足利茶々丸
文章の練習なので気分次第です。
歴史知識浅いです。
ストックもないです。
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「茶々丸殿…。御父上の跡を継ぎ、立派な公方様となるのですよ」
その言葉を最後に母は息を引き取った。
瞳からは思わず涙が溢れた。
「ははうえ…」
人の死とはなんと呆気ないものか。元からあまり身体が強くなかったと言えど未だ20代前半。亡くなるにはあまりにも早すぎる。
それからしばらく母にしがみついて泣いていたのだろう。
気が付けば枕元に腰を下ろし手を合わせる父がいた。
元々僧だっただけあってその姿は様になっている。
辺りに人の気配はない。人払いをしたのだろう。
公方という高貴な地位にあっても静かに正室の死を悼んでいる。この家も捨てたもんじゃないなと思えた。
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◾︎?
俺の今世の名は足利茶々丸。
室町幕府の出先機関の1つである堀越公方足利政知の嫡男である。つまり、次期堀越公方だ。
公方。分家とはいえそんな高貴な身分の恵まれた家に生まれてラッキー。そう思いたいところだが、足利茶々丸は元服後の諱は後世に伝わらず、廃嫡されそうになり、地位確立のために継母や弟を殺し、怒ったもう1人の弟・足利義澄(幕府)の命を受けた伊勢新九郎、後の北条早雲に攻められてと散々な終わりを迎えることになる。
かなり性格にも立場にも問題のあった人物ようだ。
そんな足利茶々丸に転生してしまった俺は当初どのように生きていくか悩んでいた。
大人しく廃嫡されるか、足場を固めて公方となるか、それとも出奔するか。どの道を選んだとて苦難の道だろう。
だけど、戦国時代に生まれたらやってみたかったことがあるのだ。
それは全国の主要な城を築城コンプリートすることだ。
現所在の伊豆国の近くでは小田原城・江戸城・駿府城あたりだろうか。それぞれ前身となる城や館は存在するがそれを現代に匹敵する立派な物に作り替える。有名な城の築城者が全て足利○○となるのが夢だ。
前世は歴史オタクではなかったので知らない城もあるだろうが県庁所在地くらいは築城したい,
それに母の遺言だけは守りたい。そう思っている。
これからやることを伝えたら怒らせてしまうかもしれない。しかし、関東へ派遣されてきたのに関東公方になれなかった父のことを思えば立派な室町公方となるのも良いだろう。
となれば地盤固めだろう。現状俺は10歳。前世というハンデから知能としては同年齢の子供と比べれば優秀。一部では神童と呼ばれているらしいが、たまに起こす奇行の方が目立つために周囲は心が落ち着かないらしい。
例えば正条植えや塩水選。苗を密集させては駄目だ、間隔を整えて植えろ。塩水で良い種籾を選別せよ。そう伝えてもイマイチ伝わらなかった。伝わるわけないよな。いきなり子供がそんなこと言い出しても誰も信じない。俺も詳しい知識まで持っていないからな。
だから、なんとか父に一村に限り税の減免を認めさせ、その村で上記をやってもらった。
村に認めてもらうのも苦労した。そんなに苗を密集させたら栄養を摂れないだろう、そんなことを言っても誰も分かってくれない。この村だけで何千人の食料を賄えないように、土にも賄える栄養は有限なのだ。その言葉と減免でどうにか説得することができた。
それから3年、その村では収穫量が増した。下げた税率でも以前と同じだけの米が納められるのだ。
これに感化された近隣の堀越公方の少ない少ない直轄地の村でも去年から行っている。
結果として堀越公方の懐が多少温まることになり、俺の懐も温まり、父や家臣からの評価も上がるという万々歳である。
家臣の領地?そんなものは知らない。俺に従ったものだけが恩恵を受けられるよ。ま、始めたばかりのことだ。まだまだこれから。
それに足利の人間がそんなことをするな。そんなことを言っていた、言っている人間も未だにいることだ。
例えば継母。武者小路権大納言の娘で母が亡くなった後に父の継室となっていた。
一昨年今年と続けて2人の男子を産んだ。上の子供はおそらく後の足利義澄。俺の討伐令を出す人間だ。
正直、継母とその子供たちは今もこれからも敵だと思う。特に継母は我が子が堀越公方を継ぐために茶々丸を陥れた可能性のある人物だ。既に継母の派閥のような人間もちらと見かける。父と共に京からやって来た幕臣とか。あいつら既得権益大好きでプライドだけは高そうだから信用できない。
まあ、俺にも味方はいるようなので派閥作りが必要かな。代表格は堀越公方執事上杉治部少輔政憲。母の父、つまり祖父にあたる人物だ。
俺に唯一親身に接してくれる安心できる身内である。
とりあえず、国衆を幾つか味方につけよう。西は駿河湾に面した領地を持つ富永家と鈴木家。海の利用を見越して仲良くさせてもらっているから大丈夫だろう。
堀越御所のある平野部は近隣の韮山城主外山豊前守。よく顔を合わせるが特に嫌な顔をされたこともない。
東と南はツテがないな。東はともかく伊豆半島の南は御所のある平野部と完全に分断されているから領主とも数える程しか会ったことがない。
まあ、なんとかするさ。
茶々丸の生年と母は不明のようなのでオリジナルです。
早めに堀越から脱落した渋川さんは除いて上杉の出にしました。
1408年生まれの政憲の父教朝を基準に20年刻みで生まれていれば茶々丸の母は27歳で出産なので、まだ無理ないのかなと。