第六話
「おーらっす」
アルフレッドの拳が地竜の頭部に直撃すると、ゴンッという鈍い音と共に地竜の足元が陥没する。
「GAAAAAAAAAA」
しかし打撃を与えた部位が悪く、全くと言っていい程に地竜にダメージは通っていなかった。
自分と同等かそれ以上の力を持っていると分かると地竜は唸りを上げる。
「今のは割と本気だったんすけどねぇ、ただ怒らしただけっすか」
硬い、それがアルフレッドの感想だった。
殴った感じの高度はアルフレッドが破壊できるか否かのギリギリのラインだった。
この世界にはクロロニュウムという天然の超硬質の合金が存在する、地竜の鱗の一枚一枚はその合金に匹敵する硬さを誇ると言われていた。
「全く厄介っすね、剣は抜けないし拳じゃダメージが通らない、これはどうしたもんっすかね」
困り果てるアルフレッドだったが、それで地竜の動きが止まる訳ではない。怒りのままに地竜は爪を振り回して目の前の獲物を引き裂こうと躍起になるが、アルフレッドはそれ軽く避けながら徐々に距離を詰め、再び全力で地竜の顎を打ち上げる。
「GUUUUUUGAAAAAAAAAA」
竜の顎の下、そこは逆鱗と呼ばれる箇所だった、竜にとって触れられることを最も嫌がる箇所、つまり弱点だったのだが、アルフレッドがそんな事を知る訳もなく……。
「効いて無いわけじゃないんすかね?」
と、効いた理由を考えもしなかった。
「ならとりあえず、しこたま殴るってみるっすかね?」
脳筋発言をすると目の前の敵に反撃をするように地竜は体を回転させ、自らの尾で周囲を薙ぎ払うが、アルフレッドはそれを飛び上がるように避け、地竜を頭上から出鱈目に乱打する。
「すすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすすっすうラァ、っす」
「GURAAAAAAAA」
しかし、地竜は嵐のような乱打を物ともせずに空中にいるアルフレッドを一回転して尻尾で叩き落した。
地竜の一撃を受けたアルフレッドの体はとんでもない速度で地面に叩きつけられ、何度もバウンドを繰り返した後に数十メートル先の木にぶつかってようやく止まった。
飛びかけている意識を保つ為にアルフレッドは頭を振って立ち上がると、疑問を一人口にする。
「さっきは効いたのに何で今度は効かないんすか?」
よろよろと立ち上がったアルフレッドの体は満身創痍だった、額から血が吹き出し、体のあちこちにガタが来ている。
中でももっとも酷い損傷は地竜の一撃を受けた左腕だった、深い裂傷と粉砕骨折、アルフレッドの左腕は糸の切れた人形のようにダラリと宙ぶらりんになっている。
「あっちゃー、たぶんこれ折れてるっすね」
自分の損傷を確認して、流石にこのままだとジリ貧どころか本当に命を落としかねないと判断したアルフレッドは奥の手を使う決心をする。
「これを使うと好戦的になるから嫌なんすけどね」
言っていても仕方がないか、とアルフレッドは大きく息を吸った。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
本能で危険を察知したのか、地竜はこれまでとは比にならない程の速度でアルフレッドに迫る。
が、対応するのが遅かったと言わざる得ないだろう、本当にアルフレッドを止めるつもりならば、息を吸う前に手を打つべきだった。
地竜の凶爪が届く前に、アルフレッドの咆哮が地竜の鼓膜を貫いた。
「竜の咆哮」
アルフレッドの蒼眼が金色に変化し、覇気とよく似た威圧感が溢れ出る。
その威圧感を声帯に乗せてアルフレッドが叫ぶと、大気を震わせる程の大声が遠く遠くへと響き渡る。
只の大声、それがアルフレッドの奥の手、本来なら使うことのない竜騎士の基本スキルの一つだった。
「はっ、はっ、はっ、体が、いや……」
ーー血が、熱い。
今のアルフレッドの眼は逆鱗に触れられた竜のそれそのものだった。
血が滾り、体が闘いを求める。
引き寄せられるかのようにアルフレッドは地竜に近づくが地竜はピクリとも反応をしない、いや、反応を出来なかったと言うべきか。
アルフレッドの使った大声、竜の咆哮は己の戦闘意欲の鼓舞と自分より格下の生物への威嚇と威圧を同時に行うスキルだ。
地竜は目の前のアルフレッド・ドラグニカという存在に恐怖し萎縮しきっていた。
身動ぎ一つしない地竜にアルフレッドは拳を振るった。
ただ無言で、己の血の滾りを抑える為にだけに。
そうしなければ自分の咆哮を聞いて駆けつける友に襲いかかってしまうような気がしたのだ。
ただ無心で、地竜を右腕で殴りつける。
拳の皮が破れ、肉が表面に出てもアルフレッドはそのまま地竜を殴り続けるのだった。
ゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッゴンッ。
