後日談(好きな人が幸せならそれでいいと、そう思っていました。)
好きな人が幸せならそれでいいと、そう思っていました。の後日談です。
やまもなく、意味もないですが、幸せな話です。
本編を読んでいない方には内容がわからないかと思いますので、始めにそちらを読んでからお読みください。
窓を開ければ、爽やかな風がオリビアの黒い髪を揺らした。ふり注ぐあたたかい日差しに目を細める。
ふと顔を横に向ければ、懸命に書類に向き合うテオドールの姿が見えた。オリビアの手にもこの国、ルース国の歴史が書かれた本が開かれている。
皇太子の結婚は国の一大事業だ。だからこそ結婚式の準備には相当な時間がかかる。
婚約をして半年が経ったが、オリビアとテオドールは婚約者のままだった。
けれど、その間にしなければならないことは山のようにある。貴族の令嬢が皇太子妃となるのだ。婚約者候補として過ごした期間では足りない。覚えることはたくさんあった。
それでも今は半年前とは違う。
婚約者候補ではなく、唯一の婚約者だ。それも想いを重ね合った婚約者である。
だからこそ、2人は忙しい中でも一緒にいられるようにできるだけ同じ部屋で過ごすようになった。もちろん家庭教師の授業を聞いている間や公務の間は別である。
けれど、書類の整理や本で知識を得ている時など、それぞれの時間を合わせて一緒にいるようにした。
一緒にいる間、テオドールは時おりオリビアに意見を求めた。皇太子が婚約者とはいえ、一介の貴族の令嬢に意見を聞くことなど恐れ多かった。けれども自分の意見を真摯に聞いてくれるたびに、自分はテオドールにとって必要な存在であると言われているようでオリビアは嬉しかった。
◇◇◇
オリビアは1年前にルース国の皇太子テオドールの7人いる婚約者候補の1人に選ばれた。そして半年の選定期間を経て、ビオラの花束を贈られ、婚約者となったのだ。2人は婚約者候補の期間を含めれば1年近く一緒にいることになる。
短くはない期間、隣にいるようになりオリビアは少しずつテオドールのことを知っていった。
好きな色は赤で、実は甘いものが好きなこと。
オリビアとの身長差があまりないことを気にしていること。その点から宰相補佐であるアダム・クレメソンに少しだけ嫉妬心を抱いていること。アダムはヒールを履いたオリビアと並んでもオリビアが見上げる位置に顔がある。
それから、目が合うといつも笑いかけてくれること。
悩んでいる時には上を向く癖があることも、疲れている時に右肩を触るのも一緒にいるようになって知ったことだった。
オリビアの視線に気づいたのかテオドールが不意に顔を上げた。ぶつかり合う視線に小さく口角を上げる。どこか幸せそうなその表情に、オリビアの口角も自然と上がった。
「オリビア、調子はどう?」
「はい、歴史の本を読んでいるのですが、大変興味深いです」
「そっか。難しい?」
「難しいですが、新しいことを学べて楽しいです」
「それは、いいことだね。そうだ…ねぇ、この書類を見終わったら息抜きがてら一緒に散歩にいかないか?」
「散歩ですか?」
「うん。アダムが教えてくれたんだけど、庭のビオラが綺麗に咲いているらしいよ」
ビオラはオリビアが一番好きな花だ。そのことをよく知っているテオドールは嬉しそうにそう告げる。
テオドールの両脇に積まれた書類の数からは彼の忙しさが伝わった。けれど今朝、書類を持ってきたアダムが言っていた期限は数日先だったことを思い出し、オリビアはテオドールの優しさに甘えることを決めた。
「ぜひ見たいです」
「うん。そうしよう。後もう少しでこの書類が片付くからもう少し待っていてくれる?」
「もちろんですわ。それに、私の方ももう少しできりのいいところまでいきますの」
「それならお互いきりがいいところでいったん手を止めることにしようか」
「はい」
そういうオリビアに頷き返しながらテオドールは軽く左手で右肩に触れた。その仕草に、あとで侍女に甘いものを持ってきてもらおうとオリビアは思う。
一足先にきりのいいところまで終えたオリビアは、静かに読んでいた本を閉じた。
「ごめん、あとちょっと」
閉じた本の音に気づいたのかテオドールが少しだけ申し訳なさそうにこちらを見る。
「私は大丈夫ですわ」
小さく首を横に振りながらそう答えた。
