表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

三 よみのくに

 疾風の雲霧を

 ひらくよりも狼し

 極楽ねがわん人はみな

 弥陀の名号となうべし


 眠っていた大姫は、朗詠(ろうえい)を歌う声で、目が覚めた。

 と言っても、まだ朝ではない。

 辺りは、深い闇に包まれている。

 ぱちぱちと、瞬きをしていると、

「起きたのか?」

 声をかけられた。

「義高様?」

「なんだ、起きたのか。今、(うし)(こく)(午前二時頃)だぜ。寝といた方がいい」

「丑の刻?」

「真夜中ってことだよ。幽霊が出やすい刻っても言うな。案外、お前が聞いた『泣き声』も、それかもな。『泣き声』を聞いたのも、この刻じゃないのか?」

「……よくわかんない」

 そう言って、大姫は上半身を起こした。

 暗闇に慣れたのか、義高が部屋の木戸の近くに、白い夜着のまま座っているのがぼんやり見えた。

「鈴はどうしたんだ?へんな声が聞こえる主人を一人にしているのかよ、あの姉さんは」

「姫がいいって言ったの。別に怖くないし、何も起こらないんだもん」

「……本当につわものだよな、お前は」

 義高は、心底あきれたように言った。

「それよりも義高様、どうして義高様が、姫のお部屋にいるの?」

「……悪いかよ」

 しかし、大姫がそう聞いたとたん、ぷいっと顔を横にそむけた。

「悪くはないけど、眠くならないの?」

「……そうだな」

「……」

「眠れ、ないんだよ」

 顔を横に向けたまま、小さく呟く義高を、大姫はじっと見つめた。

「たとえ十悪を犯した者でも、阿弥陀仏はこれを救ってくださる。それはまるで疾風が雲霧を散らすよりも早く」

「?」

「知らないのか?  昼間お前が歌っていた、朗詠の意味だよ」

「……義高様、姫と那智の話聞いてたの?」

「ああ。だから俺、知っていただろう。お前が、へんな声聞いているって」

 大姫は義高様に怒られるのかな?と、おそるおそる聞いてみたのだが、義高はさして気にしていないのか、あっさりとそう言った。

 しかし、あいかわらず大姫の方を見ようとしない。

「義高様?」

「仏は悪人も救ってくれるそうだが、俺を救ってくれるのかな」

「……?」

「俺は、十悪とやらを犯しちゃいないんだけどな。でも、極楽というところで救ってもらいたくはないんだ。今、この世で救ってもらいたいんだ」

「……」

「武士の子なら、覚悟を決めなきゃいけない……。それは、わかっているんだけどな」 

 そこで、義高は言葉を切った。そして、静かに吐息をはく。

 大姫は、寝床から脱け出すと、義高の傍に近寄った。

 近付いて見ると、義高の横顔はどこか哀しげで、弱弱しかった。

 昼間、大姫にいじわるを言う時の彼とは別人のようだ。

「姫も、一緒に行くよ」

 大姫は、小さく義高にささやいた。

 その言葉に、義高が驚いたように顔を上げた。

「お前……俺がどこに行きたくないか、わかって言っているのか?」

「うん」

 それは、わかっていた。義高が行きたくないという場所。

 それは、この世ではない。

 あの世、と言われているところだ。

「義高様がそこに行くことになったら、大姫もそこに行く」

 真面目な顔をしてそう言う大姫に、義高はふっと笑った。

「バーカ……」

 そして、大姫の頭をこつんとこづく。

「それ、御台所に言うなよ?泣かれるぞ」

「義高様がいなくなったら、姫も泣くもん」

「……たくっ」

 頑固な大姫に、義高は苦笑した。

「お前は、本当に変わっているよ。さんざんいじめた俺に、そんなこと言うなんてな」

「姫、へんなの?」

「へんだよ、お前は十分」

 そう言って、義高は大姫を抱き寄せた。

 温かい腕が、大姫を包み込む。

「へんな、御所の姫君だ」

 くすくす笑いながら呟く義高に、大姫はぷっとほっぺたを膨らませた。

 そして―二人は、そのまま抱き合って眠り。

 夜が明けて、大姫を起こしに来た鈴は、

「うーん」

 と、抱き合って眠る二人を見て、考え込んでしまった。


 義高が、本当に大姫に対して優しくなったのは、この夜のことがあってからだった。

 大姫が傍に近寄っても、「あっちに行けよっ」と言わなくなり、時々は一緒に遊んでくれるようになった。

 でも、意地悪をするのは相変わらずで、大姫の髪を引っ張ったり、大姫が義高を追いかけようとすると、「俺を見つけてみろよ」と言って、どこかに隠れたりする。

 だけど大姫は、本当に捜すのがとても下手だから、なかなか見つからず、不安になって泣きそうになってくると、ようやく義高が、

「お前は、本当に人を捜すのが下手だなあ」

 と、いたずらっぽい笑みを浮かべて、物陰とか、木の上から出てきてくれるのだ。

 そうすると大姫は安心して、つい義高に抱きついてしまう。

 しかし、義高は大姫を突き放したりせず、「お前って、本当にマヌケ」と言って、大姫の頭をぐりぐりと撫でてくれるのだ。

「義高様は姫に優しくなったけど、まだ姫に意地悪するの。どうして?」

 そんな義高を不思議に思って、何人かの人に、大姫はそう尋ねてみたのだが、鈴は、

「きらいきらい、も好きのうちなんですよ」と言い、那智には、

「子どもなんですよ。大姫様、すいません」と、逆に謝られてしまった。

 一番訳のわからない返事をしたのが小太郎で、

「天邪鬼なんですよ。大姫様、気をつけてください」

と、真面目な顔でそう言った。

 これには、さすがに「????」となって、義高に聞いてみたのだが、義高が真っ赤になり、「小太郎~~~」と叫びながら小太郎を追いかけ、いつも冷静沈着な小太郎が、冷静な顔のまま、すたこらさっさと逃げて、結局そのまま大姫の疑問は何一つ解明されなかった。

 でも、一つだけ、はっきりとわかっていたことがある。

 それは、自分が幸せだったということだ。

 義高がいて、鈴がいて、那智がいて、小太郎達がいて。

 ずっと、こんな日々が続けばいいと、本気で願った。

 他には、何も望まなかった。

 だけど―それは、そんなにわがままな願いだったのだろうか。

 そんなに、許されない願いだったのだろうか?

