及び当主代行小鹿範満からの要請は無い私戦になる。次期当主の叔父で将軍家奉公衆でもある伊勢新九郎から静観するよう依頼された程度か。

 したがって父は伊豆国と駿河国の国境を固めるように指示を出したくらい。戦支度は堀越御所の奉公衆や継母に露見しないように限られた者のみが動いている。


 小鹿との縁もあり河東は元々堀越の影響力があった地域であったが、最近は三島城の築城もあり堀越公方の威光が駿河国駿東郡をじわじわと侵略していた。

 

 俺が生まれた直後になるだろうか。今川家先代当主が討死したことにより発生した今川家の家督争いに堀越公方は扇谷上杉家の家宰太田道灌と共に小鹿方として参戦していた。小鹿範満の祖母が扇谷上杉家の出の女性だったとか。

 この時は京から派遣されてきた龍王丸の叔父伊勢新九郎の仲介で収められた。


 条件は『龍王丸の元服まで小鹿範満が当主代理となり、元服後は龍王丸が当主となる』である。後に先代将軍義政の御内書が付けられた。

 小鹿方が武力で家督を相続しなかったのは援軍の太田道灌が関東での混乱で呼び戻され、武力による家督の奪取が難しくなったからである。


 それから12年。


 龍王丸は今年で15歳。元服には十分な年頃になった。

 

 駿河周辺では昨年、今川家の家督争い時に小鹿方の援軍の将であった太田道灌が主君扇谷上杉定正の命令により暗殺された。その結果、関東では両上杉と古河公方の均衡が崩れ長享の乱が勃発しており、小鹿方の扇谷上杉家に駿河に兵を出す余裕はない。堀越御所は都鄙の和睦以来沈黙している。

 

 そう、今川家周辺は落ち着いていたのだ。

 

 そこで龍王丸の母が龍王丸の家督相続を小鹿範満に催促したようだが無視された。催促がそれで終わるわけがない。京へ御内書の効力の実行を求めた。

 年貢の納め時だったのだろう。しばらくして御所の命を受けた伊勢新九郎が再び駿河へ下向してくるとの情報が風魔衆からもたらされた。


 それを受けて俺は河東への侵攻を父に訴えた。当初父は堀越公方が駿河へ勢力を伸ばすことを渋っていた。

 鎌倉に入ることを悲願とする父にとって、駿河への侵略など目的から遠のき西に敵対勢力を作りかねない危険な行為だ。

 しかし、父の意思に関わらず京のお偉い様方は父を決して鎌倉へは入れない、力を持つ者の誕生を恐れているから。

 父が鎌倉に入れば大きな力を持つことになる。力を持てば鎌倉公方や父と先代将軍の弟義視のように征夷大将軍の座を狙う。そう思い込んでいるのだ。だから京のお偉い様方は父をこれからもずっと堀越に留め続ける。


 だったら抗ってみないか、と。

 今のままでは良くて飼い殺し。ならば自らの足で立ち、鎌倉へ入ってしまえば良いのだ。

 各地は既に戦国時代。畿内では応仁の乱、関東では永享の乱・享徳の乱・長尾景春の乱・長享の乱と乱れに乱れている。

 都鄙和睦があるが大義さえあれば堀越公方が一守護として動いても問題あるまい。

 

 といったことを伝えた。


 これに納得したのかは分からないが、いつも優しげな父の表情が揺るぎない決意をした男のものに変わっていた。


 

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