第七話
「やばい、やばいよぉ」
と、リリィ・マクスウェルは顔面蒼白になりながらそう言った。
「まさか、今回の進級試験に合格しないと退学になるなんて」
職業学園の学年は年齢ではなく、職業の等級によって決められている。
三級から始まり、二級、一級と上がっていくシステムだ。
そのシステムの中でリリィは下級魔法使い、という等級に属していた。
最下級、下等級とも呼ばれる等級は、才能がない者の為に作られた等級だ。
それは職業適性が低い者や無い者でも成りたいものを目指す権利はあると言って作られた制度の一つに当たる。
この制度は職業適性という制度が未来への可能性を狭めない為の配慮だ。無論、才能がない事を知りながら荊の道を歩もうとする者は滅多にいないが、リリィのような物好きはどの時代にも必ずいるものなのだ。
しかし、そんな下等級という等級も学園側はボランティアで運営をしている訳では無いのでそこに属する者には学園側から幾つか条件を提示される。
その一つが、一年の間で己が才能を発揮せよ、というもの、つまり一年間で自分がその職業になれるであろう可能性を学園側に提示しなければならないのだ。
「己が才能を発揮せよ、簡単に言ってくれるよね! 中級魔法の実技試験なんて今の私に出来るわけないよぉ」
泣きそうになりながらリリィは、どうしよう、どうしたらいいのだろう、と半ばパニックになりながら誰もいない教室を早足で徘徊するが、足元を良く見ずに徘徊した結果か、机に足を引っ掛けすっ転んでしまう。
「いたい」
転んだ痛みのおかけで少しだけ冷静なれたが、絶望的な状況には変わりなかった。
ヒンヤリとする床で頭を冷やしていると不意にリリィの名を呼ぶ声が部屋に響いた。
「あれ? リリィ、いないんすか?」
「アルフ!」
先ほどまでの痛みや不安などアルフレッドの声を聞けばどうという事はないと言わんばかりに、リリィは高速で立ち上がった。
「床で何してたんすか?」
少し苦笑いをしながらそう尋ねると、リリィは満面の笑みを浮かべた。
「人生の哲学的な問題に挑戦してたんだ」
「それはまた、難しい事を考えてんすね」
と、苦笑いのまま、アルフレッドは教室に入る。
「アルフ、今日はどうしたの?」
「あー…………通りすがりっすね」
何かを隠すようにアルフレッドはソッポを向いて、そう言った。
ーーあれ? そういえば、最初にここに来た時も同じ事を言ってなかったっけ?
と、疑問符を浮かべるリリィを見て、アルフレッドはその思考を遮るように慌てて手に持っていた花をリリィに見せる。
「そ、そんなことより見てくださいっす! これ今日の野外実習の課題で取って来たんすけど、すごく綺麗じゃないっすか?」
そう言うアルフレッドが手に持っている白い一輪の花の花弁はキラキラと少しだけ輝いていた。
「うそ、これはエリクシアの花? 人が生きていられないような環境にしか咲かないって聞いてるけど……ねえアルフ、野外実習ってどこに行ってきたの?」
「ん? いやフツーに山っすよ?」
「うん、山は分かるんだけどね? それってどこの山?」
「いや、聞いてないっすね、シーカーに聞けば分かると思うっすけど今度聞いておくっすか?」
エリクシアの花は基本的に高山の、それも特殊な条件の環境にしか咲かないとされる花だった、その環境というのが詳しい事が分かっておらず未だ人工的に育てる事が出来ない、その上、エリクシアの花は人には厳しい環境下でしか咲かない為、非常に稀少な花として扱われている。
つまり、アルフレッドはそんな稀少な花が生息するような環境に軽く行って来たと言っているのだ。
「いや、うん、なんか怖いから大丈夫」
「そうっすか? 別に怖い所ではないんすけどね」
そういう意味ではないと、リリィは心の中で呟いた。
「そういえば、シーカーもなんか驚いてたっすね、この花は珍しいんすか?」
と、アルフレッドが聞くとリリィは興奮気味に説明を始める。
「とても珍しいです、魔法使いなら喉から手が出る程の一品です、他に材料が必要だけど秘薬エリクサーの原材料の一つだし、この花はエリクサー以外の薬にもほとんど使えるから万能に近い効能を持ってるの」
「ふーん、すごいんすね、この花」
そう言われても別に綺麗以外の感想が出てこない、とアルフレッドはリリィにその花を差し出した。
「ならリリィ、この花あげるっすよ」
「えっ!?」
「だって魔法使いなら喉から手が出る程の一品なんすよね? ならリリィにあげるっすよ」
「で、でもそんな稀少なもの貰えないよ」
尻込みして中々受け取らないリリィにアルフレッドは、じゃあ、と続ける。
「いらないっすか? ならすて、」
アルフレッドが、いらないなら捨てる、と言い切る前にリリィは高速で頭を下げてお礼を言った。
「頂きます、ありがとうございます」
そんなに欲しいなら遠慮なんかしなければいいのに、とアルフレッドは笑った。
エリクシアの花を手にしたリリィは上機嫌にクルクルとその場を回りながら妄想を始める。
「すごいなぁ、どんな薬を調合しようかな?」
うふふうふふ、と妄想を垂れ流すリリィだったが、ハッ、とアルフレッドの生温かい視線に気付き、ピタリと足を止めた。
「アルフ、恥ずかしいから何か言ってくれない?」
「幸せそうだなと思ってたっすよ」
微笑ましいとアルフレッドは和かにリリィを見ていると、
「その目を止めてよぉ」
リリィは顔が真っ赤に染まりを悶絶するのだった。
*
「実は今日、その花を摘む前にビックリする事があったんすよねぇ」
「ビックリする事って?」
興味ありげにリリィがそう聞くとアルフレッドは今日起こった出来事のあらましをリリィに話した。
少しだけ溜めを作るような沈黙の後、リリィは様々な感情を込めて言う。
「アルフ、良く生きて帰ってこれたね?」
「運が良かっただけっすよ」
謙遜ではなく本当にアルフレッドはそう思っていた。
もし、地竜にかけられていた呪いが別身ではなく単純に戦闘力を上げるものだったら?