 ……最初にいなくなったのは、義高と那智達だった。

 次に小太郎がいなくなり、最後に―鈴が、いなくなった。

 鈴のことは、寝込んでいるだけだと、鈴の親代わりの()古夜(こや)が教えてくれたけど、義高達のことは、誰も、何も教えてくれなかった。

「義高様はどこに行ったの? 那智達はどこに行ったの?」

 ワガママヲ言ウンジャナイ。

 オ母様ガ、困ッテイルヨ。オ前ハ良イ子ダカラ、言ウコトヲ聞キナサイ。

 そう聞く大姫に、冷たい瞳をした男が、冷たい声でそう言った。

 大姫は、その男が誰なのかわからなかった。

 その男が、何を言っているのかもわからなかった。

 義高に会いたい。

 どうして、ただそれだけのことが、わがままになるのか。

 どうして、義高達を捜すことが、母親を困らせることになるのか。

 姫、都デ特別ニ注文シテ、作ラセタ着物ダ。

 ホラ、綺麗ダロウ?

 何、それ。

 綺麗な着物?義高様がいなくなったのに、どうしてそんな物、見せるの?

 姫。オ前ノ好キナ駿河ノ国ノ蜜柑ダ。

 ウマイゾ。

 いらない、そんなの。

 義高様は、どこに行ったの?

 どこに、隠しているの?

 果てしなく続く闇の中を走りながら、大姫は義高を捜した。

 気が付いたら、ここにいた。

「姫様、お待ちください」

「姫様!」

 ばたばたと軽い足音と、幼い声が追いかけてくるが、構ってはいられなかった。

 義高は、ここにいるのだ。

誰 に教えられたわけでもないが、大姫にはそのことがわかっていた。

『俺は、あきらめないから』

 と、その時だった。

 ふいに、大姫の頭の中に、響いてくる「声」があった。

(えっ?)

『生き延びるために、がんばってみせるから。お前も、がんばって生きろ』

「義高……様?」

 わからないはずがない。大好きな人の声だ。

「しょーがねえな」

 そう言って、自分の髪をぐちゃぐちゃにかき乱す時の声が、一番好きだった。

 意地悪だけど、優しくて。大好きだった。

「どこにいるの!? 義高様!」

 大姫は、立ち止まってそう叫んだ。

「姫様」

「大姫様」

「姫を……一人にしないでよぉ……!」

 とうとう泣き出した大姫に、やっと追いついたほおずきとやまぶきは、困ったように互いの顔を見合わせた。

 幼き身でここに来たこの少女は、かなり頭が良いのだろう。

 本当は、わかっているのだ。愛しき者の死を。

 ただ―認めたくないだけで。

(哀れな)

 二人は、泣き続ける大姫を見ながら、そう思った。

 人ではない彼らは、すでに大姫の「思い」を感じとり、すべてのことを悟っていた。

 愛する者を、実の父親に殺される―。

 それは、大人である女性ですらも、耐え難き事実であるのに、まだ七歳の、この少女が背負っているのだ。

 か弱き者は、狂うかもしれない。

 しかし―狂うには、彼女は頭が良すぎていた。

 愛する者が遺した「思い」を、十分理解しすぎていた。

『俺は、がんばるから』

(姫様)

『お前も、がんばって生きろ』

(夢織姫様)

 愛する者を奪われて、狂うこともできず。

 その惨き運命を、幼き肩に背負うこの子を。

(お救いください)

(少しでも、この魂が癒されるよう)

  二人は、彼らの主人に、本気でそう思った。

「―何を泣いておる?」

 と、その時だった。

 ふわりと長く艶のある髪を揺らし、夢織姫が、大姫のすぐ横に現れた。

 主人が何もない空間から突然現れたことに、ほおずきもやまぶきも別段驚きはしなかった。

 人外の者である彼らにとって、それはたやすき(わざ)なのだ。 

 夢織姫の問いかけに、大姫はゆっくりと顔を上げ、泣き濡れた目で夢織姫を見上げた。

「捜し人には会えたのか?」

 しかし、彼女の静かな言葉に、大姫は再び顔を膝に埋めてしまう。

 その行為で、問いかけの答えが、「否」であることを、夢織姫は察した。

 それは、予想通りの答えでもあった。

「そうであろう、の。そのように、泣いておっては」

 夢織姫はそこで言葉を切ると、袿の袂を揺らし、何もない暗闇の一点を、指し示した。

 すると、そこにぽっと楕円状に小さい灯が現れる。

「きちんと、見つけることもできぬわ」

「……?」

 その言葉に含みを感じた大姫は、再びゆっくりと顔を上げた。

 そして、夢織姫が指し示す方向に視線を向ける。


とんからかっしゃん とんしゃんしゃん

夢織りしゃんせ通りゃんせ

夢織姫は夢を織る

現では叶わぬ

甘美で儚い幻夢

哀しき魂が見る夢を


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