自称聖女の正体
それから怒涛のように事態は動いた。
案の定、愛人と庶子を侯爵家に連れ込んだことは大きな問題となったのだ。事情を知らされた者は政の中心にいる僅かな者達だけだったが、その誰もが教会に痛くもない腹を探られるのは嫌だと、内々に処分することがすぐに決まった。
現当主には問題があるが、建国以来の名家を潰す訳にはいかず、侯爵は病気療養という理由で領地の片隅で軟禁されることが決定。王都での贅沢な暮らしに慣れ切った愛人と庶子アメリも嫌がったが、侯爵に同行する。それを拒否すれば政治犯として牢獄行きだろう。
後継はブランシュ侯爵家が持つ子爵位を継承していた現当主の弟が就くことになった。ナタリーは叔父の養女となり、私との婚約は継続となる。恐縮しきりのナタリーだったが、息子しかいなかった叔父夫婦に可愛がられているようだった。
「どうやら丸く収まったようだな」
一応の結末を知らされた私は、部屋で一人呟いた。
『ちょっと!何を呑気にしてるのよ!』
「何だ。まだいたのか。すっかり解決したぞ。お前はさっさと未来に帰れ」
恐らく自称聖女が語った未来にいたナタリーは、愛人やアメリに虐げられて性格が捻じ曲がってしまったのだろう。目を見て、ちゃんと会話をすれば彼女の優しく慈愛溢れる人となりがよく分かる。そんな彼女がどれほど辛い思いをすれば殺人などという凶行に至ったのか、考えるだけで胸が潰れるような気がした。
『一つ問題が解決したからって、全部丸く収まると思ったら大間違いよ!』
「侯爵家の問題が片付いて、私達のわだかまりも解けた。これ以上、何に問題があると言うのだ」
『大アリよ!全部の問題が片付いたなら、アタシはココにいるはずがないんだから、問題はまだあるはずよ!』
キンキンキャンキャン煩い。
「聖女を自称する癖に、とんでもない無作法者だな」
『生憎と生まれてこの方、庶民生まれの庶民育ちよ!』
「どうしてそんな女を創世神は聖女に選んだんだ……」
普通ならば加護の篤い王族や臣籍降下によって興った家や輿入れ先の高位貴族から選ばれるべきではないだろうか。
『アタシだって、アンタの御守りなんかしたくないし、好きで庶民になった訳じゃないわよ』
「……どういう意味だ?」
『どっかの馬鹿王子が女の見る目が無くて破滅して、その子孫も没落。領地も与えられず、御役目にも就かせてもらえず、100年後には王族の血を引く庶民が出来上がりってわけ』
女の言葉に思わず息を呑む。
『アタシの名前はリゼット。普段はこの名前で通してるけど本当の名前は違う』
この国の平民には苗字は無い。よくて【○○村のリゼット】と言ったところだろう。だが、そんなものを勿体ぶって言う訳が無い。
『リゼット・ド・アジュール。100年後のアンタの子孫よ』
王族の名を騙る不届き者の可能性もあった。けれども、女は己の瞳を見せつけるように顔をつき出して来た。
「神聖眼か……」
『御名答。名前はいくらでも偽れるけど、愛し子セレステの子孫にだけ受け継がれる瞳なら一目瞭然でしょう』
神聖眼はルリジオン王国の王族にだけ引き継がれるもの。見る角度によって、空の色にも海の色にも、川の色にも見える不思議な青い瞳の色だ。普通、王族と相対する者は下から上を見上げることが多い為、気づきにくい。故に、真贋を見分ける良い材料として王族のみに伝えられる秘密でもあった。
『アタシは未来を変える為に来たのよ』
「未来を変えるって、どうやって……」
『簡単でしょ。アンタは脇目も振らずにナタリーを愛せば良いのよ』
「あ、愛……」
『かまととぶってんじゃないわよ』
自称聖女――もといリゼットは、フンと鼻を鳴らして私を小馬鹿にしてくる。私の子孫だと言うが、庶民とはこんな下品で蓮っ葉な物言いをするのか。
『何度でも言うけど、アタシは好きで貧乏暮らししてるんじゃないわよ。アンタが仕出かした馬鹿馬鹿しい話の尻拭いを子孫達がさせられた結果がアタシなの』
「……」
『アンタが身の程を弁えて、紳士としてナタリーを尊重していれば、アタシは今頃王宮で優雅にお姫様として暮らしていたことでしょうね。不出来で頭の悪い先祖を持つといらない苦労をさせられるのよ』
一言どころか、心の中の言葉までも読み取るのか、リゼットはその何倍もの量で私を言い負かしてくる。これまで私を罵倒する者がおらず、正直どうして良いか分からなかった。
『こんな口の悪い女が来て繊細な王子様はさぞ御不満でしょう。けど、アンタの代以降、何の因果か分からないけど、アタシ以外に王家に女児が生まれなかったのよね。恨むならアタシじゃなくて運命を恨みなさいよ』
「……」
『あら、言い返さないの?』
言い返してやりたいのに、言葉に詰まる。
そうなってようやく、これまではいつでも私が話しやすいように周囲の者達が言葉を促してくれたのだと気づかされた。彼女のように自分の言いたいことだけ言って、私の返答に恐れを抱かない者などいなかったということにも気づかされた。
『とにかく、明日からアンタは敬虔なる神の僕として、創世神が遣わした聖女であるアタシの言葉に従いなさい』
黙り込んでしまった私に呆れながら、リゼットは命じたのだった。