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 この一年――わたしは、多くのものを見た。

 あるじ様の『俺が何を行おうとも』という言葉通りに。


 まず、聖女様へ手を伸ばす前に、あるじ様は地盤固めをする必要があった。あるじ様の当主就任は、ありえない番狂わせだったからだ。

 たくさんの火の粉を払わなければならなかった。

 非道と言われる行いもあった。血も流した。


 わたしは死に慣れ、表情を作ることを覚え、公爵家に仕えるための作法や、知識を貪欲に習得した。

 あるじ様は悪名を欲しいままにし、わたしはあるじ様の側近として認知されるようになった。


 二大公爵家の対立も激しくなった。

 爵位を継ぎ、公爵となったリオルナーは、聖女様を守ろうと必死になっている。

 守りは固く。聖女様への手の者の接触や、誘拐はことごとく失敗した。

 けれども、証拠は残していないので、リオルナーはあるじ様を告発することはできない。

 





 わたしはあるじ様と共に、指定しておいた場所で、聖女様――リンカを待っていた。


 リンカに会い、祝いの言葉を述べたとき、彼女に渡したものがある。


『もし聖女様が故郷に帰りたいと思っているなら、降臨祭の日、六の刻、聖女様がはじめに降り立った地へおいでください』


 そんな文章を記した紙切れだ。

 握って、不思議そうにしていた。あとから、読んだはず。


 そしてきっと――来る。


 リンカが降り立った地は、王都の外れにある遺跡群だった。中心にある泉から光の柱が迸り、そこからリンカは現われたのだという。見つけたのが、コルエン公爵の命令で遺跡の調査に訪れていたリオルナー。リンカが降臨した正確な場所は秘され、一般には遺跡群への立入も禁止とされている。


 召喚の場は、帰還の場でもある。

 あるじ様に知らされた、リンカの帰還方法は、驚くほど簡単だった。

 召喚したのと同じ日、同じ時間帯に、契約の血筋――ガーウィン公爵家の人間が、一滴の血を捧げる。すると、リンカが通ってきた道が、開く。

 おそらくは、光の柱が再度出現する。

 リンカは、そこへ飛び込むだけ。

 そうすれば、自分の世界へ帰ることができる。


 今日は、リンカがやってきて、ちょうど一年。

 国は、リンカの訪れた日を、新たな祝祭の日として定めていた。

 それが今日、降臨祭の日だ。雪だった一年前とは違い、空は晴れ、天気は穏やかで、冬にしてはあたたかい。

 この日を無事迎え、終えた後。

 明日、リンカとリオルナーの結婚式が行われる予定だった。国中が待ち望んでいる。


「セルマさん!」


 息を切らして、リンカはやってきた。しきりに後ろを気にしている。


「護衛の人をまいてきたけど、あまり時間が――」


 そこでリンカは言葉を切った。わたしだけでなく――あるじ様の姿を認め、怯えた様子を見せている。わたしは微笑んだ。

「ようこそ、リンカ。こちらは、ガーウィン公爵。フリード・エルレー様。わたしがお仕えしている方です」


「どういう、こと? どうしてその人が」


「『もし聖女様が故郷に帰りたいと思っているなら、降臨祭の日、六の刻、聖女様がはじめに降り立った地へおいでください』。そう書いた紙をわたしはリンカに渡しました。そのために、あるじ様にも来ていただく必要がありました。周囲に何を言われているのかは想像がつきますが、わたしもあるじ様も、リンカを傷つけるつもりなどありません」


 あるじ様は、国に安寧をもたらす聖女様が邪魔で、殺そうとしていると、まことしやかに囁かれている。

 傷つける? まさか。

 わたしもあるじ様も知っている。聖女として召喚されたリンカは、何の非もない少女。いまもって、この国に幸福を奪われ続けている。

 そんな存在に対し、どうして危害を加えられるだろう。


 もしここにリンカが来なかったら、最後の手段として、あるじ様もこれまでリンカに対しては控えていた、強攻策に踏み切ったかもしれない。だとしても、傷つけるな、と指示は付け加えたはず。彼女の死など望んでいないのだから。


「……うん」


 まだ緊張している様子ではあるものの、わずかにリンカが警戒をといたようだった。

「セルマさん。この間も、そう言ってたもんね」


 ――セルマさんは、嘘をついてない。


 小さく、どこか憂いを秘めて、リンカが呟いた。


「はい」

 リンカが、わたしへと近寄ってくる。わたしは苦笑した。泉のすぐ側に立っているあるじ様のことは怖いようだ。

「あの……セルマさん」

 彼女の澄んだ瞳には、期待と不安があった。


「わたし……わたし、帰れるの?」

「リンカは、周囲の方に、なんと言われていたのですか?」

「――帰れないって。この世界に来た頃、国王陛下から……。他の人に訊いても、聖女が帰った例はないって……。誰も、帰れるって言った人はいなくて……」

 わたしは、リンカが、わたしの渡した紙切れを握りしめているのに気づいた。


「セルマさんから貰った紙を、一人になったときに読んだの。――すごく、驚いたよ。でも、信じたいけど、信じられなかった。だから……だからね、もう一度だけ、誰かに『帰れるの?』って訊いてみようって思った。訊く人は、レイしか思い浮かばなかった。わたしはレイを、一番信用していた、から」


