第三話
「な、な、な、何でこんな所にいるんですか!?」
リリィがそう驚くのも無理は無かった。
リリィのいるこの場所、それは最下級という落ちこぼれに与えられた学園唯一の居場所、旧校舎だったかだ。
アルフレッドは慌てるリリィを窘めるように説明をする。
「落ち着くっすよリリィさん、俺は……そう、通りすがりっす」
「通りすがり?」
「ハイっす、通りすがりっす」
なんだ通りすがりか、と少し気落ちするリリィ。
だが、普通の人はこの場所に踏み入れる事さえない所だということをリリィは失念していた。
そして、そんな嘘がバレないようにアルフレッドは話題をすり替える。
「それでリリィさん、大丈夫なんすか?」
「へっ? な、何がですか?」
「辛い事があったから昨日は泣いていたんだと思って」
昨日の失態を思い出したのか、リリィは顔を赤く染める。
「いや、その、私は落ちこぼれと言うかなんと言うか、魔法使いの才能がないことを周りに非難されて泣いていたといいますか、なんと言いますか……」
自分から口に出すのは嫌なのか、リリィは口ごもる。
アルフレッドはそんなリリィを見て、ああ、と納得する。
「そうだったんすか、でも何か奇遇っすね、実は俺も落ちこぼれなんすよ」
励まそうとしているのか、アルフレッドはあっさりとそんな事を口にする。
しかし、そんなアルフレッドにリリィは疑いの目を向ける。
竜騎士とは職業における最高位、EX職業と呼ばれる最上級職業、おいそれとなれるような物ではない。
だからこそ、そんな職業に就いているアルフレッドが落ちこぼれの筈がない、リリィはそう思っていた。
そんなリリィの胸中を察したのか、アルフレッドは少しだけ悲しげに表情を浮かべて頬を掻いた。
「まあ、その反応は俺を知らない人からは良くされるんすけどね」
リリィは疑いの眼差しを向けていた事を自覚すると、申し訳なそうに謝る。
「ごめんなさい」
「気にしなくていいっすよ、俺がEX職業な事には変わり無いっすから」
気にしなくていいと言うアルフレッドは笑顔だった、しかしその笑顔はどこか嘘くさいとリリィは思った。
ーーこれじゃあ、私は私を馬鹿にする人たちと何も変わらない。
自責の念があるのか、リリィは少し俯きながら口にする。
「気に、しますよ。私は自分がされて嫌な事をアルフレッドさんにしちゃったんですから」
そんなリリィの表情を見たアルフレッドは繕った笑みを止めて、優しげな微笑を浮かべた。
「そうっすか、じゃあそのお詫びとして俺と少しだけお話しをしないっすか?」
「お話し、ですか?」
「そうっす、雑談っす、多分リリィさんの勉強の邪魔になっちゃうと思うんすけど、良いっすか?」
少しだけ呆然とした後、リリィは笑みを浮かべ、答える。
「はい、お話しましょう」
リリィは、優しい人だな、と思いながら雑談に花を咲かせた。
*
「そういえば、魔法使いは一体どんな勉強をするんすか?」
唐突にアルフレッドはそんな事をリリィに聞いた。
迷う素振りを見せる事なく、リリィはスラスラとその内容を上げていく。
「魔法科の授業は主に、魔力の使い方、事象への干渉、魔法を行使する為の式、この三つを学びますね」
「その魔力の使い方と魔法を行使する為の式っていうのはなんとなく分かるんすけど、事象への干渉って何すか?」
「それは魔法を行使した時にその魔法が現実に起こす事象の確認と言っても良いですね、例えば私がいま火を起こす魔法を使うとしますよね?」
ふむふむと、アルフレッドは頷きながらリリィの言葉に耳を傾ける。
「それでこの場で起こる現象は主に、炎の周囲の温度が上がる、です。しかしその用途が別であったらどうなりますか?」
「用途っすか? よく分からないっすけど何かを燃やすとかじゃないっすかね?」
「それも正解の一つです。用途は多々ありますからね。この勉強の目的は魔法を使うと起こる現象は用途によっては起こる現象が変わる、という事を理解する為の勉強です、火を起こすだけでも、燃やしたり、温めたり、照らしたりと様々な用途があります、魔法を使う事によって起こる事象への影響は必ずしも一定ではないんです、だから魔法使いは自分のできる事、やれる事をキチンと把握する必要があって、それを分かった上で魔法を使い分ける訳です、加えていうのであれば魔法のランクですね、初級魔法の基本的な魔法式を使っているお陰で汎用性が高いですが中級魔法になると事象への干渉率が高くなってしまうので用途によって魔法を完全に使い分けなければ行けないのです、さっきの炎を起こす魔法に例えるなら、燃え続ける性質の火を起こす魔法なのか、光源足り得るほど明るい炎を生み出すのか、攻撃をする為に破壊力を持たせるのか、と様々です、上級魔法になると更に用途が限られて来ますが干渉率が高くなり過ぎて起こす現象の副産物が現れるようになります、雷を呼び相手を貫く魔法を使ったなら当然貫いた相手だけではなく状況によっては周囲の人間まで感電してしまいます、結果的に起こる、」