忙しく大変ながらも充実している毎日に、こんな日がずっと続けばいいなとオリビアは思う。
◇◇◇
あたたかい日差しが窓から差し込んだ。ヒールの低い靴を履いたオリビアが少し上を向けば、隣に立つテオドールは優しい瞳でオリビアを見つめる。
緑色の瞳に穏やかに笑う自分が映り、オリビアは少しだけ恥ずかしくなった。
「さあ、行こうか」
「はい。あ、テオドール様、少しお待ちください」
「ん?」
「侍女に少しお願いしたいことが」
そう言うとオリビアは部屋に備え付けてある呼び鈴を鳴らした。その姿にテオドールが少しだけ微笑む。
「どうかされましたか?」
「いや、ためらわなくなったなって」
「え?」
「少し前までこの部屋の呼び鈴を使うのをためらっていただろう?ここは皇太子の部屋だからって」
「…そうでしたね」
まだ「婚約者」という身の上で、王宮の侍女に対して自分の侍女と同じように接することはできないと主張するオリビアに、テオドールやアダムは自分の家と同じようにするように伝えてきた。
しきたりに従って皇太子が選んだ「婚約者」はほとんど「皇太子妃」と同じ意味合いを持つ。オリビアという婚約者の存在を内外に示すためにもそれは必要なことだった。
「いい傾向だね」
「ありがとうございます」
扉を叩く音が聞こえた。音の方に視線を向ければ、部屋の前で合図を待つ侍女、アリアの姿が見える。
婚約者とはいえ、未婚の男女が密室で2人きりで過ごす訳にもいかず、部屋の扉は開いたままにしてあった。
「入れ」
テオドールの入室の許可を聞き、アリアが部屋に入る。
「お呼びでしょうか」
「私が呼びましたの。来てくれてありがとう」
「とんでもございません」
「今からテオドール様と庭に散歩に行くのだけど、散歩したあとに庭で少し休みたいからティータイムの用意をしてくれないかしら。紅茶と甘いものを用意してほしいの」
「かしこまりました」
「あ、アリア」
要件を聞き、頭を下げて部屋を出ようとしたアリアをオリビアが止める。そんなオリビアに動揺せず、アリアが尋ねた。
「なんでございましょう」
「紅茶に小さく刻んだショウガを少し入れてくれる?」
「…承知いたしました」
どうして?なぜ?と聞かないあたりが王宮で勤める侍女だなとオリビアは関心する。そして、少しだけ笑みを浮かべるアリアに、オリビアは意図が伝わったのを感じた。
アリアは頭を下げ、今度こそ部屋を出て行った。
「紅茶にショウガ?」
アリアの姿が見えなくなるとテオドールがオリビアに聞いた。
「はい」
「おいしくなるの?」
「そうですね。風味が良くなりますわ。それに、ショウガには疲労を回復する効果があると言われております」
「そうなんだね」
「少しお疲れかと思いまして」
「…俺?」
一顧のあと、自分の顔を指さしながらテオドールがそう言った。そんな彼にオリビアは小さく頷く。
「はい」
「…」
「皇太子というお立場でお忙しいのは理解しております。ですが…少しくらいは身体を休めませんと」
心配の表情を浮かべるオリビアにテオドールは苦笑を浮かべながら頭をかいた。
「あ~、ばれてた?」
「テオドール様の癖を少しくらいはわかったつもりでおります」
「…そっか」
噛みしめるようなテオドールの声色に少しだけ嬉しさがにじむ。
そっとオリビアに左腕を差し出した。オリビアの華奢な腕が触れたのを確認するとテオドールはゆっくりと歩き始める。
◇◇◇
大きなシャンデリアの下を通り、綺麗な花々が咲き誇る庭に出た。庭には、チューリップにツツジ、バラいろんな花が咲き誇っている。
「オリビア、ビオラだ」
テオドールが指さした先には、ビオラの花畑が広がっていた。黄色に赤に紫、カラフルな花が風に吹かれ静かに揺れる。
小ぶりで背丈も低いビオラに華やかさはあまりない。
けれど素朴で可愛らしかった。それに、ビオラは開花期間は長くずっと楽しませてくれる花だ。だからこそオリビアはビオラが好きだった。
「綺麗ですね。こんな風にいろんな色のビオラが花畑になっていると余計に綺麗です」
「そうだね。そういえば、オリビアはビオラの花言葉を知ってる?」
「花言葉ですか?…ビオラは一番好きな花ですが、花言葉は存じ上げません」
「そうなんだ。…今度、青いビオラの花束を贈ろうかな」
「え?」
「まあ、楽しみにしててよ」
