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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1499年〜
44/58

四郎の嫁取り

感想・評価・リアクション・誤字報告等ありがとうございます。


今回も短いですが早めの投稿。


※家名の後ろに付く漢字が「氏」と「家」でばらばらですが、今回は「氏」が過去に滅んだ家、「家」が現在も存在する家という意味で読んでください。



◾︎相模国小田原城


「横江相模守。御所様のお呼びにより参上仕りました」


「うむ。よう参った」


 “それへ”と下座に控える人物の横に座らせる。


「両名を集めたはそこに座る四郎について相談があってのことだ」


「承ります」

 

 先に控えていた者が返答する。


 名は田中越中守。

 今到着した横江相模守と同じく執権北条氏の末裔、そして北条時行の子孫を名乗る。

 時行の斬首から140年と少しなれば、両者ともに偽るも難しいと思うが、些事はこの際気にしない。


「北条四郎を我が祖父治部少輔に代わり三島城に置こうと考えておる。そこで両名を四郎の補佐としたいのだが如何かな?」


 この提案は箱根の西を四郎に任せるほか、二つの大きな意味を含んでいる。


 北条四郎は北条家当主。

 横江相模守・田中越中守を四郎に付けるのは、得宗家の末裔を四郎の下に付けることで、四郎が北条家嫡流の当主であることを強調するため。


 そして北条四郎は鎌倉公方足利義氏の弟である。

 鎌倉時代と違い、足利氏()()の下に北条氏が付く。


「「御下知に従います」」

 

「うむ、よう申してくれた。四郎は春になれば三島に向かう。治部少輔は秋までは三島に残る故、ゆるりと引き継ぎを済ませよ」


 “ははっ”と両名が承諾の意思を示したのを見て、もう1つの話題に移る。


「今一つ、申し伝えることがある」


「ははっ。何なりとお申し付けください」


「四郎の室についてだ。執権北条氏所縁の姫にしようか、公家の姫にしようか、あるいは何処ぞの守護より貰い受けようかと考えていた」


 執権北条氏所縁の姫となると、目の前の両名の娘が候補となる。しかし、両名には四郎の年齢に相応しい娘がいないため却下。

 横江相模守に史実の北条氏綱室となりそうな5歳くらいの娘がいる程度。


 次に公家の姫。俺の正室が近衛の出なので、摂家以下の家格の姫であることが求められる。

 しかしこれも断念。適当な相手を探すのが面倒だったからという事もあるが、鎌倉御所の弟の室にはもっと相応しい相手がいるだろうと考え、却下。


 最後に武家の姫。これも四郎が鎌倉御所の弟であるからして国人衆クラスの姫ではなく、守護クラスの姫が相応しい。

 関東の勢力は論外。近隣においても武田家に近しい年齢の姫はおらず、それは今川家も同様。

 何処かに良い姫がいないかと悩んでいるところに、北条氏の足利家に対するやりようを思い出した。


 執権北条氏は源氏の血筋が絶えし後、足利家を源氏の嫡流に()()()ものとして扱った。


 決して足利家が源氏の嫡流であったわけではない。執権北条氏が担う鎌倉幕府の治世において近しい止まりだっただけ。

 それ故に、元寇の際に皇族将軍が臣籍降下し源氏となった時は並々ならぬ感情を抱いたことだろう。


 それはさておき、足利家当主の正室は北条氏より出し、当主には北条得宗家より偏諱が与えられた。

 

 足利家視点では、初代執権時政の娘(義兼)は例外として、得宗家より名越流を挟み2度(義氏・泰氏)、佐介流より1度(頼氏)、極楽寺流より2度(家時・尊氏)、金沢流より1度(貞氏)正室を迎えている。


 先代の足利義氏は源氏の通字として“義氏”と名乗ったのであろう。

 しかしそれ以降は、泰時ー泰氏、時頼ー頼氏、時宗ー家時、貞時ー貞氏、高時ー高氏(尊氏)と続く。


 こうも優遇されていると否応なく鎌倉幕府内での家格が上がる。ただし、それは執権北条氏の治世の下でのみ。


 要するに、鎌倉時代の足利家は雁字搦めだったわけだ。


 その結果、雁字搦め故に足利家嫡流から弾き出された家系があった。

 そして四郎の室を求めるに相応しい家格を持つ家。


「そこで斯波武衛家より四郎の室を迎えようかと思っている」


 “おぉ”と両名が各々感嘆の声を上げる。

 

 斯波武衛家、もとい彼ら斯波家は元々、足利義満期までは足利姓を名乗っていた。己が家が足利宗家に勝るとも劣らない家柄だという自負があったのだろう。

 

 しかし詳細は分からないが、義満期にて斯波家は足利姓から斯波姓に名乗りを変え、他にも“義”の字を軽々しく名乗る者は消えた。

 義満期は足利将軍家が最高の貴種性を手に入れた時期だ。仕方あるまい。


「書状にて話は通しているが、両名には正式な使者として尾張へ赴いてもらいたい。急かすようで悪いが、四郎が三島へ向かうまでにな」


「「承りました」」


 “頼むぞ”と一言付け加えておく。

 当代の武衛殿には姫が2人いる。成る話だろう。


「愛知郡那古野なる地に那古野、海西郡赤目なる地に横井を名乗る執権北条氏の末裔がいるそうだ。接触して参れ」


 ついでに執権北条氏のつてを用い、北条家のネットワークを広げ、四郎の北条家嫡流の立場を補強させる案を吹き込んでおく。


 北条四郎の名を上げるため、頑張ってくれよ。



各話のリアクションが伸びる要因を未だに掴みかねます。

読者のツボは一体何処にあるのだろうか?

今回は説明文が長いですが果たして…

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― 新着の感想 ―
鎌倉と武衛の婚姻はアツい!! 幕府に目をつけられそうですね。 今回も最高に面白かったです。
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