3.倉庫代わりの異界洞窟
目をきらきらさせてテンションの高い王女殿下を連れて、いつも世話になっている宿屋『月明かりの夢』に着いた。何でもここはもともと中流貴族の屋敷の使用人棟だったものを改装したとかで、比較的ゆったりとした部屋の作りが特徴だ。メシも美味く、それでいてここらの宿屋の中でも安い部類ときたもんだから使わない手はなかった。
だが、こことも今日でしばらくお別れだ。ここでのことを振り返りながら、年季の入った木製の扉を開ける。
「アントンさん、お待ちしておりました。荷造りはこちらのほうで済ませてお部屋に――あれ、そのお姿はもしかしてクラリサ殿下であらせられますか!?」
ここの宿屋の娘さんが出迎えてくれたが、一国の王女殿下が突然現れたことにだいぶ驚いているように見える。目は大きく見開かれ、小さな体がぴょこりと跳ねたのが見て取れた。まあ、そりゃそうだよな。
「この格好で良く気づいたな。いかにも、わらわがケダフ王国第三王女、クラリサ・エメ・ケダフじゃ。何だかんだでここにいる」
「は、はぁ……」
「お言葉ですが殿下、説明するならするでもっと詳しく述べるべきではないかと思うんですが、いかがでしょうか」
「そこまで言いふらすようなことでもないであろう?」
「た、確かに殿下のおっしゃる通り……出過ぎた真似をしました、お許しください」
正論なんだが若干納得がいかないのはなぜだ。
「……ええと、ではお部屋のほうへどうぞ。それと、支払いいただいている今月分の宿泊代から、キャンセル分をあとでお返ししますね」
「了解。それでは殿下、参りましょう」
「うむ」
娘さんを少し戸惑わせてしまった気がするので、あとで謝っておこう。殿下のせいではあるんだが。
※
娘さんはきっちりと仕事をしてくれていた。受付まで持ってこなかったのは、彼女が持つにはちょっとばかし重すぎるからだろう。二人分の荷物を担いで受付に戻る。
「そういえば、こんな大荷物じゃ移動が大変ではないか? まあ私も人のことは言えないが」
「安心してください。倉庫がありますので。あとでご案内しますよ」
「……ほう」
殿下の目に留まれば興奮あそばされること間違いなしの代物だから、実物を見せられるまでは濁しておくことにした。
「あっ戻られましたか。こちらキャンセル分の宿代です」
まだ月の半ばも行っていないため、それなりの金が戻ってきた。旅の資金の足しにはなるだろう。
「受け取った。では、これで失礼する。世話になったな」
「あっ、ご愛願ありがとうございました! またこちらに戻ってくることがありましたら、その時はぜひ当店を」
「ああ。……君も、ずいぶんとしっかりしたな」
「えへっ、お褒めいただけて嬉しいです。では、お元気で」
初めてこの宿屋を訪れたときから比べると、見違えて大人になった娘さん。最後まで持ち前のにこやかな笑みで送り出してくれた。ちょっとした感慨がある。
「もしかしてもしかして、あの宿屋の者とは恋仲であったりするのか?」
「そういう関係ではありませんよ。ただ、俺はもう五、六年前ほど前からあの宿屋をひいきにしていますので」
「ちぇっ。面白くないのう」
「面白くないとはまた……」
この殿下、色恋沙汰のにおいを嗅ぎつけたときの反応がそこらの町娘と一緒だ。反応に困る。
まあ、宿屋の娘さんも殿下と同い年の頃はじゃじゃ馬であわてんぼうだったのだから、殿下も数年経てばいっぱしの淑女になるのかもしれない。
「それより、さっき言っておった倉庫とやらに連れて行ってくれぬか! 気になるのじゃ!」
「……存じております。と言っても、行くこと自体はどこにいても可能なんですがね」
「はて、それはどういう」
「裏手の庭に参りましょう。少し広さのある場所が必要でして」
『月明かりの夢』には整備の行き届いたやや小さめの庭がある。これも貴族の屋敷だった当時のものらしい。今こうして残っているのはごく一部のようだが。
もうじき寒さの厳しくなってくる頃合いということで、庭の木々も葉を落としつつある。はらはらと舞い散る枯葉の中を歩いていると、木々が密集している地点を見つけたので、そこで足を止めることにした。この術法は、出来る限り他人に見えない位置で行使するべきだから。
そして中途半端な時間であるし、ここに来る者もしばらくは現れないだろう。おそらく問題ない。
「……何もないようだが」
「今から行くんですよ。殿下、これより世界を飛び越えます。お覚悟を」
「せっ世界を!? 覚悟とな!? ……わ、わかった。いつでもよいぞ」
クラリサ殿下は、手をわたわたさせながらも俺の言うことを呑み込んでくれたようだ。
「ではいきますよ。異界への鏡門、行先指定:洞窟」
樹聖者の血中にのみ存在する、権能を発動するための媒介『聖粒』。それを感覚で操作して、腕へと集中的に送り込み、術法の名を一言口にする。
そのたった二つの段階を踏みさえすれば――別世界への門が開く。
「何っ!?」
まばたきする暇もないほどの一瞬で、俺の腰の高さほどの空中に鏡が現れた。