と、熱が入ったリリィを止めるようにアルフレッドは話を遮る。
「リリィさん! すいません、そこまではちょっと俺では理解できないっす」
苦笑いのアルフレッドを見て、リリィは赤面する。
「ご、ご、ごめんなさい! 私ったら熱くなっちゃって」
「いやでも驚いたっす、全然落ちこぼれなんかじゃないじゃないっすか、途中から分からなかったっすけど最初の方は俺でも分かるくらい分かりやすかったっすよ」
落ちこぼれなんかじゃない、その言葉にリリィは敏感に反応してしまい、少しだけ表情に影を落とす。
「知識があっても、理屈が分かっても、魔法使いは魔法を使えなきゃ落ちこぼれですよ、アルフレッドさんは知ってますか? この学園で私が何て呼ばれているか」
アルフレッドは知らないと首を横に振る。
そんなアルフレッドの為に、リリィは自分に付けられた蔑称を口にする。
「最弱の魔法使い、ですよ」
「……それ、本当っすか?」
アルフレッドは信じられないと、目を丸くした。
「本当ですよ、私は基本的な初級魔法しか使えないんです」
リリィがそう独白すると、アルフレッドは違うと否定する。
「違うんす、そこを疑ってる訳じゃないんすよ」
それならアルフレッドは何に驚いているのだろうか? と、リリィは小首を傾げる。
「リリィさんは本当に最弱の魔法使いって呼ばれてるんすか?」
再度そう確認されるとリリィは言葉に詰まってしまう。実際にそう呼ばれているし、本人もそれが事実だとも思っているからリリィは反論すらできずに悔しげに肯定した。
「っ………はい」
苦い薬を無理やり飲まされたような表情のリリィを他所にアルフレッドは嬉しそうに語る。
「実は俺も最弱って呼ばれてるんすよ、最弱の竜騎士って」
今度はリリィが目を丸くする番だった。
「奇遇どころか何か運命めいた物を感じるっすね」
「そう、ですね」
ははは、と笑いながらそう言うアルフレッドだったが、リリィはその共通点は全く嬉しくないと思った。
「俺たちって少し似てるのかもしれないっすね」
アルフレッドの言葉に悪気がないのは分かっている、分かってはいるのだが、その言葉はリリィにとっては辛いものだった。
「違い、ますよ。きっとアルフレッドさんの方がずっと凄い人です、だって私は嫌だもん。最弱なんて呼ばれる事が辛くて辛くて堪らない、私はそんな風に簡単に自分が最弱だって口にできない」
アルフレッドはリリィの言葉に耳を傾ける。
その表情は真面目そのもので、先ほどの舞い上がったようなテンションなど微塵も感じさせないような深妙な面持ちだった。
「私は偉大な魔法使いになりたいんです。例え才能がなくても、凄いって思って憧れた職業になりたいんです、だから私は辛いです、最弱とか、無駄な努力って言われるのが……本当に辛いんです」
ポロポロと涙が溢れる。
泣くつもりなんか無かったのに、胸に渦巻く感情が涙になって流れ落ちる。
悔しくて泣いているのか? 悲しくて泣いているのか? そのどちらなのかアルフレッドには分からなかったが、先ほどの自分が間違っていたという事はしっかりと理解した。
「すいません、やっぱり俺とリリィさんは全く似てなかったっす」
アルフレッドの言葉に、リリィは顔を上げる。
「だって、俺は最弱って呼ばれても気になんないっすもん」
「それは、なんでですか?」
アルフレッドは自らの親指の腹を噛み切ると、その傷跡をリリィに見せる。
「血、出てないっすよね?」
確かに血は一滴も出ていなかった、それどころか傷口は瞬く間に癒えてしまう。
「これは、どうして?」
不可思議な現象にリリィはアルフレッドに尋ねる。
「これが竜騎士に成った理由っす、俺の心臓は竜の心臓なんすよ」
「竜の、心臓?」
「EX職業って本物の才能があって、成りたいっていう志しを持って努力ができる人しかなれないじゃないっすか? 俺にはその才能も努力も志もないんすよ、ただ竜の心臓を移植されたってだけで、俺は竜騎士になる事を強いられたんす」
リリィは絶句する。
竜の心臓、それはこの世で最も得難い物の一つ。
百を生き、千を超え、王と成った竜のみに生成されると言われている竜の心臓、それをアルフレッドは移植されたと言う、言葉も出なくなるというものだ。
「俺の体に流れる血は全て竜の血、だから必然的に竜騎士になる以外の選択肢がなかったんすよ、この心臓のせいで俺の#可能性__才能__#は全部消えたんす」
竜の血は万能とまで言われていた、賢者の石、神薬ソーマと並び立つ万能物質の一つで、竜の血を取り込んだものは強靭な肉体を得て、あらゆる障害や機能不全をも回復するという。
しかし、同時に自己主張の激しい物質であるとも知られており、高い効能の得られる代わりに血を取り込んだ者の才能を削りとるというデメリットが存在した。
「まあ、便利さと不便さを比べるとまだ便利さが勝ってるっすけどね」
