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一通の書状

王都から二頭立ての馬車で30分ほどの閑静な住宅街に佇む、ここオルティス侯爵家の別荘。

別荘といえども150年の歴史と威厳を感じさせる調度品に彩られたダイニングルームからは、見頃を迎えた春の花々が競うように咲き誇る美しい庭がよく見える。

飴色に艶めくダイニングチェアにゆったりと座り、お気に入りの庭を眺めながら甘い物とお茶を愉しむひと時。

この時間こそ、侯爵家令嬢として恵まれていることを実感するものだ。


「はぁ…このラズベリーパイ…最高だわ…。香ばしくてサックサクの生地も、甘すぎないフィリングも絶妙!しかも添えてある生クリームラズベリーの甘酸っぱさを柔らかく包み込んでいい仕事してるっ!いつの間にか1切れなくなっちゃう。」


言いながら最後の一口を噛み締めるように味わうと、本日もう何度目のかの幸せなため息が漏れる。

侍女にお茶のお代わりをもらいながら、向かいに座る少女がつられたように微笑む。


「ええ、本当に美味しいわ。キアラのところのお菓子はいつだって絶品ですもの。私、キアラのところにお茶に伺う度に太っているような気がするわ。」


丸顔にエクボを作りながらおどけてみせるのは、親友のエマ。


「エマは全然太ってないから気にする必要なんてないわよ。それとも何?また結婚のことで悩んでいるの?」


「その悩みは結婚相手が決まるまで尽きることはないわよ。」


「あら、そう。イブ、もう一切れお代わりをちょうだい。」


「承知いたしました。今日も料理長が大喜びするような食べっぷりですね、お嬢様。」


「美味しいのだから仕方ないわ。またあとでお礼に行かなくちゃ。」


イブと呼ばれたまだ年若い侍女は空になった皿を盆に受け取ると、嬉しそうにキッチンへと下がっていった。

その様子を目で追いながら、エマが口を尖らせる。

大きな茶色の目にふっくらした丸顔のエマは、そんな顔をすると小動物っぽい。


「キアラは毎日甘いもの食べてるのにスタイルが良くって羨ましいわぁ。肌が荒れてるのだって見たことないし。神様ったら不公平だわぁ。」


「そんなことを言ってくれるのはエマと両親くらいのものよ。」


「またそんなこと言って…ほんとに世事に疎いっていうか、自分のことに頓着がないっていうか。」


「あら、世間ではエマのように女性らしい娘の方がモテることは知ってるわよ。」


キアラは紅茶を口に運びながら、横目でエマをちらりと見る。

体型を気にするエマだが、キアラから見れば女性的な凸凹のある魅力的な体型だ。

愛らしい見た目に、ふっくらした身体つきという組み合わせは、世の男性を魅了するものではないのか。

ところがエマはどこか不満そうにキアラを睨めつける。


「もう、お世辞なんて言って…。はあ、キアラほど容姿にも家柄にも恵まれていたら、縁談だって選り取り見取りなのに!性格だってとっても優しいし、面白いし。」


「褒めすぎよ。」


「そうね、あえて欠点をあげるなら…食いしん坊ってところかしら?」


「侯爵令嬢なのに食いしん坊っていうのは、それこそ玉に瑕ってやつじゃないかしら…」


最近のエマは年頃の娘らしく結婚相手探しに余念がない。

キアラとて貴族令嬢なので、ゆくゆくは結婚しなければならないだろうが、今はまだ想像もつかないというのが本音だ。

世に珍しくも恋愛結婚の両親は、娘に無理強いしたくないのか、キアラに結婚を急かさないことも「そういうこと」に興味を持てない要因かもしれない。


「エマは相変わらず結婚相手を吟味中なの?」


「勿論よ。この前、珍しく伯爵家のご長男という方からお話がきたので、お会いしてみたの。絵姿もそんなに悪くなかったし。なんて言ったって貴族ですし。」


エマは貴族ではなく、いわゆる銀行家の長女だ。

銀行業で大成功を納めたエマの祖父は、その一代で栄華を築いたやり手で、ライブリー家といえばそこらの貴族を凌ぐ財力を持つ大財閥だ。

世間では「新興貴族」と言われることもあるが実質的な爵位はなく、エマは時折そのことに対するコンプレックスをのぞかせる。


「ところが、お会いして30分間ずーーーっと、無言だったのよ。」


「え?嘘でしょ?エマはどうしてたの?」


「最初は、天気がいいですねとか、休日は何されてるんですかとか聞いてたけど、『はあ』『いいえ』『別に』と5文字以下の返答しかなかったら、最後は無言よ。」


「…お相手は何と?」


「父が聞いたところでは、『何を話せばいいか分からなかった』そうよ。」


「……」


「そんなに私に聞きたいことないのかしらね?…恋愛って難しいわぁ。」


恋愛経験値でいえば最底辺のキアラだ。

エマの呟きに否定も肯定もできず、無言で紅茶をすすった。

ちょうどその時、気まずい空気を消すようにして玄関の呼び鈴が鳴った。

