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 かつて、ある雪の日に、わたしはあるじ様と出会った。


 ――わたしは死のうとしていた。


 顔を焼き、少し楽になった。でも、少しからちっとも増えない。完全に楽にはならない。まだ生きている。どうして身体は生きようとするのだろう。

 お腹がすいた。歩き続けていると足が痛い。身体を拭かないとすぐ臭くなる。髪はごわごわ。街には入れない。まるで浮浪者のよう。

 死に場所を求めて、雪景色の中を、たださまよっていた。そうしていつの間にか、ガーウィン家所有の森林に入っていたと気づいたのは、事が起こってからのこと。

 雪の舞う中、歩き続け、わたしは熱を出していた。頭は朦朧としていた。


 夢か現か。


 剣戟の、音がした。

 わたしは、争っている二人の男を目撃した。

 片方の男が、何か喋っている。


「……ド! 貴様は死ななければならない!」


 喋っている男は、リオルナーだった。


「もし――ようなら! お前の! お前のせいだぞ!」


 リオルナー! リオルナーが叫びながら、もう一人の男を剣で殺そうとしている。

 その姿を見たとき、負の感情すらなく、ずっと、死んだようだったわたしの心が燃え上がった。


 あの男は、また、誰かの人生を奪おうとしている!


 ――殺してやる。


 そうだ。なんでわからなかったんだろう。わたしはあの貴族が憎い。殺してやりたかった。なんでわたしだったの? 下心はあった。恋愛を夢見た。愚かな小娘だった。ただの平民だった。

 それはそんなに悪いことだった? 

 運が悪い? 仕方ない? よくあること?


 違う違う違う!


 ――なんで、なんで、なんでなんでなんで!


 あいつは、何の咎めも受けないの!


「リオルナー! お前なんか死ね! 死んじまえ!」


 雪を探り、石を拾った。力一杯、リオルナーに投げつけた。


 地獄に落ちろ!


 二度とわたしの前に現われるな! わたしが、お前の前から消えるんじゃない!


 お前が! お前のほうが、わたしの前から! 消えるべきなんだ!


 石を見つけては、投げる。

 指先が冷たい。痛い。

 投げる。投げる。投げる――。


 リオルナーが憤怒の形相で振り返った。わたしを睨みつけた。


「女ぁぁぁぁぁぁぁ! 邪魔だああああ!」


 頭から血を流したリオルナーが剣を振り上げ襲いかかってくる。


 ――けれど。

 その剣がわたしに振り下ろされる前に、近づくリオルナーの顔が、歪んだ。

 その口から、血を吐いた。

 胸の中央から生えた剣の刃を震えながら見下ろし、前のめりに、倒れる。


 倒れた死体から、真っ赤な液体が流れた。雪を染める。


 ……リオルナー、じゃない。


 ようやく、ここで、わたしの頭にかかっていた幻想は消えた。


 違う顔だった。身長も、髪の色も、あの男じゃない。


 剣の突き刺さった見知らぬ死体を、凝視する。


 へたり込んだ私は、音に……その音のした方向に視線を向けた。


 殺人者――若い男が立っていた。争っていたもう一人のほうの男だ。負傷している。男の足元に、傷口から滴り落ちた血が赤い花を咲かせていた。


 と、わたしは手をかざした。


「…………?」


 眩しい。わたしは目を細めた。男の背後。ずっと遠くに、輝く光の柱が現れていた。

 なんて――なんて綺麗な光。


 あれは、何だろう?


 男が、身体をひねり、わたしと同じように、光の柱を見た。


「……聖女が。馬鹿な」


 かすれた、そんな言葉が男の口からもれる。


 聖、女?


 男がよろめいた。とっさに立ち上がり、駆け寄ったわたしは、男の身体を支えていた。重く、熱い。


「まさか、俺を助けるつもりか? 女」


 顔のすぐ近くに、男の吐息がかかる。男はわたしが思っていた以上にひどい怪我を負っているようだった。

「俺を助けても、得るものは何もないぞ。俺には、何もない。放っておけ」

 男が、わたしを、そして他の何かを、嘲笑った。

 わたしは、笑ってしまっていた。


「何を笑う」

「わたしも何もないんだもの。……何も。ぜんぶ。ぜんぶ、失ってしまった。あるとすれば、汚れたこの身体一つだわ」

 何の価値もない人間。それがわたし。

「……汚れた?」

 男が問うように呟いた。そして、意識を失った。


 ――死ぬのかしら? この人。


 さらに重くなった男の身体を支え、わたしは考えた。

 放っておいたら、確実に死ぬのだろう。

 でも、恩は、返さなければならない。

 そう思った。


 どんな手段であれ、この男はわたしの命を救ってくれた。捨てるはずだった命だけれど、たしかにわたしは、殺されかけて、死にたくないと思った。

 わたしの運命を変えたのは、この男。

 なら――この男が生きているうちは、わたしも生きてみよう。

 男を、助けてみよう。






 わたしは、男の腕を肩に回して、背負うようにして、森を歩いた。

 見つけた山小屋に侵入し、男を寝かせる。

 山小屋は、この土地の管理者のものだろう。住まいとして使っているわけではなさそうだったが、冬用の備蓄が置かれていた。薪や炭、剥いで干した獣の毛皮。容器。多少の食糧。


 暖炉に火を起こし、毛皮を床に敷き、男を寝かせる。

 容器に外の雪を積め、暖炉の火で溶かして、水に。

 男の服を脱がせ、その水で傷口を洗う。男の服は裂いて、布代わりにした。

 自分でできそうなことを、精一杯してみる。


 けれども、すぐにわたしは失望に襲われた。

 男の顔色はどんどん悪くなり、熱かった身体は冷えはじめ、肩から胸にかけての傷口からの血は、わたしが手で力一杯おさえても止まらない。


 ――死んでしまう。


「死なないでよ」


 ここで、男が死んだら。


 わたしは、負けたことになるような、気がするから。

 何に負けるの?