どこかいたずらっこの様に笑うテオドールの意図はわからなかった。けれど楽しそうに笑うテオドールを見るとオリビアは自分の心があたたかくなるのを感じた。
時おり吹く風に揺れるビオラの花。
そっと隣を見れば、目を合わせて微笑んでくれる愛しい人。
1年前には考えもしなかった日々にオリビアは少しだけ思いを馳せた。
◆◆◆
オリビアはテオドールの婚約者候補となる前、ジェイムズという婚約者がいた。
オリビアは彼が好きだった。
一緒にいるのが嬉しくて、頑張っている姿を見ると元気になれた。エスコートで手が触れられれば、心臓は音を立てて鼓動した。
けれど、2年間の婚約者として過ごしても、ジェイムズはオリビアと同じように想ってはくれなかった。彼はオリビアではない人に恋をしていた。
彼自身がそれに気づいている様子はなかったが、ジェイムズを想うオリビアにはわかった。
だからオリビアは身を引いたのだ。好きな人が幸せならそれでいいと、そう思った。
ジェイムズと婚約破棄をしたオリビアは、ジェイムズへの想いを断ち切るため、そして貴族社会で無用な話の種にされないためにオリビアは皇太子であるテオドールの婚約者候補の一人となった。
この国には、皇太子が18歳を迎えると7人の婚約者候補を立て、半年間の選定期間を設け婚約者を決める習わしがある。オリビアはジェイムズと円満な婚約破棄ができるようそれを利用したのだ。
そして婚約者候補の一人となり、日々を過ごす中で、オリビアの中でいろんな感情が巡った。今まで考えもしなかった国のこと、この国で暮らす人々のことを知っていった。そしてテオドールのことも。
皇太子という立場上、人に弱みを見せられないテオドールの傍にいたい、一緒に幸せになりたいと願うようになった。そして、それはテオドールも同じだった。
だからこそ今こうして、オリビアはテオドールの隣に立って笑っている。
◆◆◆
「オリビア、そろそろ休憩しようか」
花畑に向けていた視線をオリビアに向けながらテオドールがそう尋ねる。
よく見れば、花畑の向こうに日差しを避けるための青色のパラソルと簡易テーブルが用意されていた。アリアともう一人の侍女がお茶の準備をするために立っている。
「待たせてしまったでしょうか」
「いや、準備にちょうどいい時間だと思うよ」
「だといいのですが」
そう言いながらオリビアはテオドールの腕に自分の手を回した。オリビアの細い手を一度軽く触り、テオドールは小さく微笑む。そして歩き出した。
オリビアに合わせた歩調でアリアたちの元に行く。2人の登場にアリアたちは頭を下げた。
「用意してくれてありがとう」
「滅相もございません」
オリビアの謝礼にアリアが代表してそう答える。
テオドールが引いた椅子にオリビアは座った。それを確認し、テオドールもオリビアの前に座る。2人の着席を確認すると侍女たちはティータイムの準備に取りかかった。
アリアは、ポットに茶葉とお湯を入れ、少しの間蒸らす。何も入れていないティーカップに軽くショウガを擦り、その上から紅茶を注ぎ込んだ。
ショウガの独特な香りが鼻孔をくすぐる。
その間にもう一人がクッキーを用意し、オリビアとテオドールの前に置いた。それは以前オリビアがおいしいと言ったお店のものだ。
「ご用意できました」
「そうか。あとは下がっていいよ」
「かしこまりました」
テオドールの言葉に2人は頭を下げ、その場から離れる。
◇◇◇
2人きりの空間に、静かな風が吹いた。オリビアとテオドールの髪を揺らす。あたたかい日差しに少しだけ冷たい風がちょうど良く、オリビアは想わず目を細めた。
テオドールがカップに手を伸ばしたのを確認し、オリビアも同じように紅茶を口に運ぶ。計算しつくされた時間蒸らされた紅茶は味が良く、ほどよく感じられるショウガの風味がより味わいを深くする。
「おいしいね。ショウガもいい感じだ」
嬉しそうな表情を浮かべながらテオドールがそう言った。
「本当ですね」
同じように笑みを浮かべ、オリビアが応える。
テオドールが再び自身の右肩を触るのが見えた。真正面から見れば、ほのかに目の下にあるクマにも気づく。
「テオドール様」
「なんだい?」
「…最近、お忙しいのですか?」
「え?」
「スラムに関しての会議は、この前終わったはずですよね。スラム街に住む若い男性を王宮の補修工事に作業員として雇うことで雇用を生み出すこととなったとこの前おっしゃっていました」
