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花守りと帰れない男  作者: 居川 アリク
1/3

 その男は逃げていた。

「クソっ――…!」

 思わず悪態を吐く。あと少しで花に手が届くはずだったのに。

 脇腹を片腕で抱えて走る。ズキズキと痛む傷の手当てをしたいところだが、まずは距離を取ることが必要だった。

 売れば絶対に金になる、妙薬の《紫慈(しじ)の花》。その噂を聞きつけて、森深くまで入り、岩場を3日かけて探し見つけた。だというのに採集する段階で1人が裏切り、そこで仲間は散り散りに。

 こんなところで死ぬなんて冗談じゃない。

 男は来た道を戻るのではなく、逸れることを選んだ。あと1人が無事かどうかは不明だ。

 鬱蒼とした高木が空からの陽射しを遮っていて、辺りには身を隠せそうな茂みはない。足元にはごろごろとした石が転がっている。しばらく走り続けて足を止めた。その先は崖。降りるのは難しいだろう。せめて崖沿いに歩いて行けば奴と鉢合わせずには行けるだろうが、一晩森に野営することを覚悟しないと。

 ――カサッ。

 落ち葉を踏む音が響く。かなり小さい音でも、今の敏感な耳は拾ってしまう。

 その男――ダンは木の陰に身を潜めた。相手から木陰からはみ出たダンの半身が見えてしまうとしても、そうせずにはいられない。短剣を手に警戒を強めた。そこにいたのは青い野鳥。鳥は木の実を落として遊んでいる。

「……まったく、驚かせるなよ」

 その安堵も束の間。

「そこにいては危ないぞ」

 背後から声が降ってきた。

 ダンは短剣を声の飛んできた方向へ投げる。一直線に刃が閃き、崖下に向かって落下した。

「なんだ、あ――?」

 右手をついたが最後、そこから腕が地面を突き抜ける。穴だ。身体は右に傾いた。地面に穴がぽっかりと口を広げ、男の意識もろとも飲み込んだ。


 *


「だから、そこは危ないと言ったのに」

 全身茶色のローブを纏った何者かが穴の淵にしゃがみこむ。

 返答はない。

 鼻を利かせると、土と枯葉に混じって血の匂いがした。

 これで今日、会った人間は2人目だ。そちらは死んでいたが、こちらは生きている。

「花を巡って争ったのか。まったく、難儀な生き物だなぁ……」

 罠に掛かったこの人間を放置していくこともできたが、その場合、夜を越す前に失血死するだろう。

 最近、変化のない暮らしに退屈し始めていたところだ。ちょうど良い頃合いだから連れ帰るか。そろそろ花の株分けをするのもいい。

「よし、そうしよう」

 彼の頷きに呼応して、何かが蠢く。土より出でしもの――植物の蔦だった。


 **


 静かだった。

 薄闇が瞼を覆い、ぽたりと水滴が当たる。湿った土と青臭い葉の香り。ごつごつとした感触が落ち葉を通して背中にあたる。ひんやりと冷たいのは、自身の体温が高いせいか。

 ――生きているのか。

 ダンはゆっくりと瞼を持ち上げる。乾燥していたのは喉だけではなかったらしい。くっついた皮膚を剥がすような抵抗があった。何度か瞬きを繰り返し、焦点を合わせる。

 岩場だろうか、ダンの斜向かいに人がいた。外套で全身を覆い、覗くのは腕だけ。それがダンの知り合いじゃないことは確かだ。

「……あんた、だれだ」

「私はセレク。君は随分と運が良い」

 その声は、森の中の――。

 恐怖が鮮明に蘇った。ダンは咄嗟に起き上がる。

「あ、あんたはっ、……っごふ」

 ダンは()せた。腹部に痛みが走る。

「無理に身体を動かさないで。傷は洗浄しただけで治療はこれからなんだから」

 痛みのもとにダンが手を触れると、左脇腹にかけて布が巻いてあった。

 セレクが移動してダンの肩に触れようとしたので、ダンはその手を払う。

「来るな」

 ダンは身を反転させ、匍匐前進を始めた。得体が知れない相手の世話になるのはごめんだ。とにかく、光が差す方へ向かう。

「こらこら、逃げない逃げない」

 そう言いつつ、セレクは追いかけてこない。

 不意に足音――ではなく地面を這う音がして、ダンは振り返った。人の姿はない。

 ――じゃあ、何が?

 ()()にダンは足首を絡め取られる。

「――どわっ?!」

 蔦だ。大量の蔦がダンの身体を巻き取り、元いた方向へと引きずり戻した。

「やぁ、おかえり」

 ダンは蓑虫の状態で地面に丸まっている。

「こんなの病人にすることじゃないだろ……」

「この種を飲んでくれるなら、解いてあげるとも」

 セレクがしゃがみ、ダンを見下ろした。フードの下からその顔が覗く。村中の女達と比類のないほど、端整な顔立ちだった。

 彼の手元には小指の爪ほどの丸い種子。

「なんだよ、その種っつうのは」

「飲めばたちどころに万病を癒す《紫慈の花》の種さ。知らない?」

 ダンは目の色を変える。

 それなら話は別だ。自分で効果を確かめておかない手はない。売る時の喧伝話にもってこいだ。

「もらう」

「素直でよろしい」

 ダンは口を開けて種が放り込まれるのを待った。まだだろうかと、セレクの様子を窺う。

 セレクは種を自身の口に含んだ。

「あんたっ、どういうつもりで――」

 ダンの言葉が途切れる。

 セレクの瞳が、頬が間近にある。唇同士が混ざり合う。深く吸い尽くされ、ダンは混乱した。むっと漂う植物の香りに気が遠くなる。

 やがて、セレクが舌先で何かをダンの口腔内に転がし入れる。

 唇が離れた。

「飲み込んで」

 ダンはその囁きに従う。

 いい子だね、とセレクがダンの頭を撫でると、拘束が緩んだ。

「しばらくは動けないだろうから、眠って」

 掛布の上に枯葉を盛られ、今度こそダンは見事な蓑虫になったのだった。

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