布石
良い表現が思い付かなかったので今回は少し短いです。
◾︎伊豆国堀越御所
さて、無駄に延びていた今川家との和睦交渉。
将軍家の介入により和睦の前提条件として、まず押し込められていた継母が無傷で京に送り返されていった。継母はこちらの寺に置いておいても邪魔だったのでちょうど良かった。
ここで今川家との和睦が正式に成立。それは同時に駿河侵攻が暗に認められたことを意味する。
条件は新九郎が提示したものにおさまった。今川龍王丸の元服は来月の吉日を選んで堀越御所で行われるそうだ。
その代わり、清童子が京へ送られたことを追認することになった。清童子が誘拐されてしまったことは残念だが、京の情勢が史実通りに動いてくれるのならばそれもまた一興。
次いで、清童子誘拐の一連の流れを作った管領とも和解した。和解といっても堀越御所側には全く非がないので、管領には俺の婚姻話を幕府内部から進めてもらった。
そんな今の管領は細川政元。修験道か何かに集中するために女性を近付けず、後に京兆家の内乱を引き起こすきっかけを作った人物だ。
今のところ、清童子の存在は将軍家のスペア程度に考えているのだろうか。いつかの未来、将軍をすげ替える時に新しい将軍の従兄弟を自分の後継に考えてくれると嬉しいな。
ここまで振り返ると、将軍家と堀越御所と今川家と管領の利害関係が複雑に入り交じった訳の分からない和睦になってしまったと思う。
正確には堀越御所と将軍家、今川家、管領の3つの別勢力との別々の事案だったのにな。
とはいえ、これで京の都への布石は打ち終えた。あとは盛大に芽吹くのを待つだけだ。
「左馬頭様、豊前守様が参られました」
「来たか。通せ」
そうこう考えているうちに豊前守がやってきた。
「久しいな、豊前守」
「はっ。ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
豊前守と話すのは久しぶりだ。定期的に顔は合わせているのだが、元服してから俺が動き回っていたので話すのは実に1年ぶりになる。
「早速だが、そなたには2ヶ月後にある俺の婚儀の差配を任せたい」
祖父に任せても良いのだが、伊豆を己が物とするためにも、そろそろ伊豆の国衆にも仕事を振っていかなければならない。
特に豊前守は伊豆国衆の中でも個人的に知己がある方であり、臣下のトップが執事である堀越御所において筆頭家老に準ずる立場にある。それに堀越御所に近い韮山城を居城としている。
そんな豊前守を重用すれば、他の国人衆も安心して俺に仕えられるだろう。
「承知いたしました。して、御相手はどちらの家にございますか?」
「五摂家近衛家の姫だ」
「なんと!」
驚くのも無理はない。
堀越御所では俺の婚姻話など噂にすらなっていかったのだから。知っていたのは御所である父、そして近衛家と実際に交渉にあたっていた執事の祖父とその家臣のみ。
それに加え、近衛家というのもミソだ。
足利将軍家の御台所は3代義満から現在まで、早世した5代義量7代義勝を除く5人全員が公家から迎えている。うち4人が日野家からだ。父も日野家の流れを汲む武者小路家から継室を迎えたくらいだ。それでも家格は大臣家と名家クラス。
近衛家と縁を結ぶということは、これまでの家格の理から外れるということだ。
その目的は……。
摂家の名前が出たことから薄々勘づくかもしれない。江梨に行った時に話したことあるから。
「治部少輔の家の者が近衛家と話を進めている。準備にはその者と協力してあたってくれ」
〇 〇 〇
◾︎伊豆国堀越御所
和睦の成立から1ヶ月。本日は今川龍王丸の元服の日だ。
今川家の面々は数日前に堀越御所に入っており、既に父に挨拶を済ましている。
しかし、俺は昨日まで伊豆国衆の所領を回っていたため未だ顔を合わせていない。
この所領巡りは以前から進めていたことだった。昨年の挑発以来、伊豆国の地盤を強化するために多くの国人衆と交流を続けてきた。手懐けるためにも飴と鞭を上手に使い分けなければならない。
海岸線は熱海まで船で竜骨船で向かい、沿岸の国人衆と言葉を交わしながら伊豆半島の水軍の拠点を見定めてきた。
内陸では堀越御所の南方に初めて足を踏み入れた。主に修善寺で温泉の有無を確認したり、川の水害対策を視察した。
今回の視察の成果は、熱海や下田の水軍拠点の整備の決定、そして伊豆国の国人衆全てが俺に従うことを表明したことだろうか。
彼らには5年かけて兵を全て常備兵に移行してもらう。そのための費用を稼げるように石鹸など片手間で行える物を教えたのだ。やってもらわなければ。
ご都合展開すぎて布石になっているのか分からない…




