青天の霹靂
『あー!!やだやだ!性格悪い男って最低!』
突然投げつけられた罵倒に、私は驚きに目を見張った。
私の名はテオフィル・ド・アジュール。穏やかな昼下がり、私は王宮の庭で婚約者であるナタリー・ド・ブランシュと共に過ごしていた。この場には婚約者であるナタリーと数人の使用人しかいないはずだった。
そうだというのに、一瞬の隙を突いて私の前に16、7歳くらいの平民のような身なりをした女が現れたのだ。女は不躾にもテーブルに手をついて私を見下ろしてくる。
『せっかくのティータイムだっていうのに辛気臭い顔しちゃって、鬱陶しいったらありゃしない。美味しいお茶もお菓子も、アンタの顔のせいで不味くなるわ』
幻かと思ったが、更に続いた侮辱の言葉に私は椅子から立ち上がって女から距離を取った。
「テオフィル殿下?」
「何を平然としているのだ!君には見えないのか?」
「仰っている意味が……」
目の前に不審者がいるというのに、ナタリーは私を見上げて首を傾げるばかりで動こうともしない。それどころか侍従達まで不審げに私を見る始末。
『不審者がいたら、そりゃあ逃げるわよね。でも、仮に危険が迫っているのなら、か弱い女性を庇うとかそういうこと出来ないわけ?全く情けないったら無いわね』
女は私を心底軽蔑した表情で罵詈雑言を言い続ける。
『それにしても、茶会の主催者の癖にアンタの態度は何?婚約者が場を盛り上げようと一生懸命話を振ってくれてるのに、面白くも無さそうに生返事ばっかり。自分が王族で、相手が臣下だからって舐めてんの?』
立て板に水のごとく暴言は止まらない。
『最近の流行なんてどうでも良いし、お菓子の話題なんて頭の弱い話はしたくないって?何様のつもりよ?あぁ、王子様って?女一人笑顔にさせられないくせに調子に乗ってんじゃないわよ!!』
女は私が王族であることを知っているようだった。にも関わらず、王族を罵倒するなど正気ではない。これまで注意されることはあっても傅かれて生きて来た私は、言い返すこともできず、身が竦んで動くことが出来なかった。
『あら、だんまり?本当に情けない。弱い者にしか強く出れないなんて男の風上にも置けないわね』
追及の手が緩むことはなく、私はすっかり参ってしまった。
「殿下、大丈夫ですか?御顔が真っ青だわ。今日はもうお休みになった方がよろしいかと思います。そこの貴方は、御医者様を手配して頂戴」
見知らぬ女には気づかないものの、私の尋常でない様子を見て慌てたナタリーや侍従達が動き出す。
ナタリーは常々気の回らない女だと思っていたが、今回ばかりは助かった。そうして茶会はお開きとなり、私は侍従達に抱えられるようにして部屋に戻った。医者やら何やらに騒がれたものの、特に問題はなく、過労ということで私は明日の予定までキャンセルして休むことになったのだった。
使用人達も部屋から下がり、誰もいなくなった部屋でようやく人心地がつく。
先程の『アレ』は何だったのだろうかと考えながら、用意されていた香草茶を一口飲む。
『安心したところで悪いけど、逃げられると思ったら大間違いよ』
再び姿を現した女に驚き過ぎて、私は口に含んだものを噴き出した。取り落としたティーカップがソーサーにぶつかり、ガチャンと不快な音を立てる。
「なッ――!」
「殿下!大丈夫ですか!!」
女を誰何する前に、部屋の外に控えた護衛達が雪崩れ込んでくる。しかし、彼らも私の目の前にいる女に気づくことはない。見えないものを言及したところで、私自身の精神を疑われるだけなので口を噤むしかない。
『そういえば部屋の外じゃ、アンタが勝手に体調不良になったせいで責任を誰が取るのか騒ぎになってるわよ』
「――ッ!?」
『今日はそれなりに日差しも強かったし、日除け係辺りが無難かしらね』
医者の見立てでは毒の混入ではないと分かっている。何より、私は女を見て驚いて挙動不審になったのであって、決して霍乱したのではない。だが、高位の人間が不調になれば、責任の所在を問われることはままあることだ。そして今回の場合は、女の言う通り日除け係の侍従が“適任”であろう。
「何でもない。どうやら昨夜、読書に夢中になり過ぎたせいで睡眠が足りなかったようだ」
「左様でございますか」
「あぁ。私が至らぬばかりですまない。従者達にも気に病むなと伝えてくれ」
暗に従者達に責任を問わないと言えば、今回は問題にされることはないだろう。女の言葉を真に受けたつもりは無いが、何のフォローも入れないでいて、明日の朝には誰かが解雇されていては目も当てられない。
「勿体ない御言葉でございます。ですが、殿下の御心遣いを侍従らは喜ぶことでしょう」
それから護衛は『夕食までのお時間、ゆっくりお休みください』と部屋を退出していった。