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豆州から飛び立つ  作者: 練習中
1494年〜
22/58

三浦が気になる年明け

お久しぶりです。

頑張って書きました。

最近、相模国〜武蔵国を彷徨ってきましたので、筆が進めば投稿いたします。



◾︎伊豆国三島城(明応2年1494年)


 年が明けた。

 今年の年明けは大変賑やかなものだった。

 

 新年早々近衛殿が出産したからだ。


 生まれたのは男。茶々丸と名付けた。

 無事に育ってくれれば堀越御所の跡継ぎとなる嫡男の誕生だ。


 正月の挨拶に来ていた家臣を巻き込んで三島城は飲めや歌えやのお祭り騒ぎとなった。


 祖父は曾孫を抱くことができて喜んでいた。

 御歳61歳。健康寿命が延びた現代なら定年を迎えたばかり。祖父もまだまだ現役だと考えているようだが、この時代だといつ亡くなってもおかしくはない年齢だ。


 長生きして欲しいし戦場で亡くなられても困るので、これからは内勤の道を歩むように現在理詰めで説得中。

 家宰の仕事に専念しろと言えば聞こえは良いものの、戦に出るなと言っては互いに体裁が悪いので、街道と堤防の長きに渡る整備を任せるつもりだ。

 

 決して後者が面倒だから丸投げしたつもりはない。街道の整備は主要街道に限れば8割方終わっているので、思う存分堤防を時間をかけて堅固に作ってくれるだろう。


 祖父と言えば、四郎の扱いについて決定した。


 勉学が終わり次第、三島城において俺のお供として15になるまで様子を見る。俺が不在の時は祖父に任せようと考えている。

 15歳になれば正式に“北条四郎氏時”と名乗らせ、初陣を迎えることになる。


 今11歳なのであと4年だ。長いようで短い4年間になるかもしれない。



〇 〇 〇



◾︎伊豆国三島城


 年が明け、年に一度の小評定を行う。


 “小”と入っているが、堀越御所の今年一年の動きを決める事実上の最高意思決定機関と言っても過言ではない。

 

 メンバーは祖父・豊前守・兵庫助・四郎左衛門・小太郎に俺を含めた計6人。

 幼少期から知った者であり、お家の存続=土地の領有というこの時代の常識からいち早く脱出した者たちでもある。


 祖父・兵庫助・四郎左衛門は他勢力との領境の抑え等で各地に散っていることが多く、小太郎も外していることが多いため、こうして小評定で全員が顔を揃えたのは実に数年ぶりのことになるが。

 

「今年は如何なされるのでしょうか?」


 祖父の毎年恒例の問いに思わず笑みが零れる。


 小評定は()()()()()()()今年一年動きを議論する場だ。

 これまで8割方がそのまま、残り2割も彼らの修正を受けることで通ってきたことを考えれば、俺の意向の絶対性が分かるだろうか。


 御所様の指示ならば、どのような事態であっても確実に解決できる。まるで神仏のような御方だと常備兵の間で思われているらしい。

 それは民の間でも同様のようで、堀越御所のある田方平野から河東までの平野部の民からは神仏に等しい扱いをされている。最近は御所を継承したことで見かける機会は減ったが、街道を進めば民が俺に手を合わせるという何とも奇妙な光景を作り出していた。


 自らの権威に絶対性が備わることは嬉しいが、未来の知識チートでこの時代を蹂躙しているだけなのだ。

 知識が通用しなくなった時、俺の権威は呆気なく崩れさるだろう。

 

 俺も数えで20歳になった。

 20年もチートを乱用していれば、いつか対策される時が訪れるだろう。

 その時に備え、地に足をつけ、この時代に適応していかなければならない。と常々思う。


 それよりも今は小評定の方が大事か。

 

「今年も東へ動く。目標は多摩川以南の扇谷上杉勢力の殲滅。次点で鶴見川。山内上杉家傘下の国衆は無視とする。ただし、兵をいつ挙げるかは敵の動き次第であるため未定である」


「なんと大胆な」


 驚きの声を漏らしたのは誰であったか。

 その驚きも方針の突飛さに対してのものであり、実現可能性など二の次であった。


「三浦に目処が立った、ということでしょうか?」


 豊前守は慣れたと言わんばかりに先を促してくる。


「その通りだ。小太郎説明せよ」


「はっ」


 要約すると、扇谷と山内の間で使者が行き交っている。最初は扇谷と山内が和睦するかと思われたが、調べると使者のやり取りは正確には山内の元にいる三浦高救との間の出来事であることが判明した。

 おそらくは三浦高救の扇谷上杉家への帰参の上、息子義同への家督相続を認める運びとなるだろう。

 俺は義同の家督相続がその実父三浦高救の扇谷復帰に影響していると考えているのだが、調べる限りでは違うようだ。


 前者と後者では大きな違いがある。

 前者は扇谷が三浦の帰参を主導しており、三浦が帰参を主導する後者とは意味合いが大きく異なる。

 後者なら三浦には積極的に堀越御所に対抗する意思があるということになるからだ。


 説明が終わると祖父が口を開く。


「可能性はありましょうが、流石に気にしすぎではございませんか?」


「お爺様の言う通り気にしすぎかもしれない。しかし、近年の三浦は上杉と三浦の血が争っていたのだ。簡単にまとまるとは思えん」


 史実でも家督を継いだ三浦義同は扇谷に帰参している。三浦の血筋が排除された上で。

 養父時高はおそらく病死、その実子高教は記憶にないので後世にあまり記録が残っていないはず。


「高救・義同親子が扇谷への帰参を決めたならば三浦の争いも収まるのではと思ってな」


「それで挙兵の日時が未定でございますか」


 四郎左衛門の言葉に肯定を示すと、議題は次のものへと進んでいった。


 

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