片鱗
満月が、闇に染まった世界を照らしている―――
深夜だというのに、その光は人工の光など必要としないくらい明るく。
故に、その光に照らされ伸びた二つの影の行動は、はっきりとこの大地に刻まれていた。
―――銃声が、夜の廃墟に響き渡る。
『ギャウッ!!』
悲鳴と共に。
そして、
ゴッ…ゴッ…ゴッ…
ゆっくりと、その悲鳴の発信源に向かって近づいてゆく、重々しい足音。
『カァァアッッ!!!』
悲鳴を上げた【何か】が、脇腹から血を流し、埃の積もった床に這いつくばりながらも、足音の主に向けて牙を剥き、威嚇する。
しかし、足音の主はそれを気にも留めず、【何か】に向けて再度銃を向け、発砲する。
『ガァゥウアアアッ!!!』
撃たれた【何か】の腕が、肩から千切れ飛ぶ。
這いつくばっていた状態からバランスを崩した【何か】は、埃を巻き上げながら、自らの血で出来た血溜まり中でのたうちまわっていた。
―――雲が月を隠し、光が遮られる。
深い闇の中で、足音の主は【何か】に向け、静かに呟く。
「………すまない」
この惨劇の創造主にはあまりに似つかわしくないその男の言葉に、激しく暴れていた【何か】が動きを止め、低く低く、唸るように返す。
『ニクイ……ニクイ…ニクイ、ニクイニクイニクイニクイッ!!オノレニックキニンゲンメガッッ!!!』
廃墟に響き渡る、激しい憤怒の咆哮。並の人間であれば、気を失ってもおかしくは無い。
が、足音の主は、ただ【何か】に歩み寄る足を止めただけで、咆哮に対しては怯んだ様子すら見せない。
さらに憤怒の咆哮が続く。
『』『コレガ……コレガ貴様ラ人間ノヤリカタカ!?我等ヲウミダシタノハ、貴様ラ人間タチデハナイカ!!ナゼ我等ノ命ヲネラウ!?ナゼ我等ヲ殺スノダ!!!』
「……………」
男は、黙ったまま【何か】に向けていた銃を下ろし、ホルスターに仕舞う。
「………すまない」
再度同じ台詞を言うと、男は踵を反し、【何か】に背を向けて歩き出した。
自分に背を向けて歩く男の後ろ姿は、まるで隙だらけに見える。【何か】には、そう見えてしまった。
故に、その姿を見た【何か】には、
「今の内に逃げる」という選択肢は浮かばなかった。
さっきまでの憤怒の表情を醜い笑みに歪め、残る三肢に力を込め跳躍。驚異的な脚力により一瞬で距離を詰めると、鋭利な歯が並ぶ口を男の首筋にめがけて開く。
すると、口の中に向こうから何かが飛び込んできた。固さからして男の首筋ではないことが分かる。
『…ッ!?』
飛び込んできたのは、
男の靴裏だった。
それも、凄まじい破壊力を連れて。
『ゴォッ……!!』
あまりの威力に歯は全て砕け散り、【何か】は空中で後ろに二回転させられる。その間、
チンッ
と、小気味良い音を聞いたのを最後に、【何か】の意識は途切れた。
そして、二度と意識が戻ることは無かった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「なぜ我等を殺す、か………」
いつの間にか、雲は晴れていた。
月が顔を出し、男を薄く照らし出す。
浮かび上がったのは、絶対零度を思わせる蒼い瞳。それとは対極に、燃えるような朱に近い金の長髪。それを、宝石を散りばめた銀糸で一纏めにしている。
その容姿は、見る者によっては女性に見紛うだろう。キメの細かい肌に整った顔立ちは線が細く、男性的な厳ついイメージとは程遠かった。
そして、男の足元で、その姿が露になる【何か】。
それは、人間と近い形状をしていながら、
人とは全く異なる異質なモノ。
眼には瞼が無く、唇も無い。全て砕け散っているが、歯は剥き出しの状態だ。
残る三肢は丸太のように太く、長い。そこから生み出される膂力は半端ではないことが伺える。
指は三本しか付いていないが、その一本一本はやはり太く、長い。大人の頭でさえ容易に握り潰すだろう。
服は着ておらず、濁ったヘドロのような色をした肌は外気に晒されていた。性器が付いていないところを見ると、隠す必要がないのだろう。大口を開けたまま息絶えるその姿は、正に異形の者。見る者に恐怖を与える、化け物だった。
男は、その凍てつく瞳に何の感情も映す事無く、化け物の亡骸を見下ろし、呟く。
「確かにお前自体に怨みは無いが………理由は簡単だ」
化け物の身体の正中線に、縦に朱の線が走る。
「―――お前等が憎いからだよ」
男は今度こそ化け物に背を向け、歩き出す。
廃墟に響く足音はやがて遠ざかり、その姿は月の光の届かない、深い闇の中に消えていった。
―――しばらくして、誰も居なくなった廃墟に、液体が【何か】から溢れる音と、【何か】が擦れながらずれる音が虚しく響いた……。