7.痛みを押し付ける俺に罰を
乳白色を基調とした袴と短めの帷子の上に、鮮紅色の胸当てとひじ・ひざ当てを着けている。胸当てには胡蝶の形に打たれた鋲。そして両手には、鋭利なとげが五、六本ほど生えた純黒の拳鍔。ところどころが欠けており、その部分に安っぽい革が接がれていることから、錬装の技量がまだ甘いことが改めて見て取れる。
爆発的な光嵐の消えた跡から姿を現した殿下は、己の肉体で戦う者の出で立ちをしていた。
「魔素の使い道……!」
唖然として、言葉がそれだけしか紡げない。どこまでも予想の範囲外だ。せいぜい変わり種の武器が出てくる程度だと思っていたが、このちんちくりんで細腕な殿下がよもや、自分の拳を武器にするなど。
だが、そのやり方で今までも通してきたのなら、それなり以上の資質があるのだろう。どこで学んでこられたのかは知らないが、しっかり腰を落としつつも即座に攻撃への対応ができそうな立ち姿からは経験を感じる。
二人ともが敵に突っ込んでいかざるを得ないというのは、この先がやや不安になるが。世間が許すのなら、しばらくぶりに他の得物を引っ張り出してくる必要があるかもしれないな。
「大量の魔素を使うことで良い武具を錬成する。それのどこが間違っているというのか?」
「いえ、殿下のおっしゃる通りでございます。出すぎた真似をしました」
「……まあ、別によいのじゃが。それよりとっとと始めようではないか」
若干いぶかしげな目で見られたが気にしない。
殿下のおっしゃることは間違っちゃいないから、個人的な希望を強く押し通すのもはばかられる。だがまあ、いずれは遠当ての魔術も使っていただきたいな。環境的にはよろしくないが。
「仰せのままに。ですがその前に、しておきたいことが二つあります」
「……なんじゃ?」
先のとがった鉄靴で床をコツコツ打ち鳴らし、早くしろと伝えてくる殿下。手短に終わらせるか。
「今から術法をかけたいのですが、部屋の角へ行っていただけますか? 危害を加えるようなものではありません」
「別にかまわんが」
疑問に思うのも仕方ないだろうが、この場で使うと移動させるのが面倒なんだ。
二人で角まで歩いたところで、さっそく術法を行使する。
「では――移し鏡」
前触れなく、俺の背丈以上もある姿見が現れた。そこに投影された俺たちの姿は、普通の鏡像と一味違う。
「ぎゃむっ!? 何が起きとるのか!?」
鏡面を潜りぬけて、こちらの世界に出てくることができるんだ。
表情が変わらないせいでいささか不気味な、鏡に映ったもう一人の自分。それらが両足を地に下ろした瞬間、急に力が入らなくなり、へなへなと倒れていく。だが、床に叩きつけられる衝撃が訪れることはついぞない。
――次の瞬間、俺は自分自身と殿下がくずおれていく様子を眺めていたから。
「ぬぁ……」
驚きを通り越して思考が追い付かなくなったのか、殿下は頭を後ろに投げ出し放心している。ある程度は想定していたが、ここまで驚かれるとは。申し訳ないことをした。
肩を軽く揺すってみる。
「殿下、目をお開けください。殿下」
「ケダヒュおうこくよいとこりょ……ん? はっ! わらわは無事か!?」
「驚かせてしまい申し訳ございません。ですが、これで模擬戦の準備は整いました」
「最初から説明してはくれぬか?」
まばたきを繰り返し、殿下は未だ戸惑いを隠せない様子。事前に何をするか告げるのを怠った俺が悪いので、丁寧に話していこうと思う。
「当然そのつもりでございます。先ほどの術法は、『姿見に映った自分』を呼び出して、一時的にそちらへと意識を移すものです」
「……つまり、いまのわらわは鏡に映っていたほうなのかえ?」
「ええ、身体は。あくまで鏡に映る『姿』ですから、肉体という器だけで意識は宿っていません。それでこちらから移してやれるという寸法です」
