エペ、そしてあいつがやってきた
追い詰められた。
エペは恐怖に身を竦ませながら必死に助けを求めていた。
もはやソレしかすることができなかった。
祈る祈る祈る。
近づく近づく近づく。
エペは必死に祈るが奇跡など起きるわけがないと知っていた。
ゆっくりと近づいてくる野太い腕に死を幻想する。
終わる。
たった十数年しか生きてないのに人生が終わってしまう。
そんなの嫌だ。
死にたくない。
助けて、助けて神様っ、ウサギさんっ。
自然、涙が溢れる。
がちがちと歯の根が噛みあわず、恐怖で身体がこわばり涙が止まらないのに、顔は何故か笑みを浮かべてしまっている。
あまりに怖いと自分が滑稽過ぎて笑えて来るらしい。
ああ、もう、ダメだ。
眼前が青い掌で覆われる。
終わった。自分は死ぬ。否、違ったらしい。
がしりと掴まれた頭を支点に、身体がぷらんと浮き上がった。
下卑た顔で下卑た声を放ちながら、下半身を露出させようとしている。
死ぬことは無かったが別の意味で危険が迫っていた。
嫌だ。嫌悪感が先に来た。
自然と舌を噛み切ろうとして青い指を突っ込まれ自殺を邪魔される。
思いっきり噛んでやったが再生持ちのトロール相手では無意味らしい。
「やだ……ごめんね、ウサギさん……」
目を閉じ、終わる人生に涙する。
地獄が始まるならば意識を殺そう、そう……思った瞬間だった。
悲鳴が起こる。
浮いていた身体が急に落下して無様に尻持ちを付いた。
痛みで思わず目を開く。
視界に何かがいた。
血飛沫を散らすトロールの腕が宙を舞う。
悲鳴を上げ、仰け反るトロール。
そんなトロールと対峙し、エペに背を向ける小さな生物。
ありえない存在に目を見開く。
ふわふわな真っ白い毛並みの生物。
耳は長く天へと突き立ち、片耳は半分ほどで切り裂かれたように失われていた。
その小さすぎる存在に、今までとは違う意味を持った涙が溢れて来る。
滲んだ世界に真っ白く小さな兎が一匹。
ゆっくりと振り向き赤い瞳でエペを見る。
もう安心だ。そう言われたような気さえした。
ただ、気のせいだろうか? 兎の身体からは赤い液体が垂れ流れている気がする。一瞬だけど、気のせいか? ウサギの身体が透けた気がする。
いや、気のせいだったようだ。真っ白だ。血の跡なんてない。
きっと返り血だったのだろう。すぐに洗浄したんだと思う。
「うさぎ……さん?」
兎を認識した瞬間、トロールは悲鳴を止めて息を飲む。
目を見開き驚いて、直ぐに怒りと共に咆哮する。
力任せの拳の一撃。
小さき兎に全力の一撃を叩きつける。
地面が抉れ飛び、エペは思わず顔を両手で防ぐ。
トロールが暴れる。
今の一撃では兎を倒せなかったようだ。
エペは衝撃が無くなったので腕を解いて目を開ける。
暴れるトロールと何なく避ける兎。
トロールはトロールで兎を完全に敵視している。
まさに仇敵にでも出会ったように無茶な攻撃を繰り返していた。
地面を砕き、樹木を圧し折り、丸太でフルスイング、空を切る。
兎は避け、飛び退き、一瞬で後ろに回り込む。
そしておちょくるように後頭部を蹴りつけ木の上に。
先程までの絶望感が一瞬で無くなった。
兎の出現が絶望を一蹴してしまった。
ちっぽけな兎の筈なのに、自分の数倍はあるトロールの猛攻を避け、蹴りつけおちょくっている。
ありえない体格さでの優位。
とはいえ、攻撃力に乏しいのか直接的な攻撃は行っていない。
それでも兎の方が実力も経験も上なのが分かる。
まさに赤子と大人の闘いだ。
必死に拳を振るトロールが弱いように感じてしまう。
むしろ咬ませ犬にしか見えなくなって来る。
怒りの顔で必死に暴れるが、動きがどんどん単調になっていき、ウサギはむしろ避けやすくなっている。
ワザと当りに行って転移で背後に回って蹴りつけたり、木の上からお尻を叩いて挑発したりとやりたい放題である。
こうして見ていると兎の方が悪者に見えてくるから不思議である。
しばしの闘いとも呼べない闘いを終え、トロールが肩で息をする。
どうやら動き過ぎて先にトロールがバテたようだ。
そしてふと、我に返ったトロールはエペを見る。
グヘヘと嫌な鳴き声と共に、呆然と見入っていたエペへと駆け寄ってきた。
逃げなきゃ。慌てて動こうとするが咄嗟に身体が動かない。
折角兎さんが助けてくれたのにっ。
間抜けな自分が逃げなかったせいでまた死の危険が迫って来ている。
気持ち悪い顔が迫ってくる。
人質にされるのだろうか? それとも殺されるのだろうか?
どっち道助けに来てくれたウサギさんの為にもトロールに好きにされる訳にはいかない。
どうする?
どうすればいい?
地に足を付け、自分の足で立ち上がる。
絶対に負けない。そんな決意を瞳に宿し、エペは迫り来るトロールを睨みつけた。




