表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

五 まほろぱ

「お目覚めですか? 姫様」

 目を開けると、眩しい光とともに、侍女の(いずみ)がちょうど部屋に入ってくるのが見えた。

「……泉」

 名前を呟くと、来年には十二歳になる少女は、にっこりと笑った。

 その笑い方は、顔立ちは似ているものの、彼女の母親の鈴の笑い方とは異なっていた。

 泉の優しい雰囲気そのままの笑顔は、彼女の父である那智と同じものだ。

 泉は、顔立ちは鈴に、性格は那智に似ていた。

 彼女は、あの幸せだった日々の中で鈴のお腹に宿り、那智の死の直後に生まれた、二人の子どもなのだ。

 義高の父である木曽義仲が、頼朝の弟・義経に破れ討ち死にした後、義高主従は鎌倉御所を脱出した。

 だが皮肉にも生き残ったのは、時間稼ぎのために一人鎌倉御所に残った海野小太郎のみ、であった。

 彼が義高に成りすまし、頼朝の目を欺いている間、義高や那智達は少しでも速く、木曾に逃れるという計画だった。

 これには、実は政子も一枚噛んでいたらしい。

 しかし、結局義高は追いつかれ―殺され、一人生き残った小太郎は、処罰を受けることなく放免された。

 そして彼は、子どもを生んだばかりの鈴を伴い、故郷の木曾に帰って行ったのだ。

 今では、鈴との間に二人子どももいる。

 時々、彼らから大姫に何かしら送られて来る。

 それは、名前も知らない木の実であったり、山や川で捕れた肉や魚の燻製であったりした。

 そして、今年春の終わりに木曾から届けられたものは―那智の忘れ形見で、だけど何も知らない、この泉という少女だった。

 義高の死後、一日の大半を寝て過ごし、幼い三幡や千幡以外には、全くと言っていいほど笑顔を見せなくなった娘を案じ、少しでも大姫の気が紛れればと、政子が鈴に頼んで鎌倉に呼び寄せたのだ。

「泉、今何刻?」

「あと一刻(だいたい二時間)で、お昼ですよ」

「もう、そんな時間なの?」

 泉が開けた戸から差し込む光は明るく、昨日の夕刻からこんな時間帯まで眠っていたとは、さすがに自分で自分が情けなくなる大姫である。

「起こしてくれれば良かったのに」

「昨日、姫様をお連れになった頼家様が、『姉上はお疲れのようだ』と言ってらっしゃったので。それに、体が休みたがっている時は、休まれたらいいのですよ。その分、明日早く起きられたらいいじゃないですか」

しかし、泉はふわっとした笑顔を浮かべるとそう言った。

 その言葉が、優しく自分を包み込むことを大姫は感じた。

 この少女を見ていると、あの日々を思い出す。

 義高がいて、鈴や那智、小太郎達がいた―。

 それは、少しだけ自分をうれしくさせて、それと同時に切なくさせる。

「……泉、私手水使いたいな。用意してくれる?」

 だから、大姫は淡々とした口調でそう言った。

 込み上げて来る、切なさを抑えるために。

「はい、ついでに朝げの用意も頼んできます」

 しかし自分のそっけなさを、母の大らかさと父の優しい気質を受け継いだ少女は、特に気にもせず、ぱたぱたと小走りで部屋を出て行った。

「……」

 その姿を見送りながら、大姫は軽くため息を吐く。

 外の日差しはまだ強く、夏の名残を残していた。


「姉様、起きていらっしゃいます!?」

「おきていらっしゃいます!?」

 手水で顔を洗い、身支度をすませて朝げをとっていると、妹の三幡と弟の千幡が部屋の中に入って来た。

「三幡、千幡」

 器に盛られたおかずに、二、三度箸をつけたものの、あまり食が進まず、ご飯も半分以上残っているがそれ以上食べられず、どうしたものかと思っていた大姫は、妹と弟の訪問をきっかけに箸を置いた。