と、軽く笑いながら説明をするアルフレッドだったが、この言葉が本当なら王都を含む幾つもの大国が動くような重要事項だ、それをたった2回会っただけの人間に伝えるなど普通はあり得ない。
そう思ったリリィはアルフレッドに尋ねる。
「なんで、そんな大事な事を私に話たんですか?」
リリィの質問に、アルフレッドは少しバツが悪そうに視線を逸らして答える。
「リリィさんに、失礼だと思ったんすよ」
「失礼?」
はいっす、とアルフレッドは答える。
「俺は強いられたから竜騎士になった、でもリリィさんは偉大な魔法使いになりたいから最弱って言われるのが悔しいんすよね?」
リリィは静かに頷く。
「俺は頑張る必要も理由もないから最弱でいいんすけど、リリィさんは違った、何かになりたくて頑張ってる人と只なんとなく竜騎士をやってる人間が似てるだなんて間違っても言っちゃいけなかったっす、すいません」
アルフレッドは深々と頭を下げる。その姿には本物の誠意が感じ取れる。
その姿を見たリリィは、恐る恐る聞いてみる。
「アルフレッドさんは、私を………バカにしないんですか?」
「バカにってなんでっすか?」
酷く不思議そうにアルフレッドは聞き返す。
「だって、私、魔法使いの職業適性がGだし」
「なんでそれでバカにするんすか?」
本当に分からないとアルフレッドは顔を顰める。
そんなアルフレッドからリリィは目を逸らし、誰かに言われた言葉を口にする。
「無駄な努力って、良く言われるから」
「それはリリィさんがそう思ってるんすか?」
そう言うアルフレッドの声音は少しだけ怒っているように聞こえた。
「私はそんな事………ないと、思いたい」
「じゃあバカにする理由なんか一つもないっすよ、無駄かどうかなんてやってみなくちゃ分からないっすよね? もし俺がリリィさんをバカにするとすれば、それはリリィさんが自分の努力を無駄な努力と思ってた時だけっすよ」
リリィは顔を上げて、アルフレッドの目を見つめた。
「私が? 自分の努力を?」
「だって、無駄って思いながら頑張るなんて、それこそバカみたいじゃないっすか」
リリィは、そっか、と納得してしまう。
ーーそうか、そうだったんだ。私は自分で自分の事をバカにしてたんだ。
何度も考えた事があった、こんな勉強は意味がないんじゃないか? こんな事をしても無駄なんじゃないか? と。
諦めるくらいなら、最初から魔法使いになってない。
そう言っていたのは他でもないリリィ自身だった。
諦めるくらいなら、無駄だと思うくらいなら、最初から何もしなければ良かったのだ。
そうすれば辛い思いも、悔しい思いも、悲しい思いも、何一つ味わう事など無かったのだ。
辛くても、結果が出なくても、リリィ自身が望み、欲した未来の為なら、それは決して無駄な事などではない、本当の意味で自分を蔑ろにしていたのは、紛れもなく、リリィ・マクスウェル本人だったのだ。
そんな自覚が胸の内にストンと落ちると、また涙がポロリと溢れた。
「そう、ですね。確かにそれはバカみたいです」
自覚をしてみると本当にバカみたいな話だと思えた。
何故なら、自分がされたら嫌な事を自分自身が自らにしていたのだから。
必死に涙を拭うリリィを見たアルフレッドはボソリと呟く。
「決めた」
「えっ?」
良く聞き取れなかったリリィが、どうしたんですか? と聞くと、アルフレッドは真面目な表情で言った。
「俺は、決めたっす」
「何をですか?」
困惑するリリィを置き去りにして、アルフレッドは決意と共にそれをリリィに告げる。
「俺はリリィさんを応援するっす、リリィさんが偉大な魔法使いになるまで、ずっと応援するっす」
脈絡も無くそう言うアルフレッドの瞳には少しの曇りもなかった。
何がだからなのか、何でそう決めたのか、今のリリィには少しも理解出来なかったが、そんな事はどうでも良かった。
リリィは問う。
内心ではきっとアルフレッドならそう答えてくれると分かっていた、そして、それが甘えだとも分かっていた。
それでも、そう聞かずにはいられなかったのだ。
「私は、偉大な魔法使いになれると思いますか?」
「当然! 俺は馬鹿だし、頭は悪いっすけど、人の見る目は確かなつもりっす、リリィさんならなれるっすよ、偉大な魔法使いに」
ーーずっと、誰かにそう言って欲しかった。お前なら出来るって、必ず偉大な魔法使いになれるって。
私はこれが甘えだと知っている。
私はこれがアルフレッドさんの優しさだと知っている。
でも、それでも。例えこの言葉が嘘だったとしても。
私はこの言葉を信じたい。
「ありがとうございます、アルフレッドさん」
「リリィさん、俺のことはアルフって呼んで下さいっす」
泣き崩れる前にリリィは思った、
ーーアルフにも、私の事をリリィと呼ばせよう。
きっとそうしたら、私はもっと頑張れる気がする。
そして、いつかきっと……。
今日何度目か分からない涙を流し、リリィはアルフレッドの言葉を胸に刻み込んだ。