弟の扱い
◾︎伊豆国三島城
しんとした空気で満たされた部屋に俺を“兄上”と呼びながら近付いてくる声が聞こえてきた。
「兄上!」
そう言って駆け込んできたのは弟四郎だった。
豊前守と新九郎は左右に分かれて場所を開ける。
四郎は2人の存在を気にする様子もなく俺の目の前に腰を下ろした。
部屋の外では御付きの者が焦ったように謝罪と平伏を繰り返している。
その者を手で制してから四郎に視線を向ける。
「四郎か。どうしたのだ?」
「兄上、どうか私にも役目をくださいませ!」
大声を出して何の用かと思ったらそんなことか。
「勉学はやっているのか?」
「はい!」
四郎の日頃の生活態度は御付きの者に逐一報告を受けて知っている。
四郎の側仕えは元は俺の側仕えとして働いていた者が大半を占めている。
それも足利の血筋とそれを利用しようとする者の監視を担うため。
「その前にまずは礼儀を正さないといけないな。俺はそなたの兄であると同時に御所だ。私的な場でならともかく、こうして家臣のいる前では“御所様”と呼びなさい」
「はい!御所様!」
元気よく返事する。
「それと昔から何度も言っているが先触れを出しなさい。御所内を大声を出しながら移動するのはとてもはしたないことだ」
「はい……」
これには思い当たるところがあったのだろう。声は次第に小さくなり俯いてしまった。
まだ10歳。まだまだこれからだ。
「礼儀が身に付けば役目について考えよう」
「本当ですか!?」
四郎は満面の笑みを浮かべた顔をガバッと上げる。
「もちろん。そのために周りの者の言うことをしっかり理解するように」
「承知しました、御所様」
向きを変えると豊前守と新九郎に先程の無礼を謝罪しつつ、今度は礼儀正しく退出していった。
やればできるじゃないか。
そう思っていると豊前守から声をかけられる。
「四郎様は立派に育っておられますな」
「あのまま育ってくれれば良いのだが」
あれだけ無垢であればどれだけ頼もしいものか。まあ、ある程度の清濁を併せ呑めるとなお良い。
「子は先立つ者の背を見て育つものでございます。そして、四郎様にとっては御所様こそがその背中を持つ御方。ならは、心配の必要はございますまい」
「責任重大ではないか」
部屋に笑い声が溢れた。
そこに豊前守に代わり新九郎が続ける。
「御所様が御所様であればよいのです。さすれば、四郎様を始め我ら家臣一同、皆が御所様のために働きましょう」
「そうか……。感謝するぞ、豊前守、新九郎」
〇 〇 〇
◾︎伊豆国三島城
四郎をどうするか。
1人になった部屋で解決策の思案に没頭する。
まともに育ってくれれば堀越足利家にとって頼もしいことこの上ない。
今や俺と四郎の2人しか一門のいない堀越足利家にとって、一門衆筆頭であり、軍勢や要地を安心して任せられる四郎の存在は大きい。
それだけに本人の価値観の成長や仕える家臣団の選択は慎重にならざるを得ない。
それに足利の名のままでは拙い。
ああ、そっか。いっそのこと、“北条”を名乗らせれば面白いかもしれない。
鎌倉時代に執権として力を奮った北条氏。
足利家2代当主義兼は初代執権北条時政の娘を正室に迎えた。それ以降、足利宗家は北条氏出身の正室を迎え、その間にできた子が跡を継いできた。
それは室町幕府を開いた足利尊氏の代まで続く。
尊氏の祖父は母が上杉氏の出身であるし、尊氏も母が上杉氏出身なので例外は多いのだが、どちらも正室は北条氏の出身。
つまり何が言いたいのかというと、高祖父義詮の母にまで遡れば北条氏出身の女性であるのだから我々足利の人間ならば北条を名乗る資格があるはずだ、ということだ。
関東において北条の名前は軽くはない。
史実では関東では外様だった伊勢氏が選んだくらいなのだ。
それに関東攻略にあたって北条の名前にはある程度の大義が見込める。
現在、新九郎を家臣に加えたため、将来の北条氏綱の芽を潰した状態だ。
朝廷に関しても義兄を動かせることを考えれば悪くはない。
これといって四郎が北条を名乗る障害は見当たらない。
執権北条氏に倣って左京大夫・武蔵守・相模守あたりの官位をいただき、相模国を任せるのもありか。
祖父が帰ってきたら相談してみよう。
ようやく、“足利四郎氏時”の名を活かせる時が来たのかもしれない。
「殿」
「……小太郎か。如何した」
ふと現実世界に意識を戻せば、目の前に小太郎が控えていた。
「山内が相模の三浦と扇谷の間に入り、和睦の仲介を始めたようです」
やはり動いたか。
「古河は噛んでるか?」
「手が足りず、申し訳ございません」
そう言うと小太郎は深く頭を下げた。
「仕方あるまい。幾ら人がいようと全ての情報を追えるわけではないのだから」
本来情報というものは複雑な物だ。
俺は風魔衆という能動的な諜報部隊を抱えているが、この時代において多くの者は噂で知るという受動的な立場にならざるを得ない。
噂は多数の者を介した故に情報の鮮度が低く、こちらが知った時には全てが終わっている。
別にこの時代の人間が情報を軽視していると考えているわけではないが、現実には距離的な制約があり、満足できる情報を即座に集めることは不可能に近い。
それは日頃から情報に身を委ね、潜んでいる風魔衆であっても超えることのできない壁である。
彼らも人間。情報元が複数であれば完璧に追うことは不可能。だから日頃から情報を集めることが大事なのだ。
「三浦は来年には扇谷に帰参しよう。その後は古河と両上杉間の動きに注視せよ」
次回未定。
作中で説明すべきことですが2点について後書きで説明します。
※ 作中で名前のあがらなかった清童子こと清晃のことを主人公は身内ではなく、歴史を動かす駒(良く言えば犠牲)としか考えておりません。
※わざわざ強調した堀越足利家という単語は後々のお話で説明しますが、戦国大名として生きる主人公の意思の表れです。