 わからない。――何もかもに?


 何かに、逆らって、正反対の結果を、出して、わたしは、それ見たことかって、意地悪く、笑ってやりたい。


「死なないでよ……。生きて。生きてよ……! あんたが死ねば、わたしも死ぬんだから」

 男の手を、握る。ああ、そういえば、わたし、男に、自分から触っているのね。あれから、男という生き物が近くにいるだけで、吐いていたのに。


「……な、ぜだ」


 男が、目を開けていた。意識が朦朧としているのか、瞳の焦点が合っていない。けれども、男は手を握り返してきた。


「な、ぜ、俺、が死ねば、お前、が、死ぬ?」

「そう、決めたんだもの。……お願いだから、生きてよ」

 男が、辛そうに、息を吐いた。わたしを、見る。力強い意志が、宿っていた。


「俺を助ける、気があるなら、言うとおりに、しろ」


 山小屋内を、視線だけで一巡させて、男はわたしに指示を出し始めた。室内のどこに、何があるのか、男は把握していた。わたしが見つけられなかったものが次々と出てくる。薬草の瓶。短剣、繕い用の大針と糸。布。


 短剣を暖炉の火に通し、男の言った通り、熱した刃を、傷口に何度かあてる。

 男はその度に歯を食いしばり、耐えた。

 次に、傷口を大針と糸で縫った。そこへまた熱した刃をあて、最後に、薬草をつぶして塗り、上から布をまく。


 男が、それを見届け、気絶した。

 緊張の解けたわたしも、疲れ切って、眠りに入った。






 目が覚めたわたしは、まず男がいるかどうかを確認した。


 あれが、狂ったわたしの見た夢でなかったのかどうか。


 そこに、存在しているのかどうか。


 男はきちんと存在していた。顔色はだいぶよくなっており、生きていることを示すかのように、胸が上下している。巻いた布に血は滲んでいたが、それだけだ。大量に血が流れ出るようなことにはなっていない。


 ――もう、だいじょうぶ。この人は、きっと、死なない。


 そのときの気持ちを、なんと言えばいいのだろう。

 とても、とてもとても久しぶりに、喜びという感情で、わたしの心が動いた。


 それから、わたしは男の看病を続けた。ときどき男は目を覚まし、わたしに指示を出す。それをわたしはいつも慎重に実行した。


 一日、二日、三日……。

 だんだんと、男の意識がある時間が増えてゆく。

 一度、わたしが外に雪を集めに行っているときに、男が目を覚ましたことがあった。立ち上がり、小屋から出、わたしを捜そうとしていたのには驚いた。


「……雪を取りに行っていたのか」


 雪のたっぷり入った器を抱えたわたしを見て、男が複雑さを滲ませ、口にした。


「水がなくなっていたから」

「……逃げたわけではなかったのか」

 わたしは大きく目を見開いた。


「あははははは!」


 わたしが逃げる? そんなことを考えていたなんて!

 おかしくて、おかしくて、声を出して笑ってしまった。男が目を丸くしている。――この男は、わたしを笑わせるのが本当にうまいと思った。


「逃げるってどこに? 覚えてないの? わたし、言ったじゃない。わたしには、何もないって」

 逃げる場所なんて、どこにもない。

「だから、わたしを信用しなくていいけど、疑う必要もない」

 男がじっと、わたしを見る。


「――俺の怪我が治ったら、お前はどうするつもりだ」


 どうするか? わたしは少し、顔を伏せた。

 男が死なないようにするのが、最初の目的。次は、男の怪我が治るまで、看病することが目的になった。――男の怪我が治ったら?


 わたしは男を見上げた。

 この男は何者なんだろう。

 立った男は、とても背が高い。加えて、鋭いが端正な顔立ちをしている。いろいろなことを知っている。剣技の覚えがある。争っていた人間を殺した。猜疑心が強い。わけあり……裏の仕事に通じる人間?

 ――何者であろうと、男が身体を清め、髪を整え、清潔にし、しかるべき服に着替えたら。わたしは、男の周囲にいるだけで不釣り合いだろう。そもそも怪我が治れば、わたしは用済みだ。


 でも、男が助かったのだから、それでいい。

 おかげで、何かに、勝ったような気分になれたから。

 不思議と――死ぬ気も、消え失せていた。

 ただ、どうするか、と言われたら。


「…………」


 次の目的は見つからない。

 わたしは沈黙するしかなかった。


 その夜、わたしと男は名前を教えあった。男はフリードと言った。

 わたしは男をフリードと、フリードはわたしをセルマと呼ぶようになった。

 二人での生活は続き、フリードはどんどん良くなっていった。……そういえば、フリードは、わたしの顔について、何も言わないなと、この頃にようやくわたしは思った。態度に、現さない。自分の顔が、以前のままなのではないかと、鏡を見たくなった。かわりにひきつれた火傷の跡を触ってみて、現実を思い出した。


 そして――十日以上が過ぎた頃だろうか。

 山小屋へ、来訪者があった。

 身なりのいい老齢のその騎士は、畏まった態度でフリードに接した。


「よくぞご無事で! フリード様……! いえ、あなたはガーウィン公爵となられるのです! これでガーウィンは救われます!」


 自分が彷徨った森は、ガーウィン公爵の領地だったのだと、そのときようやくわたしは知った。

 フリードは、リオルナーと同じ、貴族だった。

 胸が、痛くなった。



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