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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1500年〜
47/58

攻撃は最大の防御なり

評価・感想・リアクション等ありがとうございます。

今回は過去最悪の出来です。書き直すべきでしょうが、そんなことした暁には失踪しそうなのでそのまま投稿。

誤字訂正どころか全訂正すら有り得る…


最悪、後書きの要点さえ覚えていただければ幸いです。



◾︎相模国小田原城


「よう参った、兵庫助。房総は如何であった?」


「取れますな」


 鈴木兵庫助はただ一言、そう口にした。

 

「上陸は?」


「内房は千葉に木更津に館山、外房は勝浦にございましょう」


 木更津と勝浦は里見が利用した湊として、未来で名前を聞いた記憶がある。

 千葉は京葉線沿いのコンビナート地帯の一部として有名だろう。有名だよな、あれ。

 館山は館山だな。


「勝浦はともかく、千葉は完全に下総であるな」


「御所様が好まれる()()を使う前提でございますれば。安房や上総の西は落とせましょうぞ」


 何故房総に攻め込むことになっているのか。

 それは武蔵攻めの戦が終結した時まで遡る。


 武蔵の大半を獲た戦後処理として、兵庫助が東京湾(江戸湾)の水軍大将&房総の監視役、伊東九郎三郎がその副将となった。


 彼らが就任して最初にやること。それは防衛体制の構築だ。

 

 まず対房総半島を前提とすると物凄く長い防衛ラインが必要となる。

 その範囲は北は堀江湊(舞浜駅の少し内陸)から江戸・品川・川崎・権現山城(横浜)・横須賀を経て、南は三崎・新井両城に至る。

 お正月の駅伝が大手町から芦ノ湖の片道で全長100kmであることを考慮すれば、堀江湊から三崎城までの総距離はおよそ60kmにも及ぶ。


 流石に60kmは守るには長すぎる。


 それに海の特性も問題だ。

 

 例えば陸の移動では、川や地形、あるいは関所で頻繁に足を止めることになる。戦となればそこに敵の砦や城が行く手を阻む。

 つまり、動きが大きく制限される。

 

 対して海は陸とは違い、行動と視界を遮るものが一切ない。あえて挙げるなら天候と波くらいか。

 遮るものがないということは、敵味方関係なく船が大海原を縦横無尽に跋扈するということ。

 上陸してしまえば陸の理に縛られるが、沿岸部に限ればまさに嵐の如し。


 特に東京湾は湾の奥行きに比べて幅が極端に狭い。

 そのため、三浦半島からは房総半島がよく見えるし、その逆もまた然り。

 房総勢力が戦支度を始めたり、船で打って出てくることがあれば一目で分かるだろう。これもまた、敵にも同じことが言える。

 

 要するに、東京湾を挟んでの攻防は、非常に攻めやすく守りづらい。

 後北条家も三浦半島西側の鎌倉まで里見に攻められていたはず。


 そこで兵庫助・九郎三郎が思い付いたのが、守れないのならば逆に房総へ攻め込んでしまえである。


 まさしく、攻撃は最大の防御なり。

 

 書状で房総攻めを具申された時には、やはり攻めた方が良いのかと諦念に近い感情を抱いた。


「落とせるというのならば房総攻めを認めよう。四郎の三島入りと婚儀が終われば俺も江戸に入る。俺の存在を存分に使え」


「有り難き幸せ」


「うむ。良きに計らえ」


 風魔に噂を撒かせるか。



〇 〇 〇



◾︎相模国小田原城

 

 四郎の三島赴任、そして斯波武衛家の娘との婚儀を見届けた俺は小田原に帰ってきた。


 自分以外の婚儀に参加するのは初めてだったもので、内心わくわくしながら祝わせてもらった。


 婚儀にあたり、斯波武衛家からは先の使者と同じく斯波中務少輔寛元が訪れた。

 最後には“姪を頼みます”と言って帰っていったので、武衛家の遠江入りが近いのかな。


 ちなみに、彼ら武衛家の者は我ら鎌倉御所の船に乗って尾張と三島を行き来していたので、今川家はこの婚儀まで我らの繋がりを知らなかっただろう。

 

 そんなわけで、婚儀が終わった頃、今川家より使者が来た。

 使者は伊勢新九郎ではなく、関口なんとかという者。


 捲し立てるように要件を述べるなんとかさんの話を要約すると、“当家(今川家)の敵である斯波家と婚儀を姻戚関係を結ぶとは何様だ”とのこと。


 なので、“今川家とは当主今川氏親の烏帽子親を務めた父政知と偏諱を与えた俺。それだけの関係”と言って追い払った。


 そもそも派遣するなら新九郎は必須でしょうに。


 風魔によると、四郎と武衛殿の娘の婚姻の報せを受けた今川家は、詰問派・静観派・中立派に分かれたらしい。


 詰問派の意見は“還俗公方の子が何やってくれてんだ”の一点張り。国人衆を滅ぼし、領地を奪っていく俺のやり方も気に入らないのだろう。

 使者の関口なんとかもその一派。多くの重臣や一門がこれに属する。


 静観派は“鎌倉御所と今川家の関係上、仕方がない”と思っているらしい。

 我らと今川家との間には烏帽子親と偏諱、そして当主氏親の正室の調整の繋がりしかない。

 新九郎はここに属している。他は掛川の朝比奈くらいだろうか。

 

 当主氏親は中立派らしい。とは言え、ほとんどの家臣が詰問派・静観派に分かれてしまい、家内の統制が難しくなっているようだ。


 房総もな……

 


以下4点

・北関東を攻めるのに房総勢力が邪魔

・主人公が元々国人衆にヘイトを向けている&治める地域柄(後北条氏)

・上含め、主人公は房総勢力を信用してない(特に里見)

・斯波武衛家と姻戚関係を結んだことで今川との関係が揺らいだ


次回頑張ります。

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― 新着の感想 ―
確かに文章から主人公が里見を信用していないのは分からなかったけど、後のことは読んでいてわかりました。 読者は今後も続いてくれることが一番嬉しいです。
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