8区にて
次の目的地へと向かう道中。
ジャンヌは窓の外に流れる景色を眺めるふりをしながら、その実、頭の中では様々な仮説を猛スピードで組み立てていた。
脳内で繰り返される、セルジョのあの言葉。
『あそこはうちとは#違った形__・__#で商売されています。』
それを聞いてジャンヌが思い浮がべたのは、#あの__・__#商会だった。
アントニオ商会とかいうところも、もしかして同類、いや、むしろ同腹か?
だとすれば、ここからの調査は慎重に、かつ彼女たちに危険のない程度にしなければならない。
カフスボタンの作り手だけを探ったら、残りはオテルに帰ってから手紙を出ー
「ジャンヌ、次の区では昼食も兼ねて少し休みませんか?」
沈んでいた思考から一瞬で浮上すると、向かいにあるライラックの瞳がヒタとこちらをとらえる。
その目に、不安や疑問がありありと浮かんでいるものだから、ジャンヌは思わず苦笑する。
彼女は本当に顔に出やすい。
そこも、美点の一つなのだけれど。
「そうだね、移動ばかりで疲れたよね。ウィルも、泣き言を言わず、よく頑張ってるぞ。」
隣に座る小さな頭をくしゃくしゃっと撫でると、ウィリアムは嬉しそうに頬を蒸気させる。
その様子に少し心が癒されたのか、キアラの口元にも笑みが浮かぶ。
「8区に美味しいお店があるといいですね。せっかくイグニスにきたので、何か海の幸を使った料理をいただきたいです。」
「ボク、エビが食べたいー。」
「いいですね、エビ!パスタにピザにオイル蒸!私もエビに1票を投じます!」
そう言ってウィリアムに微笑むキアラに、今度はこちらが癒される。
彼女は昔から、食べ物の話をしている時が一番輝いているように思う。
「可愛い。」
「え?」
「カワイイ」という食材があったかな、みたいな顔でこちらをポカンと見ること、1秒。
彼女の中で言葉と意味が繋がるまでにまた1秒。
納得顔で頷くのを見て、ああこれ全然伝わってないなとジャンヌが悟るまで、計3秒。
「はい、ウィリアム様は本当に可愛らしいです。」
「だよね、うん、分かってた。」
「はい、勿論です。」
「…ウィル、俺を慰めようとしなくていいから。」
手を伸ばして頭を撫でるウィリアムを制しながら、心中叫ばずにはいられない。
5歳児に分かって、どうして彼女には伝わらない?!
「ジャンヌ、どうかしたんですか?さっきから変ですよ?」
「いや…別に…」
小首を傾げる彼女を恨みがましく見る。
彼女の仕草一つにも、心が騒つく自分には辟易する。
キョトンとしたあどけない顔も、自分のことを心配してくれる少し怒った顔も、美味しいもの前にしたときの嬉しそうな顔も、彼女の全ての表情を独り占めにしたい。
だが、#今の彼女に__・__#に、#今の自分は__・__#どこまで踏み込んでいい?
どの程度なら触れても許される?
