信用というもの
役所がデータの改ざんをする。
会社もデータの改ざんをしているが、影響度は国の方がはるかに大きい。
なぜなら国民は(会社も含めて)国が発表した資料を基にすることが非常に多いからだ。
というか基本資料は国以外から手に入るものだろうか?
信用できないデータから導き出された施策。
提案。計画。
それらが未来に与える影響は想像するだけでもぞっとする。
指示は総理大臣だったか側近だったか上層部の人間だったか。
データが改ざんされた後では理由は関係ない。
発表されたデータは影響力を持って走り出しているから。
体育会系の組織に隠ぺいは起こりやすいような気がする。
想像でものを言うのはよくないが、過去の経験から体育会系もしくはそれに類する人の指示にはそうしたものが多い。
以前に所属していた会社の上司は上役を親指でこれと言っていた。
そしてこわもての自分の上司に金魚の糞みたいにまとわりついていた。
「〇〇は〇〇ですぜ」
まるで漫画の一コマみたいに逐一報告していたのが印象に残っている。
その上司がよくデータの改ざんをしていた。
そのくらいわかりやしないし誰も見ちゃいない。
さらには所属部のエラー件数の改ざん。
もはやどこもが誰もがやっている。
当時はそう信じていた。
今もそうなのかもしれない。
伝統的に引き継がれていく改ざん。
間違いを正すためには前任者の不正を明らかにしないといけない。
役所のかいざんは今も止まらない。
一度手を染めると止まらなくなる。
かつては自分たちの仕事に誇りをもち、改ざんなんてありえないと言っていたんじゃないか。
昔の役所にはそんな印象がある。
財務省の改ざんから始まったのか、それ以前からあったのか。
自殺者まで出しているからそれ以前はなかったんじゃないのだろうか。
そう信じたい。
データだけではなく、言葉も信用できなくなってきた。
履歴書に嘘はいけないと言う。
けれど政治家のウソだらけの履歴や発言はまじめな奴は馬鹿をみると言っているようだ。
テレビの画面で何度「丁寧に説明する」という発言を見ただろう。
でも本当に丁寧に説明しているところは見たことがない。
それ以降会社の説明や何かでも「丁寧に」というのがはやり言葉みたいに繁殖した。
今の総理大臣はロボットみたいなしゃべり方をしているように感じられる。
丁寧に話そうとしているのかもしれない。
あるいは「丁寧に説明する」は「丁寧に話をする」にすり替えられてしまったのかもしれない。
丁寧に話をしたことが丁寧な説明をすることだと信じているから、その後まったく説明していなくても説明はすでにすんでいると言い張れるのだろうか。