今日は両親とも不在なのに客人かしらと考えていると、ドタガタッという何かが倒れるような音がした。

続いてバタバタッと何人かが廊下を走って徐々にダイニングへと近づいてくる。

そして勢いそのままバンッと乱暴にドアが開かれると、振り向いた先には見慣れた顔が二つ、こちらを凝視していた。


「お、お嬢様!これ!」


顔面蒼白な侍女イブと、戸惑い顔の老年の執事トーマスだが荒れ狂った馬のごとくこっちに駆けてきたと思ったら急停車。


「た、た、体当たりされるかと思ったわ。って、何これ?封書?」


猛烈な勢いで飛び込んできた二人から身体を守るように突き出し手に何を勘違いしたのか封書が渡される。

しっかりとした厚みがあり、一目で上質な紙であることが分かる。


「イブ、落ち着きなさい。お嬢様、こちらは王室から届けられた封書でごさいます。しかも、ご主人様宛ではなく、お嬢様宛でごさいます。」


イブの背中をあやすように軽く叩きながら、トーマスが落ち着いた声で補足する。


「おうしつ?」


なにそれ、そんなお菓子あったっけ?おいしいの?と錆びついた人形のごとく首を回すと、ポカンと口を開けて令嬢にあるまじき惚け顔をしたエマと目が合う。


「…おうしつ…おう…王…室…?…王室?!」


「おうしつ」と王都の中心に聳える豪華絢爛な建物である「王室」が繋がった途端、思わず大きな声が出てしまった。

封書を落とさなかったのは奇跡だ。


「待って!全く身に覚えがないわ!社交界シーズンまでは少しあるし、王宮でのお茶会に呼ばれるなんて…ってよく考えたらどちらも私宛にくるものじゃないわ!私個人宛っていうのが、こ、こわっ!恐怖!」


不幸の手紙の受取人よろしく慌てふためく私を落ち着かせようと、トーマスが椅子に座るよう促す。


「どうぞお嬢様、落ち着かれてください。まずは中身をご覧になりませんと。何かあれば、ご主人様にご相談する必要もございますので。」


「た、確かに、そうね。」


穏やかなトーマスの語り口調に少し冷静さを取り戻し、彼に差し出されたペーパーナイフを受け取った。

再びギクッとしたのは、赤い蝋に押された精緻な蘭を模した紋章が、紛れもなく王家のものだったからだ。

微かに震える手で蝋封を切って、中をあらためる。

飛び込んできた文面の意味を理解したのと、いつの間にか隣にきていたエマがヒュッと息を呑むのが同時だった。


曰く

『キアラ・オルティスを、ベアトリーチェ・アベリア・グレートフィールド王女様専属の侍女とする。

必要なものは王家にて全て用意するゆえ、明後日の午後、王家からの迎えとともに入城されたし。

なお、この書状をもって王命とする。』


「私が…王女様の侍女?!な、なぜ??」


青天の霹靂とはまさにこのことだ。

侯爵家はいわゆる上流貴族には属するのだが、オルティス家は少々事情があって、あまり積極的に社交の場には出ない。いや、正しくは「出られない」のだが。

そんな家に王女の侍女という大役の白羽の矢が当たるなど、まず考えられない。

もちろん、自身も王家との繋がりは皆無だ。

自分にある記憶では、王城に行ったのは父の仕事の関係で1度だけ。

王女の存在は無論知ってはいるが、公務や新聞での絵姿で拝見する程度の情報しかない。

なのに突然侍女に召し上げられるなど、誰が予想できるだろう。

明日は空から槍でも降るのだろうか。いや、槍は怖いからパイ、いや、当たった時のこと考えると柔らかめのスポンジケーキがいい。


「キアラ、それ、本物なのかしら?」


「はっ!!」


その線があったとばかりに、エマの言葉に一縷の望みを託して書状を確認する。

上質な紙に絶対不可避と有無を言わさぬ堅い文字と文言。

うん、王室っぽい。

文末に走り書きのように書かれているのは名前の綴りから察するに、もしかしなくても王陛下直筆のサインだったりするのか。

うんうん、これも王室っぽい。

触り心地が気になって光にかざすと、紙自体に透かしで王家の紋章がデカデカと入っていることにも気づいて、さらに王室っぽさしかない。


「あらぁ、まごう事なきホンモノ感。」


「あ、これを届けられた方の馬車にもこの紋章ついておりました。」


一緒に透かしを見上げるエマとイブの放った最後の一押し。


「…とりあえず、お父様に相談だわ…。トーマス、急ぎ使いを出してちょうだい。」


「畏まりました。」


サッと部屋を出て行く執事を見送り、がっくりと肩をおとして座り込む。

その肩に、エマが元気付けるように手を置いてくれる。

頼れるものは、優しい親友だ。

心配そうに顔を覗き込むエマがそっと声をかけてくれる。


「王宮にも、おやつの時間あるといいわね。」


「……食いしん坊じゃないっつの」


お嬢様には死活問題ですからねと言いながらお茶を入れなおしてくれようとするイブを見て、キアラは今度こそ遠い目になった。

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