そんなジャンヌの葛藤を、まるで読んだかの如きタイミングでウィリアムが肩をトントンと叩く。
「ジャンヌ、ボク、今思い出したんだけどね。ベス姉様が、『イグニスで何かあったら、ただじゃおきません』って言ってたよ。」
途端、ジャンヌの気持ちはスッと凪いだ海のごとく静まった。
温度で言えば氷点下。
「まあ、何だか物騒なお言葉ですね。どういう意味でしょう?」
「キアラ、俺への警告だから、気にしなくて大丈夫…」
一つ息を吐いたところで、区画を示す看板が窓の外に流れていくのを目の端に捉える。
ようやく、馬車が8区へと入った。
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8区は繁華街というだけあって、活気は他の区と一線を画していた。
道の両側には、八百屋、雑貨屋、お土産屋など、大小様々な店が立ち並び、地元の人や観光客が入り混じって買い物を楽しんでいる。
店の表に出ているレストランやカフェのテーブルには、お昼時を少し過ぎた時間にも関わらず、人々が食事と会話に花を咲かせて賑わっている。
「どのお店にしますか?」
隣を歩くジャンヌに尋ねる。
「お…私はどこでも良いですわ。」
「ボクも、エビが食べられればどこでもいいー」
人が多いこの地区では女性として過ごすのが適切だと判断したらしいジャンヌと、その手を繋ぐウィリアムが、揃ってニコリと微笑む。
なるほど、キアラに丸投げということか。
「そうですか…どこがい…」
「キアラっ」
言いかけたところで、横から伸びてきた手にグッと肩を引かれる。
角から急に人が飛び出してきたのだ。
ぶつかりそうになったのだとすぐに気づく。
「し、失礼いたしました。」
「いえ、こちらこ…」
言いながらこちらを見た男は、どういうわけか驚いたようにジャンヌを見たまま動かない。
その美貌に唖然としているのだろうか。
ちなみに、ぶつかりそうだったのはキアラの方なのだが。
それに、大きく肩で息をしているので、急いでいたのでは。
「あの、何か?」
ジャンヌが不快をあらわに眉間を寄せる。
「あっ!すみません!つい…」
ああ、やはり美人のジャンヌに見惚れてたわけか、と納得しかけた時、角の奥が俄に騒がしくなる。
同時に、目の前の男が明らかに焦り始めた。
「あの、どうかされたんですか?」
挙動不審な男の様子に、思わずキアラのお節介が発動されてしまう。
ただ、なぜか男は尋ねたキアラの顔はチラリと見ただけで、ジャンヌの両肩を掴むとこう言った。
「どうか、私を助けてください!」
「はぁ?!」
「悪い奴らに追われてるんです!どうか、お願いです!」
「ちょ、離れ…」
スッとジャンヌの目つきが冷たいものになる。
彼女、いや、彼の強さなど知らないのだが、キアラの本能が全力でアラートを鳴らしている。
「ジ、ジャンヌ、乱暴はダメよ?!それに、目立ってしまうのはダメでしょう?!しかも、ウィリアム様のいる前で!」
ジャンヌの耳元で、#叫ぶように__・__#囁く。
「ボクなら大丈夫だけど?」
「ウィリアム様は少しお静かに!」
囁きがきいたのか、ジャンヌの拳が緩む。
その拳を一体どうしようとしていたのか?!
そうするうちに、また一つ騒ぎの音が近くなる。
複数の人間が何か言い合っているようなのだが、内容まではよく分からない。
もしかして、デマントイドの公用語ではないのかもしれない。
「まずい…お、お願いします!あいつらに見つかる前に!どうか…!一時でもいいんです!」
男は何度も後ろを振り返りながらも、しつこくジャンヌに食い下がる。
縋りついて助けを懇願する男と、路地裏の騒ぎを合わせれば、キアラにだって男がまずい状況なのは分かる。
よく見れば、シャツの首元と脇が汗に濡れて色が変わっている。
それに、何かに怯えるような表情は、とても演技だと思えない。
意を決っして男の腕をとると、ジャンヌが小さく悲鳴を上げる。
「ちょっ!」
「ジャンヌ、あの店にしましょう!」
「は?!」
「さあ、貴方も行きますよ。ウィリアム様は私と手を。さあ、早く。私、お腹が減って倒れそうなのです。今すぐ何か食べないと、泣いて怒って暴れてしまいます。」
「キアラ…様!ちょっとお待ち…」
「いいえ、待ちません。お店はどこでもいいのでしょう?ウィリアム様もそう言いましたよね?」
ウィリアムはキアラの笑みを見るとコクコクと首を小刻みに振る。
「貴方も、店の好き嫌いは受け付けません。」
「えっと…」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、男はどうすべきかとオロオロしている。
キアラはその様子に段々腹が立ってきた。
いや、本当にお腹が減っているせいかもしれない。
「私たちとご飯を食べたいんですか?食べたくないんですか?どっちです?!はっきりしなさい!」
「は、はいぃ!食べたいです!」
「だったら、行きますよ!」
「キアラ様!」
キアラは男を逃がさないようにグッと腕を組んでおり、ウィリアムとは片手をつないでいた。
その後ろを、不服そうに追いかけるジャンヌの姿を合わせて外から見ると「若夫婦とその子ども+侍女」にしか見えず、慌ただしい足音は遠くへと消えて行った。