「もういいんですか? 姫様」

 傍に控えていた泉が、少しだけ顔をしかめて言う。

「うん。もうお腹いっぱい」

「でも、昨日の夜も食べていらっしゃらないのに」

「ごめんね。でも、夕餉は余分に食べるから」

 いつもなら無理をしてでも、もう少し食べているのだが、暑さのせいか、眠りすぎた体が寝ぼけているのか、食欲がわかない。

 まして三幡と千幡が来た以上、ゆっくりと食事をすることはできそうになかった。

「ねえさま、あのね」

 案の定、箸を置いた大姫の膝に、千幡が飛びついてきた。

「あ、ずるい千幡」

 遅れを取るまいと、三幡も続いて大姫の膝に飛びついてきて、膝取り合戦が始まった。

 その様子を見て、泉は笑いながら立ち上がった。

 その仕草や落ち着きは、今、自分の膝の上でじゃれている妹と、たった二つ違いの少女のものとはとても思えない。

 目礼をして、部屋を出て行く泉の姿を見送りながら、大姫はそう思った。

 まあ彼女の場合は、置かれている境遇のせいもあるのだろう。

 所領はあるものの、木曾義仲の一族であるばかりに、武士とは名ばかりで、農民と一緒に農作業に励む鈴や小太郎を支え、幼い弟達の面倒を見ていたのだ。

 もっとも、泉が大人びて見えるのは、妹が年のわりに幼いのもあるようだ。

 三歳の弟と、互角にけんかをしているところなど、そのいい証とも言えないことはない。

 でも―その彼らの無邪気さが、自分のこの現での寂しさを、紛らわしているのは事実だ。

「ところで二人とも、私に何か用があったんじゃないの?」

 だから、自分の膝の上で暴れる妹と弟を咎めることはせず、大姫は穏やかな声でそう尋ねた。

「あ、そうだった」

 とたんに、膝取り合戦をしていた二人の動きが、ぴたりっと止まった。

「あのね、姉様、母様が姉様にお話があるんですって」

「母上が?」

「うん。だから私と千幡が、姉様が起きていてご気分がよろしいか、確かめに来たのよね、千幡」

「ね―」

 まだ言葉を上手に使うことができない千幡は、三幡の言葉にうんうんと頷いた。

「そう……」

 だが、姉の綺麗な顔がゆううつそうになるのを見て、千幡はその無邪気な顔を曇らせる。

「ねえさま、ごきぶんがわるいの?」

「え?」

 その言葉に、大姫は、はっとなった。

 千幡の澄んだ瞳が、じっと自分を見上げてくる。

「かあさまと、おはなししたくないの?」

「……そんなことないわよ、千幡」

「かあさまにあいたくないなら、ねえさまはごきぶんがわるいですって、いうよ?」

「そうなの?姉様」

 三幡も、大姫をじっと見上げてくる。

 こうやって、いつだって自分を気遣ってくれるのだ。この、幼い弟妹達は。

 本当に、頼家も、三幡も、千幡も、泣きたくなるぐらい自分に優しい。

 だから、大姫は弟や妹達には微笑むことができるのだ。穏やかに微笑んで、

「だいじょうぶよ。だから千幡、三幡、母上を呼んで来てくれる?」

 そう言った。幼い者達に、これ以上心配をかけぬように。


 多分、母もその辺のことはわかっているのだろう。

 だから自分が行く前に、三幡と千幡を大姫の部屋に行かせたのだ。

 案の定、母の政子はすぐにいそいそとやってきた。

 呼びに行かせた三幡と千幡は戻って来ず、喜色満面の母の訪れに、大姫はため息を吐きそうになる。

 ―母は、悪い人ではない。

 それどころか、父の頼朝に比べたら、よくこの二人夫婦になったな、と思うぐらい情の深い人だ。

 殺されそうになった義高を頼朝に逆らって逃がしているし、義高が殺された後記憶の混乱を起こし、人形のようになってしまった自分を献身的に看病してくれたのも、この母だ。

 ただ、母は夫の考えることに間違いはない、と思っているふしがあった。

 確かに、義高の件では納得がいかず逆らってはいるが、だいたいにおいては、頼朝の意見を深く考えずに受け入れている。

 ようするに、父の言いなりなのだ。

 まして、自分は昨日の父の話を断ったばかりである。

 母の話の内容など、すぐに想像がつくと言うものだ。

「あまり、ご気分がよろしくないようね?」

 一方政子の方は、ため息を吐きそうになる大姫の真正面に座りながら、うきうきした表情でそう言った。

 その母上のうきうきとした顔が原因ですよとはさすがに言えず、大姫は、

「三幡と千幡はどうしました?」

と、母に問うた。

「後でまた来ますよ。あれ達がいては、ゆっくりと話しもできませんからね」

「―五郎(ごろう)との……叔父上とのお話なら、お断りですよ」

「あら」

「五郎には、ちゃんと相愛の相手がおります」 

 大姫は母の話を制して、そう口火を切った。

 五郎とは、正式な名は北条(ほうじょう)時房(ときふさ)、大姫の叔父に当たる人物である。とは言っても、彼は政子の兄弟(七人)でも一番下の末っ子で、大姫とは五つしか違わない。

 最近ではそうでもないが、昔は互いの家(御所と北条館)をよく行き来し、遊んだ仲でもある。その五郎との縁談が、昨日父の頼朝の口から出たのだ。

 五郎とその恋人のことを知っていた大姫は、すぐさま断ったのだが。

「姫は、よくそのことを知っていたわね」

「以前五郎が遊びに来た時、さんざんのろけてくれましたからね。相手は、比企(ひき)の姫君です。妻に迎えるとしても、不足はない方です」

 きっぱりと言い切った大姫に、政子は苦笑を浮かべた。

「姫、殿も本気でこの話を進めようとは、まだ考えていらっしゃらないのよ。ただ、お前と五郎は兄妹のように仲が良かったから―」

「つまり、この話はなかったことになるのですね?」

「まあ……そうね、そういうことになるわね」

「なら、いいです」

 取り付く暇もなく母に確認すると、大姫はそこで言葉を切った。

 それ以上、問うことも話すこともしようとしない娘に、政子は困った顔になる。

 その表情に、父も母もあわよくば、と思っていたのが見て取れて、大姫はさらに頭が痛くなるのを感じた。恋人のいる五郎に自分を押し付ける、ということは、愛し合う二人を引き裂く、ということだ。