赤黒い燐光が不気味に漏れ出していることを除けば、一枚板のシンプルな鏡である。だが、その圧とでも呼ぶべき存在感は非常に強く、慣れている俺でも思わず一歩下がりそうになるくらいだ。
ならば当然、この術法を始めて見る殿下は――
「これはたまげた! 樹聖者とはここまでのことができる存在なのだな!?」
――びょんびょんと跳ね、そのたぎりにたぎった好奇心を全身で表していた。
「おう、殿下……」
「ん? わらわに何かおかしなところでもあるというのか?」
「……一応あるんですが、大したことではありませんのでお構いなく。早く入りましょう、俺の後に続いてください」
ひょいっと身を躍らせて鏡に飛び込む。そこにあるはずの鏡面をすり抜けて、視界が闇に包まれる。
※
「よっと」
ふらりと落ちていく感覚が徐々に薄れ、視界が開けると同時に足が地上を踏む。
「うびゃ!?」
直後、何とも気の抜ける叫び声を発しながら殿下が落ちてきた。とっさに彼女の身体を支えに行こうとしたが、片足跳びでよろけながらも何とか着地できたようだ。
「けほけほっ。……空気が淀んでおるな。あと寒っ」
「そりゃあ洞窟ですから。それに、途中で落盤して完全に塞がっている地点がありますので」
「そうなのか。ところで、先ほどの貴殿の言葉を信じるならば、この洞窟はわらわが暮らしているそれとは別の世界にあるということでよろしいのか?」
ここは洞窟の終端部。当然明かりなどないが、殿下が小首をかしげる様子を見て取ることができる。
「ええ。一か月ほど儀式を執り行い続けた果てに、ようやくこの術法で繋がることができたのがここです」
「ここか……」
露骨にがっくりと肩を落とす殿下。
「なめてはいけませんよ。以前何回かかけて一通り回ってみたのですが、確かにここは鉱山などではない、ごく普通の洞窟です。そして透視で入口あたりを見た限りでは、見渡す限り森でとても人の来るようなところじゃあないです。ですが、だからこそ倉庫におあつらえ向きというわけでして」
「ああ、確かに……だがわらわとしては、せっかくの洞窟だから財宝探しをしたかったというのが正直なところじゃ」
「殿下は好奇心旺盛でいらっしゃいますね」
「褒めても何も出ぬぞ」
そう言ってありもしない胸を張る殿下を見て、何とも言いがたい気分になる。過ぎた好奇心は身を滅ぼすと、少しずつ教え込んでいく必要がありそうだ。
「さて殿下、あまり長く向こうの世界に妖しい鏡を出しておくわけにはいきませんし、ささっと荷物を置いて戻りましょう。……あっ殿下、小さい鞄はお持ちですか?」
「持っておるが、あいにく今は大きいほうの中じゃ。すぐ取り出すから待っておれ」
「かしこまりました。それに携行品をお入れくださいね」
殿下が中身のたっぷり詰まった鞄を開けてわさわさし始めた。待つ時間を利用して、壁に立てかけて保管してある武器の一つに近寄り、手にする。さっきからギラギラとした光を出して洞窟を照らしていた、ごてごての装飾が特徴的な三日月斧に。
その瞬間、やたらとうるさく軽薄そうな若い男の声が、狭い洞窟内にこだました。
「遅いじゃないっすか、まったくぅ!」
「別に気にしてもないくせによく言うな」
そもそも空けていたのは四、五時間ほどにすぎないだろうが。
「はっ誰じゃ!? ……も、もしかしてその斧かえ!?」
「はいその通りでございます。調子が軽くて面倒な奴ですが、これでも私の相棒です。まあそれなりにひどい扱いをしてやってください」
「うーわアントンさんのならず者!」
俺たち樹聖者と同じく産声の樹から収穫できる武具『輝果武装』。樹聖者一人一人に適性検査の末割り当てられるのだが、俺のところに来やがったのがこいつ、バフィルジャンだ。すこぶる手になじむが、いつまでたっても性格が合わない。
「一応話してやったけど、やっぱり耳障りだなお前は。殿下のご用意も止まってるし、また後でな」
「いや、ちょっ」
問答無用で壁に立てかけ直す。
「お邪魔をしてしまい申し訳ありません、殿下」
「構わん。なんだかわらわと気の合う予感がしたしな」
「ああ分からなくもないです」
お互いテンションが高いからな。丁々発止の会話劇が見られるかもしれない。
……ほぼ間違いなく聞いていて疲れるだろうが。
※
「すまん、遅くなったな」
「お気になさらず。ではモスカレツさんのところへ参りましょうか」
鏡の中へ飛び込もうと膝を曲げかけたとき、
「そういえばアントン殿、あのバフィルジャンとやら以外にもたくさんの種類の武器が置いてあるようじゃが、あれは全部貴殿のものかの?」
「もちろんです。それが何か?」
「いや、一人が使う武器の数としてはちと多すぎるように思えたのでな」
「……俺には武器しかありませんでしたから」
成人する前の生活を思い出してしまう。あまり詳しくは言いたくなくて簡潔に返したが、それでも何か伝わったのか、殿下は少しうつむいただけで何も言わなかった。
「まあ俺のことはいいんです。ではお先に失礼しますね」
少し逃げ出したい心地になったので、必要以上に力強く踏み込んで鏡に身を投じた。




