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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1494年〜
29/58

捕らえた者

あけましておめでとうございます。

前回投稿した日に山中城に行ってきました。

あんなところによく築城のための人夫を集められたなと思います。



◾︎伊豆国田方郡山中砦


「そやつが例の?」


「はい。鎌倉より夜闇に紛れて逃げ出すところを捕らえました」


 ここは三島城から東海道を東に進んだ山中(やまなか)の地にある砦。おそらく史実で北条家が山中城を築いた地でもある。


 景色が良いんだよね、この地は。

 北西には富士山。南西には三島城、その先に広がる駿河湾。

 隠居城をここに作ろうかと一瞬考えはしたが、富士山噴火するんだよな。

 

 そんな山中砦のある一室。薄暗い部屋で身体を拘束され上で猿轡を噛まされた、まだ少年と呼ぶべき坊主が寝かされていた。


「ーーっ」

 

 俺たちの会話を聞いて声を出そうと呻きながら身を捩っている。


 坊主の名は空然。

 この状況から分かるように空然はただの坊主ではない。


 その正体は古河公方足利政氏の次男。

 空然は数年前に足利家の慣習に倣い出家して鶴岡八幡宮に入れられていた。


 最近、足利の慣習で出家させるという行為は跡継ぎ争いを防ぐためだけではなく、足利の人間を寺社に入れることで、その寺社の力を足利の物として使う目的があるのだと理解した。


 その理論からすれば古河公方なら鶴岡八幡宮に自らの子を入れているはず。


 そう考え鎌倉は、特に鶴岡八幡宮を張っていた風魔に武家の出の少年を探すように指示を出した。


 武家の出、高貴な家の出身と徐々に対象を絞っていき、最終的に風魔の網にかかったのが空然だ。


 最初は鶴岡八幡宮を兵で囲もうかと考えていた。


 しかしちょうどその頃、空然を堀越御所の勢力圏から脱出させる企みが進行していたらしい。

 古河公方の子息が敵対する堀越御所の勢力圏にいるのは拙いとでも思ったのだろう。


 その企みに鶴岡八幡宮も協力した。

 それが深夜の逃亡に繋がったようだ。


 結果、兵を動員することなく、周囲を張っていた風魔により秘密裏に空然を捕まえることができたわけだ。


 古河公方と鶴岡八幡宮は今頃慌てていることだろう。


 さて、どうしたものか。

 

 空然を捕らえはしたものの、その身柄をどう扱おうか全く考えていなかった。

 鶴岡八幡宮だって敵に通じたことを理由に責任を追及したっていい。


 古河公方の子息、古河公方、古河……公方。

 そういえば次代の古河公方足利高基の弟に小弓公方となった足利義明がいたな。


 この坊主、もしかしてその小弓公方足利義明か?

 足利義明も出家の身から小弓城を占拠して小弓公方を自称したと記憶している。


 これは、ーーやらかしたか。

 関東の騒乱の種を1つ取り除いてしまったかもしれない。


 民の視点からしたらそれは大変喜ばしいことだ。

 しかし、関東の全てを手に入れようとしている俺にとっては余計なことをしてしまったなと思う。


 もし本当に小弓公方足利義明本人だとしても使い道が思い付かない。

 鎌倉公方は俺ただ1人。古河公方など僭称公方でしかないのだ。

 

 そんな古河公方の座を狙わせることは俺自身の地位の否定に繋がりかねないし、そもそも足利を名乗らせることすら拙い。

 四郎に北条を名乗らせたのも足利の権威を他者に利用されるか機会を減らすためだ。


 室町幕府開設から関東を治めてきた功績から、関東足利家として“古河”の名と地を与え、江戸幕府の高家のように扱う手もあるか。高家の仕事を俺は知らないけど。

 高家という名前からして、儀礼とかそういう格式高い仕事をやっていたのだろうと思うのだが。


「ーーっ」


 拘束しているから仕方がないが中々に煩いな。思考はここで切りあげるか。


「再びこれを移動させた上で監視を継続できるか?」


 空然を指さしながら横に控える風魔に聞く。


「どちらに移動させるのでしょうか?」


「三嶋大社だ」


「頭領に聞いてみなければ分かりませんが、三嶋大社ならば問題ないかと思われます。鶴岡八幡宮と同じように見張っている者はおりますので」


「では、聞いてみてくれ。難しかったら堀越か三島で幽閉する」


「承知いたしました」



〇 〇 〇


 

◾︎相模国小田原城


 雪解けが終わると居城を小田原に移した。


 正室の近衛殿や嫡男茶々丸、四郎や幽閉した空然も引き連れての引越しだ。


 これまで居城にしていた三島城は祖父を城代に置き、箱根より西の統治を任せた。

 犬懸上杉の譜代やこの正月に娘を俺の側室に入れた葛山、俺の幼少からの子飼いの地侍たちの多くを残しているので滅多なことは起きないだろう。

 

 祖父も歳だからな。その点だけが心配だ。


「そうか。今川殿が遠江天竜川まで制したか」


「はっ。上総介様は来年にも天竜川西へと攻め込み遠江国を統一いたしましょう」


 今川家との窓口になっている新九郎から今川家の遠江攻めの結果を聞いている。


 今川五郎氏親は駿河国内の地盤を固めると上総介に任官された。そして、その勢いに乗って天竜川東側を制したとのこと。


 河東を失ったとはいえ流石は今川家当主。

 一門譜代をまとめ上げた本人の能力も相当高いと見受けられる。


 まあ、それだけだな。


 今川氏親は自ら呑み込んだ複数の毒に気付いているのかな。


 1つは俺と気脈を通じている遠江今川家当主堀越(ほりこし)陸奥守貞基。遠江今川家は昔、遠江国守護の地位にあった家だ。

 

 もう1つは親遠江国守護斯波派で吉良家引馬荘代官の大河内備中守貞綱、と敵対している親今川派の前引馬荘代官の飯尾善四郎賢連。

 後に引馬城を制するは今川家であり城主となるのも今川派であった飯尾善四郎だが、彼の存在が吉良家を遠江国から追い出すことになる。


 追い出すことが問題であるわけではない。しかし、今川が宗家筋の吉良を追い出したのだ。今川の分家が今川宗家を追い出すことだってあるかもしれない。


 これから如何なるか楽しみだ。


 

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― 新着の感想 ―
義明をどう扱うかが楽しみ。
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