「ああ」
「もちろん、それですべてが解決するはずはありませんが、いったん様子を見ると」
「そうだね。現状がどう動くか確認して次の手をアダムと相談することにしている」
「それなら少し休むことができるのではないですか」
「え?」
「もちろん、それ以外にも皇太子としてやらなくてはならないことが多くあるのは理解しておりますが…頑張りすぎではありませんか?」
「…」
「何か、私に手伝えることはないのでしょうか?」
眉をひそめて心配するオリビアにテオドールは胸があたたかくなるのを感じた。
皇太子として生まれてから「頑張りすぎ」と言われたのは初めてだった。民のためを思えば休んでなどいられない。それはわかっていたが、自分も人間だ。疲れもするし、逃げ出したくなることだってある。
それでも、弱い姿を見せたら終わりだと口酸っぱく教えられてきた。だからこそテオドールは常に胸を張る。
けれどそんなテオドールにオリビアは「頑張りすぎ」だと言った。何気なく出た言葉なのはわかっている。それでも寄り添うその姿勢に心があたたかくなるのを感じた。
テオドールはそっと手を伸ばし、テーブルの上に置かれていたオリビアの手に自分の手を重ねる。
「テオドール…様…?」
「ありがとう」
「え?」
「オリビアがいてくれるから、俺は頑張ることができるよ」
「そんな…もったいないお言葉です」
少し俯きそう言うオリビアにテオドールは首を横に振った。
貴族の令嬢として謙遜することが美学だとわかっている。けれどそんな言葉はいらなかった。
悲しみでも怒りでもなんでもかまわないから、その心の内を見せて欲しいと願ってしまう。
「オリビア」
「はい」
「好きだよ」
「え?あの……」
「好きなんだ、本当に」
まっすぐ見つめるテオドールに、オリビアは頬を赤く染めた。その顔が可愛くて、テオドールの頬はだらしなく緩む。
「わ、私も…」
「うん」
「私もお慕いしております」
小さいがそうはっきりと聞こえた。
それは貴族の令嬢としてではなく、オリビアとしての言葉だったから。知っていたつもりだったが、こうして改めて言葉で聞くと気持ちをより実感できる。
オリビアの前ならきっと弱音を吐けると思った。
ずっとそんな人が欲しかった。弱みを見せられる愛おしい人。
「よかった」
微笑むテオドールにオリビアは照れながらも笑みを浮かべた。
「プロポーズの準備はもう少しで終わるし、結婚がより楽しみだ」
「…プロポーズ、ですか?」
「ああ、そうだよ」
「えっと…それは…」
「恋愛結婚している平民たちは結婚するときにプロポーズというものをするらしいんだ。綺麗な景色のもとや思い出に残る場所で結婚してほしいと指輪を渡すらしい。幸せにすると誓いながらね」
「…」
「指輪は王家に代々伝わるものを渡すしきたりだから、代わりにイヤリングを用意しているんだ。いつでも身につけられる様に」
「…そう、なんですね」
「いろんな工房に声をかけて、一番いいイヤリングをつくるところを探しているんだ。あと青いビオラの花束も用意しておかないと。オリビアの記憶にずっと残るようなプロポーズを計画しているから期待してくれ」
ここ最近の忙しさが通常の公務に加えて自分へのプロポーズの準備をしているからだとわかり、オリビアの中に申し訳なさと嬉しさが入り交じる。
けれど、テオドールの顔を見れば、疲れている中でもどこか楽しそうで、オリビアは小さく首を横に振った。胸に広がるあたたかい気持ちを伝えたくて、満面の笑みを浮かべる。
「テオドール様、ありがとうございます。楽しみにしておりますね」
「ああ、もちろん」
「…テオドール様」
「なんだい?」
「大好きですわ」
「俺も、大好きだよ」
テオドールは両手をテーブルにつき、腰を持ち上げた。何をするつもりなのかわかって、オリビアは頬を赤らめながらも目を閉じる。かすかに触れた唇は、小さな音を立ててすぐに離れた。
「早く結婚したいね」
「そうですね」
これはただの幸せな一日。
1年前は予想すらしていなかった幸せな一日の話だった。
久しぶりに書けて楽しかったです!!!
この子たちが幸せになってくれて自分も本当に幸せです。
いい子たちだな(笑)
読んでいただき、ありがとうございました。
あと、青いビオラの花言葉は誠実な愛らしいです!