 一度目にリンカに尋ねられたとき、リオルナーは『帰れる』とは知らなかったのだろう。

 二度目のときは、聖女様の伴侶となると決まっていたのだ。『帰れる』と知らされていたはず。


「リオルナー様はなんと?」

「……帰れないって。でも」

 悲しそうに、リンカは続けた。


「前に訊いたときと、ちょっとだけ、レイの様子が違った。好きな人のことだからね、――わかった」


 愚かなリオルナー。正直に答えていれば、きっとリンカは、ここには来なかった。


「……リンカ」

「ねえ、セルマさん。わたし、帰れないんだよね?」


 帰れるのか、ではなく、帰れないはずだと、念をおすかのような問い。

 私は返事を躊躇ってしまった。

 愛する人は嘘をついていないと信じたいという想いと、帰りたいという想い。

 どちらが、リンカの中で強いのだろう。


「聖女。お前は帰れる」


 あるじ様の声が響く。泉に、血が一滴、落とされた。

 泉から、光の柱が出現する。


 その瞬間、わたしは胸をおさえた。よろめきそうになってしまった。あるじ様の表情が、微かに揺れたのを知る。

 胸から手を離し、わたしは足に力を入れた。倒れるわけにはいかない。まだ、倦怠感があるだけだ。立っていられる。


 ――大丈夫。あるじ様に、悟られてはならない。


「嘘……」


 リンカが泉を振り返り、その光景に震える呟きを漏らした。

 あるじ様は、リンカに話しかけた。


「帰りたいなら、この光に飛び込め、聖女。――お前は、帰りたいんだろう?」


 唖然と、光の柱をリンカは凝視している。

 そして、ぐっと拳を握りしめた。歯を、食いしばっている。


「これを逃したら、二度と帰れない」


 リンカは、迷っているようだった。それでも、動かない。

 ――どこかで、馬の嘶きがした。リンカを捜す者たちだろう。

「もうすぐ、邪魔者どもがやってくる。……奴らは、お前を帰さない」

 あるじ様の言葉を受けて、リンカが一度目を閉じた。すぐに開くと、わたしに向き直った。

「ありがとう、セルマさん」

 言うと同時に、小柄な少女は、泉へと走り出した。


 けれども。


「リンカ!」


 叫び声に、彼女の足が止まった。馬で駆けてくるリオルナーだ。


 わたしは息を呑んだ。忘れもしない。変わらない、その姿。金色の髪。緑色の瞳。若い娘なら、誰もが憧れるその容姿。――わたしの悪夢そのもの。


「リンカ! 行くな!」


 凍り付いたようにリンカは動かない。どんどんリオルナーが接近してくる。


 邪魔は、できなかった。

 この場で選ぶのは、リンカだ。それは、彼女自身の意志でなければならない。


 願わくば――。


「聖女。忘れたのか? お前は、故郷で幸せだったろう? すべてを捨てることができるのか? 信頼のできない者のもとで」


 あるじ様は――わたしを見ていた。


 立ち止まっていたリンカが、迷いから覚めた様子で、キッとリオルナーが駆けてくる方向を睨んだ。

 リンカもリオルナーも、互いの姿がはっきりと見える距離だ。


「レイ! そこで止まって! 来ないで、わたしの質問に答えて!」


 リオルナーが手綱を引き、馬を停止させる。馬から降りた。


「答える。答えるから、行くな。リンカ」

 声も、聞こえる距離だ。

「うん。質問は、一つだけ。――本当のことを教えて。答えて」

「本当のことを教える」

 リオルナーが頷いた。


「レイ。わたしは、わたしの世界に帰れるの? 帰る方法はある?」


 リオルナーは、心臓を掴まれたような顔をした。この男は、こんな顔をできるのかと思った。ランベール伯爵の言葉を思い出す。変わったのだ、という。――変わらなければよかったのに。


「……帰れる」


「レイは、知ってた?」

「数日前に、知った」

「……わたし、それを、あのときに聞きたかった。……レイは、知ってたのに! わたしが、どんなに帰りたがってたか……! どんなに、家族に……! それなのに!」


「……言ったら!」


 リオルナーが叫んだ。


「言ったら、帰っただろう! おれは喪いたくなかった!」

「そんなの、わかんないよっ! でも、でも、もし、レイが本当のことをあのときに教えてくれていたら……もし、そうだったら――」

 その先を、なんとリンカが続けようとしていたのかは、想像するしかない。かぶりを振ったリンカは、別の言葉を紡いだ。


「セルマさんや、ガーウィン公爵は、悪くない。ちゃんと、言っておくね。……これはね、これは、わたしが選んだことだから」

 彼女は、決意したのだ。


「リンカ?」


 恐れを、リオルナーがその顔に浮かべる。喪う恐怖。喪う、予感。

 リンカは、未練を振り切るように、動き出した。泉へと駆け出す。

 リオルナーが追う。


 光の柱へ、リンカが飛び込んだ。

 リオルナーがリンカへ手を伸ばした。光の中へ、わずかにリオルナーの手が届く。

 けれども、そこまで。


 ――光の柱が、消えた。


 泉は、ただの泉へ。

 リンカの姿は、もう、どこにもない。

 光の柱があった場所へ――虚空へ手を伸ばしたリオルナーが立ち尽くしているだけ。

 残された男は、伸ばしていた手で拳をつくり、がくりとその場に膝をついた。




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