移すこともできれば、逆に移した意識を本来の体へと戻すこともできる。そうすれば『姿』は元いた場所へと戻るので、すこぶる便利だ。
「そこまでは理解できた。では、なぜゆえにそうしたのじゃ?」
「生身を傷つけずに戦うためです。『姿』は自由に動かせますし、剣で斬れて出血もしますが、幻影のようなものでしかありません。ほとばしった血もたちどころに消えていきます」
「……なるほど。わかりよい説明、感謝なのじゃ」
数度のうなずきと一緒に、すっきりとした笑みを送られた。
「元は私のせいですので、おかまいなく。それでは、中央へ戻りましょうか。こんな隅のほうで自分たちを視界に入れながら話すというのも気分のいいものではないですし」
「じゃな……むしろ、そうしてくれて助かる」
過度の残虐行為以外はたいてい何でもありな対人戦。それが行われる場だけあって、この部屋は客席部分を除いてもなお広い。そのため競技領域の中央まで歩く間にもまとまった量の会話ができるが、殿下はうつむき加減で終始無言のままだった。俺がしようとしている二つ目が重い意味を持つことだと、何となく察されていたのかもしれない。
適当な場所でいったん足を止めて、お互い自然と距離を取る。決闘開始時の間合いだ。
殿下の揺れる双眸をまっすぐに見つめ、話を切り出す。
――これは、殿下の意思をうかがい知るための質問であると同時に、俺が安心したいがための質問でもある。
「僭越ながらクラリサ王女殿下にいくつかお聞きしたいことがあります。初めに――貴女が英雄になることを目標とするに至った理由は何ですか? 英雄を目指すということはすなわち、戦いの日々に身を投じるというのと同一であります。たやすく決断できることではないでしょうに」
「……昔の話をする。わらわはな、こっそり一人でこの決闘場に観戦しに行こうとして野盗に襲われたことがあるんじゃ。もう六、七年は前になるか」
恥ずかしげにはにかむ殿下。いや、大問題じゃないのかそれ。
「……殿下は行動力旺盛でいらっしゃいますね」
「褒め言葉と受け取るぞ。それで、裏路地に連れ込まれてな。嗤う悪党と振りかざされる刃。もう気が動転して叫び散らすことしかできんかった。ここで死ぬんじゃと、それだけを思っていた」
天井を仰ぎながら、なおも殿下の独白は続く。
「――そのときじゃ。頭以外を鎧に包んだ騎士らしき者が現れて、見事な斧さばきで野盗を打ち倒したのは。すぐに礼を言おうとしたが、その騎士さんは、子どもっぽさが残る声で『それには及びません』とだけ言い残し、立ち去っていった。びっくりするほどの輝きに満ちた目をしておられたのを、今でも覚えている」
なるほどな、筋書きが読めた。
……読めてしまった。
「数多の功績を打ち立て、すべての民の盾となる。そういう者を救世の英雄ということはその前から知っていたし、凄いと思っていた。じゃが、自分の命が実際に救われてみて初めて、その偉大さを知ったのじゃ。わらわはあの騎士さんのごとく、息をするように人を守れ、己の身に辛いことがあろうとも民を照らし続けられる英雄になりたい」
「ご立派な心意気でございますね。ですが一つだけ、質問させていただきたいと思うのです」
「どうした、アントン殿」
今、俺の眼は殿下に恐怖心を植え付けてしまっているに違いない。だがこれだけは、他の何に変えても。
「英雄とは、理不尽なまでの民からの期待と敗者の濁血の上に立つ者である――そのことをご存知ですか」
「……何が言いたい」
「英雄と呼ばれるまでの道筋も、そう呼ばれるようになってからのあり方も、険しく残酷なものであるということです。英雄伝説は、一筋の光と無数の闇から成り立っているんですよ。私はこれでも、英雄の表も裏も人並み以上に見てきた自信があるんです」
どこまでも冷静に、そして冷酷に。現実を突きつけるというのは、気分の良い物では断じてないな。さて、殿下はどう出るか。
