表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/11

最終章~子守歌が聞こえる~

 鶯の泣く声が聞こえた。

 それを縁側で聞いていた尼僧が、ついっと空を見上げる。

 すると、一羽の鶯が、庭の真正面にある桃の木にとまり、ホケキョともう一度鳴いた。

「春霞流れる青柳の

         枝くひ待ちて鶯鳴くも」

 その姿を見ながら、まだ若い尼僧は、つい先日覚えたばかりの古歌を口ずさんだ。

「大姫様、皆様出発されましたよ」

 と、その時である。

 ぱたぱたと足音がして、彼女に仕える侍女が現れた。

 年が明け、十二歳になった泉である。

「泉、私の名は(れん)(ぎょう)よ。大姫は、ちゃんと父上と母上と出発したでしょう? まちがえてはいけないわ」

 そんな泉を、若い尼僧―尼姿になった大姫は、静かにたしなめる。

「すいません、蓮暁様」

 その言葉に、泉は恥ずかしそうに微笑みながら、ペコリと頭を下げた。

 建久6年(一一九五年)。二月十四日。

 寒さも薄らぎ、吹く風も優しくなってきたこの日、頼朝は、妻の政子、子どもの大姫、頼家、三幡、千幡の家族全員を連れて、京の都に上洛するため、鎌倉を出立した。

 後白河法皇亡き後の宮廷内の工作を、関白の九条兼実と進めるのと、平家方が焼いた東大寺再建の供養に列するためであった。

 だが何よりも、真の目的は、彼の長女・大姫の入内に向けての裏工作である―というのが、巷での評判だった。

 だが、大姫は都には行かず、一人、この鎌倉の小御所に残った。

 しかも、今はかつての姿ではなく、法衣をまとい、髪を肩まできり、白い布で頭を覆った尼姿である。名も、蓮暁と改めた。

 彼女は、出家したのである。

 しかし、それは公然の秘密であった。

 入内が持ち上がった鎌倉御所の姫が、急に出家したのでは体裁が悪い、ということらしい。

 父の頼朝は、どこからか面差しが大姫とよく似た少女を連れて来て、その子を大姫として京に連れて行った。

 おそらく、あの少女は自分の異母妹なのだろう、と大姫は思う。

 つい最近、遠目だが自分の姿を見に来ていたのだ。勝ち誇ったような、

 笑みを浮かべていた。

 彼女には、正妻の大姉として生まれ、天皇の妃の話までありながら、病が癒えるなり、父に出家を願い出た異母姉など―許されるまで、二度も髪を切った(一度目は父の目の前で、二度目は刀を取り上げられ、閉じ込められた部屋で)―理解できぬ、愚かな人間として映ったのかもしれない。