こちらの打撃や斬撃を完全に無効にするようなものだったら?
たらればの話ではあるが、アルフレッドは今回の出来事で生き残れたのは自分の運が良かったとしか思えなかった。
「そのシーカーさんって人はすごいね、地竜を一人で討伐しちゃうなんて」
アルフレッドは自分が地竜の片割れを討伐したことをリリィには話していない。
理由としては武勇伝を話すみたいで恥ずかしいから、と気を使ってくれたシーカーに申し訳ないから、というのが理由だ。
シーカーはアルフレッドがあまり目立ちたくないと思っている事を知っている、だから地竜討伐の報告をするときに自分が一人で地竜を討伐したと報告をした。
結果として、アルフレッドは役立たずの竜騎士という汚名を付けられる事になったのだが、当の本人よりもシーカーの方が怒り、それを宥めるのが一番大変だったとアルフレッドは語る。
「そうっすね、俺と違ってシーカーは真面目に努力してるっすから」
「地竜を一人で討伐するってもう半分人間辞めてると私は思うな」
「んー、シーカーは特別優秀だと思うっすよ、今回の地竜討伐で念願の精霊剣士になれるって言ってたっすから」
「私たちとそんなに変わらないのにEX職業? 天才って本当にいるんだね」
「シーカーに関しては同感っす、でも天才だからの一言で片ずけられる様な努力の量ではなかったっすよ」
シーカーという人物の事を本当に尊敬している事がリリィにも伝わる程にアルフレッドの言葉には熱が込もっていた。
「そんなシーカーを見てたら俺ももう少し強くなりたいと思ったわけなんすよ」
最弱と言われても構わないと言っていたアルフレッドが強くなりたいと、そう思ったという事にリリィの胸は熱くなる。そして、
「うん、アルフならすっごく強くなれると思うよ」
そう言って、リリィはアルフレッドに笑いかけた。
だが、次のアルフレッドの言葉にリリィの笑みはそのまま固まってしまう。
「それで相談なんすけど、俺に魔法を教えてくれないっすか?」
「ん? ごめんねアルフ、もう一回言ってくれる?」
何かの聞き間違いかと、リリィは固まった笑みのまま、首を傾げる。
「だから、俺に魔法を教えて欲しいっす」
リリィは笑みは無表情に変わり、目から生気が失われる。
ーーアルフはどうしたんだろう? 地竜に合って頭がおかしくなっちゃったのかな? きっとそうだよね、竜騎士のアルフに私みたいな魔法使いの見習いが魔法を教えるなんてあり得ないし、第一に竜騎士の先生がアルフに魔法を教えるはずでしょ? それをわざわざ最下級の私に教えを請う筈がないよね? ああ、そうだ、今からでも保健室に連れて行こう、そうすれば自分が何を言っているか分かるはずだ。でも保健室に私は入れないし、アルフは一人で大丈夫かな? ちゃんと自覚症状を伝えられるのかな? 無理かもしれない、だって私に魔法を教えてくれとか言うんだよ? 無理に決まってるよ。でもそれならどうしたらいいんだろう? きっと先生は私の話は聞かないだろうし、私は友達いないし……。いるよ? 友達いますよ、目の前のアルフレッド・ドラグニカ、私の友人。でもその友人の頭が少しおかしいんだよね。あっ、いっその事さっき話に出たシーカーさんを探すのも一つの手かもしれない、でも私はシーカーさんの顔を知らないしEX職業になるって情報しかない、どうしよう、このままじゃアルフの頭がおかしい事を誰にも伝える事ができない、友達の頭がおかしくなっているのに私にはどうする事も出来ないの! いや、まだ手はあるかもしれない。このエリクシアの花を使ってアルフの状態異常を治せる薬を調合出来れば……。ダメだ、時間がかかっちゃう、どうしようどうしようどうしようーーーー
「あの、リリィ? リリィさ~ん?」
アルフレッドがいきなり黙り込んでしまったリリィを呼ぶが全く反応がない。
何故か目も死んだ魚のような目になっている。
仕方ないがないとアルフレッドはリリィの両肩に手を乗せて少しだけ揺さぶってみるが、それでも反応がない。
まるで何かとても重大な考え事をしているようにも見えるが、どちらかといえば目を開けたまま気絶しているように見える。
アルフレッドは仕方ないと言ってリリィの頬を両手で挟み込んで呼び掛けた。
「どうしたんすか? リリィ、リリィ!」
アルフレッドが小さくペチペチとリリィの頬を叩くと、目に段々と生気が戻って行く。
視線が合うと、リリィは惚けたように言った。
「アルフ?」
「やっと反応したっすか、いきなり黙り込むから心配したっすよ」
ホッとするようにアルフレッドはリリィの頬を挟み込んだまま安堵すると、
「かおが」
「顔が?」
「近いよぉ~~」
抉りこむような鋭いアッパーがアルフレッドの顎を綺麗に捉えるのだった。