「そうか。多少はそういうこともあるだろうとは考えていたが、そこまでだというのか」
今しがた見せた語り部としての笑みはとうにかき消え、澄んだ蒼眼が戸惑いと恐怖に揺れている。こんな状態の殿下に最後の追い打ちをかけんとしている俺は、どうやら自分が思う以上に非道だったらしい。劇毒のような問いを、眼前のまだ幼げな少女へ。
できれば、これを受けても崩れないでいてくれ。最低以外の何物でもない話だが、殿下が自らの意思でいばらの道に突っ込む限りは、さほど責任を感じずに済むんだ。
同じ修羅道を歩かせるにしても二つある。何も知らさずに導くのと、これから直視するであろう事実をわからせた上であえて導くのでは、どちらのほうがまだましな所業だろうか。できれば後者であってほしい。
――さて、殿下はどう出るか。
「王女殿下。私がここまで申し上げてもなお、英雄になる覚悟はございますか?」
「正直なところ、怖さのほうが少し勝っている。わらわはまだ、半分子どもじゃから……だがな、」
言葉が途切れ、代わりに殿下の平たい胸が上下する。その区切り方から、そのあとに前向きな内容が続くのを期待してしまったのは、咎められるべきことだろうか。
そしてひときわ大きく息を吸ったのが見え、そっと声が響いた。
「わらわにはもう、帰る場所がない……どこにも、ないんじゃ。だったら、やるしかなかろ?」
そうきたか。それならばすでに聞いている。だからこそ、血塗られた道程に囲い込んで向かわせる以外の術が思いつかなかった。
戦場の覇者となるには十分なほどの素質がうかがえる殿下だ。直系の王族という大変高貴なご身分とはいえ、どのみち戦力として利用されただろう。ならば殿下自身の意思があるだけいい、という言い訳そのものな思いもあり。
――『やってやる』と『やるしかない』は一見同じようで決定的に違うとは、重々承知しているのに。
むせかえるような邪悪な考えは胸の奥に押し込めて、なるべく冷静な顔を取り繕うことにした。
「その答え、心から受け止めました。お時間を取らせて申し訳ございません。模擬戦に移り」
「待て。間違っているだろうことを承知の上で、失礼極まりない質問をしてもよいか」
それは、今までの殿下からかけ離れた、怒りをはらんだような重苦しい声だった。逃れられない痛撃の予感に、全身を悪寒が走る。
「……どうぞ」
「どんなに裏や闇があったとしてもそれは隠して、いつ何時も民の希望であろうとするのが英雄だとわらわは思う。少なくとも、今まで読んできた多くの物語では、そういう存在として書かれていた。わらわに話してくれたのは、これから貴殿と相棒になる身だからなのかもしれないが……アントン殿、貴殿は自分が英雄であると、胸を張って言えるか?」
高圧的にも感じられる発言内容とは裏腹に、哀しさが色濃く滲む声音。
心のどこかで殿下を侮っていたと、認めなければならない。貼り付けた微笑が脆くも崩れていく。
「それは、手合わせの中で感じ取っていただければと。勝敗判定にはいくつか方法があるのはご存じでしょうが、どうされますか」
かろうじて、それだけを喉から絞り出す。
「よ、よかろう……なら『受け身を取れずに五秒間倒れたら負け』で頼む」
「かしこまりました。では、参ります」
バルティジャンを大上段に構え、殿下の意思を待つ。
「アントン殿」
「まだ何か?」
八つ当たりで非礼な返しをしてしまった。そのせいか、殿下はこちらの目を鋭く見据えている。
数瞬のち、ぐちゃぐちゃになった顔から言葉の砲弾が放たれた。
「わらわは今、最高に怒っている――覚悟せよ」
何も理解できなかったが、考えている暇も惜しいと渾身の力で床を蹴り込む。この速度なら、邪念も戸惑いも後悔も、全部ひっくるめて振り切ってしまえそうな気さえした。