 冗談ではない、と思う。

 自分では五郎の恋人の代わりにはなれないし、五郎も、義高の代わりにはなれない。

 五郎は、あくまでも「兄」なのだ。

 五郎にとって、自分があくまでも「妹」であるように。

「まあ……話と言うのは、五郎とのことではなくて、別のことなの。姫は、殿が近々三浦(みうら)にお出かけになられることは知っているわよね?」

 その件については諦めたように政子が口を開き、大姫はようやく母に言葉を返した。

「ええ。京からのお客様を歓迎されるため、と聞いております」

「それでね、そのお客様の寝所を、小御所(こごしょ)に用意しようと、父上は考えていらっしゃるの」

「小御所に?」

「ええ。大御所は人の出入りが激しいし、宿直人(とねいびと)もいるでしょう? はるばる都から来られるお客様も、ゆっくりできにくいかもしれない、と言われてね。その点、小御所は人の出入りも少ないし、女手もあるから」

 気を取り直したように、政子はそう言った。

「そうですか……しかし、そのようなこと、私に言わずとも良いのでは? 母上のよろしいようになさってください。ここの主人は、母上なのですから」

「まあ……そうなのですけどね」

 曖昧に笑い、自分の言葉を受け流す母を見て、大姫はそれが口実であり、母が本当は五郎との話をしたかったのだろう、と考えた。

 やがて、政子は娘の部屋にいる理由をなくし手持ちぶたさになったのか、ゆっくりと立ち上がった。

 娘に挨拶をし、部屋を出て行こうとする母に、大姫はふと思い出したように尋ねてみた。

「お客人の名は、なんと申されるのですか?」

一条(いちじょう)高能(たかよし)様、と申されます。殿の妹君・葉津(はつ)様のお子だから、姫とは従兄妹同士になられる方ですよ」

 政子は振り返り、笑顔で答えた。

 その母の笑顔には、先ほどのうきうきした感情が宿っており。

―大姫は、嫌な予感を覚えた。

一条高能。彼は、頼朝の同母(どうぼ)(まい)の子である。

 頼朝とは二つ違いで、明るく屈託のなかった彼女は、都の公家の一条能(よし)(やす)に嫁ぎ、高能を産んだ。

 彼の母は、彼自身が幼い時に亡くなったが、亡き母とよく似た容貌で、なかなかの美男子らしい。

 地位においても、その若さで右兵衛督(うえもんとく)である。

 わかりやすく言えば、この時代の、顔良し、地位良し、家柄良し、の若きエリートの一人だった。

「でも、姉上の考えすぎじゃないのか?母上は、何も言わなかったんだろう?」

 それから、数日後の夜。

 一条高能という人物の、己が知る限りの知識を披露した頼家は、あいもかわらず、我が物顔で自分の部屋に居座っている姉を見つめながら、そう言った。

「そうなんだけどね……」

 頼家が貸してくれた脇息にもたれた大姫は、爪を噛みながら考え込む。

 しかし、気のせいにしては、母のあのうきうきとした表情が気になるのである。

 ―もしかしたら、今回の訪問にも、裏があるかもしれない。例えば、自分と引き合わせるために、両親が高能を招いたのかもしれないのだ。

 有り得ないことではない。

 彼の父の能保は、前の(ごん)中納言(ちゅうなごん)であり、京における鎌倉幕府の橋渡しの役を担っている。

 能保にしても、頼朝との繋がりを深くすることに異存はないはずだ。

「でも……もしそうだったとして、姉上はやっぱり断るのか?」

「当たり前でしょう」

 頼家の問いに、大姫は即答した。結婚なんて、自分は望んでいない。

 だが、頼家は姉の迷いのない返事に、考え込むようにして頭をかいた。

「頼家?」

 何か言いたそうな弟の様子に、大姫は水を向けてみる。

「姉上……俺は、別にかまわないんだ。姉上が嫁に行かなくて、ずっと鎌倉にいてもさ。姉上ぐらい、俺が面倒見るよ。でも―姉上は、それでいいのか?」

「頼家」

「寂しく……ないか?」

 姉の寂しさが、愛する者の死からきていることは知っている。

 そのせいで、姉は小さい時から、寂しそうな目をしていた。

 だが―その寂しさは、本当に消えないのだろうか?

 結婚をして、出産をして、子どもを育てて―そんな当たり前の、でも優しい時間を過ごしていたら、もしかすると―と、頼家は思うのだ。

 それは正しいやり方ではないかもしれないが、心を癒す一つの(すべ)ではある。

「……考えたこと、なかったな」

 だが大姫は、遠い瞳をして言った。

「姉上」

「ずっと、このままだと思っていたから」

 考えたこともなかった。

 「寂しさ」を埋める方法なんて。

 誰かで、それを癒すことなんて。

「姉上……」

 それっきり大姫は黙り込み、開け放たれた戸の暗闇に、目を向けた。

 リーリーリー

 虫の声が静かに響く暗闇が、姉が抱えている心の闇そのもののように、頼家には思えてならなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