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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1499年〜
42/58

江戸への滞在②

評価・ブックマーク・リアクションありがとうございます。

1話に登場人物一覧を挿入しました。登場人物が分からなくなった際にご覧ください。



◾︎武蔵国江戸城


「千葉家当主千葉千葉介守胤にございます。鎌倉殿におかれましては、各地でのご戦勝おめでとうございます」


「祝ってくれるか、千葉介殿」


 我が水軍衆と共に国府台城・松戸城を落とした千葉介が江戸城にやって来たのは11月に入ってからのことであった。


 その間にも四郎を大将とした別働隊1万は河越城を囲っている。


 数年前、堀越御所勢力に攻め入った結果、河越城が炎上したのは武蔵の国人衆にとっても記憶に新しい。


 彼らの中には鎌倉公方勢力を攻めることで今度は自分の本拠が天罰を受けるのではないかと戦々恐々としている者もいるようだ。

 

 それもあり、扇谷上杉家方の援軍は一向に現れる気配がない。

 

 対してこちらは降した地域から足軽以上の身分の者を動員することで擬似的に兵力を増強し、かつ河越城の構造を知る者を増やすことでいつでも落とせるように備えている。


「所領を大きく拡大されたその手際、あやかりたいものでございます」


 千葉介の父実胤は下総への帰還を早期に諦め隠遁した。対して代わって家督を継いだ先代の叔父自胤は臼井城攻めまで諦めなかった。

 千葉介はそんな叔父の影響を受けて育ったのだろう。言葉の節々から下総千葉家に対する悪感情が見え隠れしている。


「5年もあれば下総は鎌倉御所の元に統一される。その時、千葉介殿は如何するのかな?」


 こうして千葉介は帰っていった。

 

 形として武蔵千葉家は鎌倉御所に従属国衆という扱いになった。

 これまで従属以上の関係を認めていなかった鎌倉(堀越)御所勢力が従属を認めたことは大きな意味を成す。

 

 褒美として松戸城を与えたので、あとは勝手に下総千葉家の注意を引いてくれるだろう。


「小太郎」


「はっ」


 名前を呼べば控えていた小太郎が反応する。

 千葉介との会談前からずっと部屋の隅に座っていたのだが、ついに気付かれることはなかった。


「古河も山内も動かないか?」


「防備を整えるばかりで動きませぬ。相変わらず天罰を恐れているようで」


 思わずため息を吐く。

 こういう時こそ関東武士の意地を見せてくれよ。


 何故未だ河越城が落城していないのか。

 それは古河と山内が挙兵しない上、俺の東部戦線が勝ちすぎたためだ。


 此の度の戦、合戦をするつもりで今回の策を描いた。


 もしどこかの勢力が扇谷上杉家救援のために兵を挙げた時、その援軍は何処に向かうだろうか。


 包囲されている河越城を救けるか。あるいは気を(てら)い敵の総大将がいるここ江戸城を狙ってくるか。


 九分九厘この二箇所に絞られる。

 

 俺としてはその敵の援軍の動きを河越城方面に誘導したかった。

 そして擬似的な河越夜戦の状況を作り出し、敵の大将を釣り出し、それを討つ。


 包囲側と奇襲側が入れ替わっているが、敵の大将の位置を割り出すことが釣りの目的のため、包囲奇襲に関してはどちら側でも構わなかった。

 

 ただ、俺の少ない歴史知識によると、最近では河越夜戦の規模や結果に対する信憑性が疑われていたらしいので、策を実行しても上手くいかない可能性も有り得た。

 

 そう考えると失敗して良かったのかもしれないな。

 むざむざと大事な兵や将を失うところであった。


「小太郎。河越の四郎に使者を」


 今回に関しては成功するかも分からない作戦を用いた俺が馬鹿だっただけだ。


「如何お伝えいたしますか?」


「策は中止。速やかに河越城を落城せしめ後、左近将監を城代とし3000の兵を以て周辺を制圧せよ」


 “伝えて参ります”と小太郎は下がっていった。


 仕方あるまい。今年の戦はこれで終わりだな。

 せめて松山城までは落としたかったものだが、籠っている敵を相手にすることほど張り合いのないものはない。


 ちなみに、扇谷上杉家当主朝良は河越城を包囲される前に松山城に逃げ去っている。


 てっきり朝良は戦を挑んでくる性格かと考えていた。

 養父定正が山内上杉顕定との高見原の合戦で亡くなった際、朝良は山内上杉家への報復を誓ったと聞く。


 朝良がそんな性格の人間であるならば、現将軍の兄とはいえ、自らと、ひいては関東の地となんの縁もゆかりのない俺が鎌倉公方として君臨することを良しとするはずがない。


 と、思っていたんだけどな。

 そう簡単には物事は進まないということか。


「御苦労」


 小太郎が使者の手配を済ませ戻ってきた。そして再び部屋の隅に溶け込み始める。


 見事な隠形だ。

 気を1度でも逸らしてしまえば見失ってしまいそうだ。


 忍びの術、全てを教えてもらったわけではないが、小太郎が今やっているのは気配を消す術ではなく、気配を空間に溶け込ませる術だろう。

 そこに人がいるのではなく、そこに人が()()と認識させる。

 

 まあ、慣れたのか、元々の癖なのか、注意すれば彼らの気配や雰囲気を感じ取れるようになった。


「つかぬことを聞くが、小太郎に息子はおるのか?」


「はっ。22になる倅がおります」


 もう成人済みか。当然だな。

 

 小太郎との付き合いは約20年になる。

 その時の小太郎が今の俺と同い年くらいだったと言えば、その付き合いの長さが分かるだろう。


「いずれは名を継いで風魔衆の棟梁になるのか?」


 小太郎は小さく頷く。


「そこで提案なのだが……」


「何でございましょう?」


「小太郎の名が風魔衆棟梁の証であろう?ならば僭称にはなるが官位を授けようと思ってな」


 

登場もしない渋川氏のことを調べていたら遅くなりました。

風魔小太郎の子の名は良いものが思い付かなかったのでぼかしました。


以下、関係ない遅れた話。


渋川氏も家系分からないものですね。

堀越御所の執事を務めていた渋川義鏡。失脚後は蕨城に隠遁したらしい程度の情報しかない。

義鏡の実子は斯波家に養子入りし応仁の乱の原因を作った斯波義廉。そのため、蕨城の他、その家系は男系再従兄弟で養子の義堯に受け継がれた。

その義堯も1526年に北条氏綱に攻められ討死と、義鏡が1462.3年前後に失脚したことを考えると間が空きすぎる。

その子世代も複雑。1500年前後の生まれと換算して、渋川義基と板倉頼重。後者を信じるにしても…

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