ジャニーズとエゴと聞く力
ジャニーズの性加害についての報道について、マスコミの在り方が問題視されている。
そんな中でジャニーズに対してマスコミが質問者になっている。
その質問はまるで面接の際の面接官のように見える。
これは質問がテンプレ化しているからではないのだろうか。
また、読者がそれを読んだときになぜ違和感を感じるかと言えば、問題となっている一方のマスコミが質問者として現れているからではないのだろうか。
いわゆる「お前が言うか」
そういう気分で見てもジャニーズに対して感じる違和感もある。
それは企業の中の社畜根性という目に見えない毒じゃないだろうか。
勤務先の上司が「これの言うことを一番最初にやるんだ。決まってるだろう、馬鹿かお前は」みたいなことを言っていたことがある。
「これ」と言いながら親指を立てていた。
ここでいう「これ」はセンターで言えばセンター長、小さい会社で言えば社長、特定部門で言えば「部門長」になるだろう。
直属の上司がいてももっと上が大事だと言われたわけだ。
では客観的に直属の上司が正しいことを言っていて、その上の偉い人間が間違っていることを言っていた場合はどうなのだろう。
いつもそんな疑問を持っていた。
そして今の世の中だと客観的に正しいことを優先させると会社ではクビになったり罰せられたりする。
そうならないこともあるかもしれないけれど、そうなる方が圧倒的に多いのが今の日本だと思っている。
ジャニーズの問題について何を語っても、いったいどの視点からものを言っているんだという気になる。
客観的な視点は被害者の目線なのだと思う。
この視点に立った時、だとすれば枕営業っていうのも問題になっていたよねと気が付く。
あれはほっておいていいの?
マスコミの中でそんな疑問を持つ人もいるかもしれない。
でもそういう人は上の人にこう怒られるんじゃないだろうか。
「バカ、今はジャニーズの問題を考えているんだ。他のことはそれからだ」
あるいはそうは言われないかもしれない。
でも今の日本だとそういわれるんじゃないかと言う気がしてしまう。
会社にも報道にも客観性が欠落している。
エゴが前面にでている。
そしてそのエゴをごまかし、嘘をつき、めくらましする。
ジャニーズの問題でマスコミの姿勢を問題視するのであれば、安倍政権時代のマスコミの在り方なんかまったく同じように思えるのだけれど違うのだろうか。
聞く力があると上司にアピールされたら部下はそれを信じて相談に行くだろう。
そしてそれが嘘だと知った瞬間に絶望する。
あるいは最初からそんなの嘘に決まってるじゃないか、信じるやつが馬鹿なんだと一歩引いている人間もいるかもしれない。
「じゃあどうすればいいんですか」
絶望とはそういうものだと思う。
絶望が蔓延したところではたいていの人が言う。
「言ってもどうせ無駄だから」
岸田総理は聞く力をアピールした。
しかしこの聞く力は枕詞が隠れている。
「麻生副総理や二階さんやアメリカのバイデン大統領みたいに権力がある人の言う事を」聞く力。
この力を持っている人は企業の中にもいっぱいいると思う。
少し前に書いた勤務先の上司も持っていた。
「部下の言う事を」聞く力ではない。
これを思い知らされた時にがっかりする。
そしてこう思う。
「どうせ何を言っても無駄だ」
ただこのことを考えたときにこうも思った。
履歴書のアピール文は主観でいいんだ。
そのアピール文を読んで勘違いさせればいいんだ。
勘違いする奴が馬鹿なんだ。
嘘はばれる。
ばれたら怒られる。
でも権力者は隠ぺいできる。
ばれそうになったら逆切れして怒ればいい。
「てめえ言ったらどうなるかわかってんだろうな」
そんな権力者は嫌だ。
誰だって嫌だ。
だからオブラートにくるむ。
あの人は本当は優しい人なんですよ。
あの人に救われた人がこんなにいるんです。
そういう印象操作がまかり通る。
なんだか聞いたことがある話だ。
某宗教も同じ理屈でやってるんじゃないだろうか。