愚かな侯爵家
ブランシュ侯爵家に到着すると、狼狽える執事長に出迎えられた。
先触れを出していたというのに侯爵の姿どころかナタリーの姿も無い。
「大した用は無いのだが、行き違いがあっては困ると思って足を運んだのだ」
「左様でございますか」
「少しの時間だけでも良いので侯爵と会って話したい」
応接間に護衛達と共に案内される。事前の約束が無いので仕方が無いので黙って待った。
『品の無い部屋。高そうな調度品並べりゃ良いってもんじゃないでしょうに』
『壁紙の色、ケバい』
『くっさ。何この花。香り強過ぎない?』
誰にも見られていないのを良いことに、自称聖女が部屋の中をうろうろと歩き回る。その行為もまた品の無い行為だと思うのだが、口にするのをグッと堪えた。何もない空間に独り言をつぶやく人間だと護衛達に思われたら居た堪れない。
しかし、先程からずっと嫌な考えが頭を巡る。この待ち時間は好意的に見れば大仰な出迎えをしようとしているのかもしれないが、その逆だとすれば証拠隠滅を図っている可能性もある、と。
「侯爵とナタリーは……」
執事に声を掛けた瞬間、扉がガタンと不愉快なほど乱暴な音と共に開いたのだった。
「王子様はこちらですか!?」
そう言って部屋の中に入って来たのは私と同じくらいの年の娘。
『は?王族がいるって分かってんのに飛び込んでくるなんて、頭イカれてんじゃないの?』
自称聖女は非常に口が悪い。だが、内心その通りだと頷いた。決して私が驕り高ぶっているのではない。この国の一般常識からすれば、平時に上位者がいる居室に無断で入室するなど、無礼打ちにされたところで文句など言えない。
「テオフィル様ですよね?私、アメリです。アメリ・ド・ブランシュですわ」
『いきなり名前呼び?ホントに行儀も何もあったもんじゃないわね』
私が口を開く前に、少女はベラベラと己の名前を名乗った。
「我が家にいらっしゃるのは初めてですね。お会い出来て嬉しい」
アメリは近づいて来て私の隣に立とうとした為、近くに控えていた護衛が間に割って入る。正式な訪問ではなかった為に護衛も少なく、警備が不十分になってしまったと失敗したと後悔した。私の軽率な行動が周囲に迷惑を掛けているのだ。
『反省が多い人生って大変よね。精々励みなさいよ』
ざまぁみろと言わんばかりの自称聖女。この女が現れた瞬間から、私は己の不甲斐無さと強制的に向き合わされているように思う。
「でも一体どうしていらっしゃったの?分かった!婚約破棄しに来たんでしょう?そうよね。お姉様なんて血筋が良いだけのつまんない人だもの」
『どういう理屈をこねたら、そんな話になるのよ』
もちろん自称聖女の声など少女には届かないが、言わずにはいられないのだろう。
「お姉様?」
「えぇ!私のお父様とお母様の結婚を邪魔した女の娘よ。お姉様さえいなければ、私は生まれた時からここで暮らせたのに……」
ニコニコと愛想良く笑って見せていたアメリと名乗る少女に、あえて『姉』という単語に水を向けると彼女は苦々しく吐き捨てるように言った。つまり彼女はナタリーの異母妹ということか。
「アメリ!そこで何をしているんだ!!」
この屋敷の主人であるブランシュ侯爵がようやく姿を現す。部屋の中での会話が聞こえたのか、悲鳴にも似た声でアメリを叱りつけるのだが、その隣から更に別の声が上がる。
「まぁまぁ!ようこそいらっしゃいました」
こちらも見知らぬ女だった。派手で少々目のやり場に困るようなドレスを来た化粧の濃い女。
「侯爵。この二人は?」
「それは――」
「私は侯爵の妻のジュリーですわ。本日はどのような御用で?」
勝手に話し続ける女達を無視して、私は侯爵に向き直る。
「私の記憶が正しければ、侯爵の妻はナタリーの母である亡きブランシュ侯爵夫人だけのはずだが?」
侯爵夫人は五年前に亡くなっている。その頃はまだ婚約関係になかったので見舞うことはなかったが、知識として知っているし、侯爵が再婚したという話も聞いたことが無い。
「そんなことはどうでも良いではありませんか!それよりも先程、『婚約破棄をしに来た』と聞こえてきました」
『このバカ娘が勝手に言ってたでしょ』
そう言って自称聖女は呆れたとばかりに肩を竦める。
「やっぱりナタリーのように地味な娘が王子妃なんて無理な話だったのよ」
「……」
「ねぇ、王子様。ナタリーよりも私の娘であるアメリの方が、ずっとお妃に相応しいと思いますわ」
ベラベラと語り続ける女達に私よりも後ろの護衛達の方が腹に据えかねた様子だったのだが、『動くな』と目配せをしてどうにか抑える。娘の方もその気でいるのか、こちらに微笑みかけてくる始末。
「侯爵は、ナタリーよりもアメリの方が私に相応しいと思うか?」
「……ア、アメリは愛らしく、殿下の御隣に立っても見劣りすることはないように思います」
「見劣り、か……」
揉み手をして愛想笑いをしながら侯爵は答える。つまりナタリーでは私の隣に立つには相応しくないと言っているようなものだ。女達はともかく、実の父親である侯爵までナタリーを蔑ろにする環境なのだと私は理解した。だから侯爵はアメリに挿げ替える為にナタリーの悪い噂を放置したのだろう。そして噂の大本は、娘を貴人に添わせたい愛人の陰謀だったと言うわけか。
「彼女達は自分を侯爵の妻で娘だと言うが、それは正式に教会の許可を得ているのだろうか?」