義父
次回年を越すかもしれません。
◾︎相模国鎌倉郡鎌倉
三浦の新井城の包囲が続く中、そろそろ鎌倉の地での年越しが現実的になってきた。
兵の士気低下を防ぐため物資を滞りなく行き渡るよう差配しているが、如何せん寒いのはどうしようもない。
俺だって寒いもの。
対策として雨風を凌げる小屋を建て暖を取れるようにはしている。
それで士気の低下を防げれば良いのだが。
一方、武蔵国方面の戦況は膠着している。
当主の急死という隙をつく形で計4000の兵を引き連れ武蔵国へ侵攻した狩野介と名右衛門は事前の調略の効果もあり多摩川までの地を降らせることに成功した。
枡形城を中心とした多摩川ライン、小机城と海手に築いた権現山砦を中心とした鶴見川ライン。この2つの川を防衛ラインとして対扇谷の東の守りを固めている。
北でも扇谷と領地を接しているが、とりあえず降った国人地侍に小沢城に兵を詰めさせている。
小沢城の対岸は扇谷領だが、少し西へ行けば山内領になるからだ。
山内は担ぐ御輿を堀越から古河に替えてから未だ敵対行動を見せていない。現状山内と扇谷両上杉は敵対関係であるため援軍は考えられないし、逆に山内が扇谷の河越城を攻める可能性の方が高いと思う。
だから扇谷は動けないし、山内はわざわざ相模に来ることもない。
安心はできないが、相模川左岸を南下して来てもらえれば釣り野伏せでもしようかなと思っている。
常時風魔を張り付かせており、今のところ山内が兵の動員を始めたという話は聞かないが今後とも要注意である。
まあ、そんな感じで今回の戦のおおよそ目的は達成できた。
あとは三浦を滅ぼし、東京湾入口への制海権を確保するのみ。
「御所様。京より使者が参ったと三島より報せがありました。如何いたしましょうか?」
近習の声に意識が現実に戻された。
「使者をここまで連れて来られないのか?」
使者の用向きは分かっている。俺の左近衛少将叙任のためだ。
この左近衛少将叙任は、左馬頭を経て征夷大将軍に就任する足利将軍家の慣例に倣い、左馬頭の官位を将軍就任が既定路線となっている弟義高に譲ったことで得たものである。
さらに箔をつけるため義高の兄である俺に左近衛少将の官位が与えられたわけだ。
今頃、左馬頭は京の都の弟義高が名乗っていることであろう。
「それが、使者というのは前相国様にございまして」
前相国様…。相国というのは唐名であり、官職としては太政大臣のこと。
今の太政大臣は一条冬良。前の太政大臣は近衛政家。
「お義父上がわざわざ三島まで参られたのか。それはこちらから出向かねばならないな」
任官の使者など摂家の人間がやることではないだろうに。
俺の任官の話にかこつけて、任官の使者ついでに孫の顔でも見に来たのだろうか。
「各地に文を送り次第、三島へ戻る。そなたはこのことを皆に報せ、すぐさま支度を始めさせよ」
「はっ」
早速筆を執り指示を出す。
新井城を囲む豊前守には包囲を続けるように書く。士気の低下や予想外の事態が発生した時は城の包囲をやめ、戦線を下げてこちらも城に籠もり新井城一帯を包囲するようにと。
兵庫助と四郎左衛門にも同様に包囲に引き続き協力するように書く。どちらか一方を権現山に入れて北に対処させ、もう一方は包囲に参加しつつ房総半島を監視するように伝える。
狩野介と名右衛門には防衛に専念するように指示を出す。冬なので扇谷が川を超えてまで打って出てくることはあまり考えられないが、無抵抗のまま領地を奪われることを扇谷上杉家新当主上杉朝良は許容しないはず。
必ず兵を出してくる。力示したい新当主とはそういうものだ。故に多摩川対岸の警戒を怠らないように。
小沢城に詰める国人や地侍には、此の度の出兵への感謝と顔も合わせずに三島へ帰ることの謝罪、撤兵の許可と扇谷が兵を挙げた時には再度小沢城に詰めるように要請する。
こちらは数が数なので文面だけ用意して右筆に全て書いてもらう。
「御所様、支度が整いました。すぐにでも出発できます」
文を書き終えると先程の近習が支度の完了を告げてきた。
文を各地に届けるよう指示を出すと俺は三島への路を戻り始めた。
〇 〇 〇
◾︎伊豆国三島城
「初めての対面がこのような形になり申し訳ございません、お義父上」
「少将殿は鎌倉で戦の指揮を執っておられたのだ。仕方なきこと。それに孫を見ることができた」
義父上はそう言ってにこやかに微笑んだ。
既に任官のやり取りは終わり、義親子の語らいの場となっている。
前相国近衛政家。
数え年で50を超えたばかりではあるが、家督を子の尚通に譲っており、文化人として自由気ままな生活を送っているらしい。
義兄との文のやり取りでよく知っている。
お義父上とも義兄尚通ともよく文のやり取りをしているが、義兄がたまにポロッと漏らすのだ。後見してくれているのは嬉しいが、和歌に集中した時などは話を聞いてくれないと。
近衛家は御堂関白藤原道長自筆の御堂関白記を保管しているそうで、以前からお願いしていたその写本を今回持ってきてくれたそうだ。
「して、此の度は何用にございましょう?」
「孫の顔を見に来ただけではいかんかの」
この御方は関白を務めたこともあり、雰囲気から内を読み取らせまいとする老獪さが見え隠れしている。
「それは重々承知しております。されば、目的を達成したことで口も緩みましょう」
「婿殿も言うのう」
扇で隠した口元には笑みを浮かべているのだろうか。
「私の話術など舅殿の足元にも及びませぬ」
今度は互いに目を合わせて笑い合う。
「ならば話そう。恐れ多くもお上より麿に、正確には婿殿に御下問があった。将軍職を弟に与えてしまって良いのか、と」
近衛尚通の、正確には公家の家督継承の時期が調べ辛いと思う今日この頃。
分からなかったので、右大臣になった1490年(延徳2年)に家督継承したことにしました。
数えで主人公20歳、尚通23歳




