捨倉壮の番人
山裾を歩いて、日暮れの谷川、偶然出会った山小屋で、小屋番らしき老人の話を聞いた。
禿取山を、巻くように流れている美針川に沿って、捨倉山麓に達した頃には、もう夕闇が押し迫っていた。
谷間の夜は早く、都会での秋は、山での晩秋であった。
遠く、近く、高く、低く、合唱の様にも、輪唱の様にも、オーケストラの様にも、個々が勝手に歌う独唱の様にも聞こえる、虫の音を浴びながら、野宿の場所を求めて、歩みを進めた。
足下に流れを感じながら、突き出た岸壁を回り込んだとき、突然、強くなった水音を聞いた。
”おやっ!”思いながら、顔を上げると、前方に丸木橋が架かり、対岸に小屋があった。
今、窓から灯黄色の光がもれて、橋の下の小さなダムに、微かに照りかえっていた。
橋を渡り、ぐるりと回り込んだところが、入口になっていた。
扉には、木の枝で”ステクラ荘”と、なぞられてあった。
扉の前に立ったとき、不思議な雰囲気に打たれた。
それは、子供の頃の、古里を思い起こすような、懐かしい、暖かい感覚であった。
私は、野宿をあきらめた。
扉を開けて、中に入った。
最初に目に入ったものは、正面に据えられた、暖炉であった。
それは、本物の暖炉であった。
今、中は、あかあかと燃えて、丁度いい暖かさを、その人に与えている諷であった。
その人は、曲がった木の枝をうまく利用して作った、寝椅子に、横たわっていた。
私は、その人を、最初は客かなと思ったが、すぐに、この小屋の番人だろうと、思った。
その人は、目を閉じていた。
60歳とも、80歳とも、あるいは、それ以上の年齢とも取れる、その人の顔はふっくらとし、髪も髭も無かった。
私は、黙って入ったことを詫びた。
そして、今夜は泊めてほしい、と言った。
「私はね、あなたを知っていましたよ」と、突然、笑いながら、その人は言った。
私は、驚いた。
聞き返そうとする私を、目で制して、壁ぎわのベッドを指した。
ベッドには、乾し草の感覚があった。
その人は言った。
「私はね、昔、仙人に成りかかっていましたが、今は、この小屋の番人です」
ベッドに横たわった私は、快く疲れていた。
私は、この人と、話しても良い気がしていた。
「仙人とは、何ですか」
「仙人とは、道を知り、不老不死で、空を飛び、自由自在に生きられる者のことです。・・私が最近知った条理と、その前に知った条理との間には、ずい分長い間隔がありました。私は、自分が仙人になれるのも、そんなに遠い先ではない、と思っていました」
「条理とは何ですか」
「条理とは、物事のすじ道のことです。
私のような者も、仙人も、皆一様に、枯れ木のごとく痩せていました。
仙人は、痩せていなければならないのだろうか。
私は、美しく太った仙人に成りたく思いました。
私は、木の実や果物を、より多く食べました。
仙人の心境に近い、私が決心したことです。
これまでの時に比べれば、ほんの短時間で、それは成し遂げられました。
それと共に、
物事や、自然の営みを、優しい心で、見るようになって来たのです。
そうです。心というもので。
私は、楽しくなってきました。
私は、このことを、私と同じような仲間に、知らせたくなりました。
そこで、捨倉山頂に登り、近くの戸鳴山に飛ぼうとしました。
しかし、私には、乗るべき雲も無く、飛ぶべき力も無いことを知ったのです。
私は昔、仙人に成りかけていました。
今は、この小屋の番人です」
この小屋の番人です。という言葉を最後に、私は、深い眠りに落ちいった。
翌朝、目覚めると、小屋には、土地の人らしき女がいた。
女は言った。
「この小屋は、私のものです。
あの人は、山から来て、今朝早く、山に帰っていきました。
この小屋は、来年の春まで無人になります」と。
捨倉壮の番人 (改訂版 完) 2019.11.24
理性と感性は、地道な努力と不可欠であろう。
人の生き方を考えよう。