バキィ、バキィ、バキィ、グチャ、グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャ。
地竜を殴り潰す音だけが、辺りに木霊するのだった。
*
アルフレッドの元に駆けつけたシーカーが見たものは、溢れ出る呪いを浴びながらも、一心不乱に地竜だった物を殴り続けるアルフレッドの後ろ姿だった。
「アルフ、落ち着け」
シーカーはアルフレッドに駆け寄って、地竜だったものを殴る手を止めさせる。
「シーカー? そっちはもう終わったんすか?」
振り向いたアルフレッドの眼が金色から蒼色に変わると、異様とも言える雰囲気が霧散した。
右腕の怪我を見ると悲しげな表情でシーカーはアルフレッドに言う。
「無闇に殴り過ぎだ、拳の皮が破けてるじゃないか」
「シーカー手を離すっすよ、魔女の呪いに触れてるっす」
アルフレッドの肩に付いていた呪いがシーカーの手を少しだけ侵食していた、が、シーカーはそんな事は御構い無しにもう一度アルフレッドを諭す。
「デタラメに戦い過ぎだと言っている、その戦い方は友として許容出来ない」
小言、というよりも今回の場合は叱責だった。
アルフレッドは自嘲気味に笑うとシーカーの手を払った。
「右手より大怪我してる左腕の事には触れないんすね」
そんなアルフレッドに、シーカーは呆れるように小さくため息を吐いた。
「あえて触れてないんだ、私はお前の自傷行為を責めても、誰かに付けられた傷を責めはしない」
無理やり笑顔を作るのを止めて、アルフレッドは酷く落ち込むんだ
「また、やっちゃったっすよ、あの技を使うと好戦的になるんで嫌なんすけど、地竜が相手だったんでつい……」
「それも責めはしないが……いや、今はこの話は止めよう」
態々このタイミングで言う事もないだろうとシーカーは口を閉ざすと、沈黙が嫌なのか空気を入れ替えるようにアルフレッドはシーカーに話題を振る。
「それよりシーカー、耳は大丈夫っすか? シーカーに気を使わずに竜の咆哮を使っちゃったすけど」
そのアルフレッドの言葉にシーカーは、うっ、と青ざめた表情を浮かべると皮肉を込めて言い放つ。
「危ないところだった、ファルを召喚してなかったらきっと鼓膜が破れて虫のように息の根が止まっていたに違いない」
シーカーは過去にアルフレッドの咆哮を聞いた経験がある。その時は口から泡を吹きながら耳から血を流して倒れたらしい。
それからしばらくは耳栓を手放せなかったと彼は語る。
「本当にすまないっす」
「次からは気をつけてくれ………本当に」
シーカーは契約をしている精霊、ファルハーレの影響で聴覚が人より強化されている。
シーカーがその気になれば半径一キロ圏内であればどんな些細な音でも聞き取る事が出来る。それだけ聴覚が優れているシーカーが大気を揺るがすアルフレッドの咆哮を近距離で聴けば、絶命もあり得る話なのだ。
割と本気で怯えるシーカーのおかげで、先ほどの重苦しい空気が少し軽くなる。
アルフレッドはいつもの調子でシーカーに聞いた。
「ところでシーカー? この半壊した地竜はどうするっすか?」
「とりあえず私が下山して報告して来よう、お前がその呪い塗れの姿で歩き回ってはこの山が死んでしまう」
確かに、とアルフレッドは自分の姿を確認する、ほぼ全身真っ黒だった。
完全に緊張の糸が切れたのか、大きな音を立ててアルフレッドの腹が鳴る。
「………これ、食えるっすかね?」
アルフレッドは空腹感が限界が来たのか、原型のない地竜を見つめてシーカーに問う。
「魔女に呪われていいなら食ってみればいいんじゃないか?」
「シーカー、EX職業は抵抗出来るんですよ?」
「知っている、こんなゲテモノを食おうとしてるお前への皮肉だ」
それだけ言うと、シーカーは風のように山を下って行った。
「まあ、ゲテモノほど美味いって言うっすよね」
そう言って、アルフレッドは火を起こす準備を始めた。
*
「うん、やっぱり以外とイケるっすね」
アルフレッドは結局、地竜の肉を焼いて食べていた。
「良く考えたらゲテモノにしたのは俺で地竜自体は普通のトカゲみたいなもんじゃないっすか」
ガツガツと焼いた肉を食べ続けていると、アルフレッドの身体の怪我はいつの間にか回復していた。
これは竜騎士の特性、というよりはアルフレッドの心臓のおかげと言うべきだろう。
「やっぱり飯を食べると回復が早いっすね」
骨を粉々砕かれた左手を伸ばしアルフレッドはそう呟く、すでに左腕の粉砕骨折すら完全に完治していた。
「でも、もう少しくらい強くならないと自分の身すら守れないっすよね」
先ほどの戦闘を省みて、アルフレッドは思う。
ーー逃げてばかりじゃ、努力をしているリリィに顔向け出来ないっすしね。
そんな事を考える自分に気づくとアルフレッドは照れ臭そうに、本当に感化されてるなぁ、と頭を掻く。
「これから忙しくなりそうな気がするっすね」
ボンヤリとそんな事を考えながら、アルフレッドは食事を続けた。