 でも、それでいいのだ。

 望んだことは、ただ一つ。

 義高を、思い続けること。

 それだけが、自分の願いなのだから。

 だから、それが許された今、大姫の心は穏やかだ。

 大姫自身、出家したことで、自分の心がこれほど落ち着くとは思わなかった。

 もちろん、ここまで来るには、いろんなことがあった。

 現の世界に戻った直後は、呆然自失の状態で、何をする気も起きなかった。

 だが、熱心に自分を看病してくれる泉や、毎日様子を見に来る頼家、見舞いに来て、姉の姿を見たとたん泣きそうな表情になった、三幡と千幡。

 そんな彼の自分を心配する様子を見ていると、思い出さずにはいられなかった。

『お前が今、義高と共に逝くことを望むのは、その者達の今までの思いを無にするということじゃ。その者達の願いを、無視するということじゃ』

 夢織姫の、この言葉を。

『幸せに、大姫』

 義高の、このささやきを。

 納得したわけではない。

 絶望が、消えたわけでもない。

 ただ、あの二人が、自分のことを本当に案じてくれたことがわかっていたから。安易に、己の意志で死ぬことはできなかった。

 ならば、自分はこの世で、生きていくしかない。

 生きていくことを、考えるしかない。

 死の一歩手前まで行った体は、完全に衰弱していた。

 今までのように、体が回復したところで、夢織姫や義高のいるあの世界に行けるわけではない。

 正直、このまま死んでもいい、と思っていた。

 だが、心配そうな泉や頼家達の顔を見ると、その思いは萎え―そうこうしているうちに、褥から半身起こせるようになるまで、回復してしまった。

 そうなると不思議なもので、絶望的な思いとは裏腹に、自分の体と心は、「生きること」を要求し始めていた。

 顔色の良くなった大姫を見て、泉達はとても喜んだ。

 母の政子が見舞いに訪れ始めたのも、この頃だ。

 政子は、少し痩せたように、大姫には思えた。

『お父もお母も、鎌倉が憎くないの?』

『大事な人達がいるから』

 そしてその時、心に過ぎったのは、やはりあの時聞いた、泉と鈴、そして小太郎達の会話だった。

『まずは大姫様、そして政子様』

『それから、私達の面倒をよくみてくれた、阿古夜さん達』

 彼らが、そんなふうに言えるようになるまで、どれだけの時間が流れたのだろう。

 多分、鈴も小太郎も、義高や那智を殺された恨みは、今でも忘れていないはずなのだ。

 それでも、彼らはその恨みだけには流されず、鎌倉は大事な人達がいる場所だと、そう言ってくれる。

 そうして、そんな二人に育てられた泉は、実父を殺した鎌倉に、すべてを知りながら訪れ、曇りのない笑顔で働いている。

 それは、許すとか許さないとか、そう言った単純な理由ではなく。

『御所にとって私の存在が意味のないものなら、生き延びてやろう、と』

 ただ、大事なものを、これ以上失わないために。

 大事なことを、これ以上見失わないために。

 彼らは、怒りや憎しみを抱きしめて、生きているのだ。

 そのことに気付いた時、大姫は考えたのだ。

 自分はどうなのだろう、と。

 父の与えようとする幸せは、いらなかった。

 母の信じる幸せは、信じられなかった。

 それは、今でも変わらないけれど。

 自分は、見失っていないだろうか?

 ちゃんと見つめていただろうか?

 たくさんの、大事なことを。

 幸せにおなり、と夢織姫は言った。

 幸せに、というのが、義高の最後の言葉だった。

 どうすれば幸せになれるのかわからなかったけれど、自分が今一番望んでいる状態を手に入れることから始めよう、と思った。

 そうして、そう思えるようになった時には、季節は冬になっていた。

 出家しようと決めたのは、そう思った直後のことである。

 動機は不純だったが、いざ出家してみると、不思議と心は落ち着いた。

 そうすると、見えてくることがたくさんあった。

 父の目の前で髪を切った時、父の目に涙が浮かんでいたこと。

 部屋に閉じ込められて、隠していた小刀で再び髪を切り、そのことを知った母が黙って尼層着を渡してくれたこと―出家のために両親を傷つけたことを、素直に認めることができた。

 冬の風の冷たさや、冬でも眠らない鳥達、雪の中で咲く、花々。

 自然の中には、りんとした美しさがあることも知った。

 今までなら、絶対に気付かなかったことが、たくさん見えるようになったのだ。

『この世界も広いってことね』

『そうじゃ。そなた達の世界と同じでな』

「そう言えば、泉。頼家達は、元気に出発したの?」

「はい。そうそう、頼家様から、蓮暁様に、伝言があるんですよ」

「あら、何かしら」

「『土産が何でもいい、というのが一番難しいんだ、姉上の馬鹿やろう!』……だ、そうです」

「……何よ、それ」

「はい?」

「それって、京に旅立つ弟が、一人残る姉に言うべき言葉なの!?」

「さあ……それよりも蓮暁様、ご自分で言ってますよ。『姉』って」

「さあって何よ、さあって。だいたい、泉も泉だわ。なんでそんなに素直に伝えるのよ!」

「愛がありましたから」

「愛!?」

「京に行けぬ姉上のために、一番良いお土産を買ってくるぞ―と言う、頼家様の愛を私は感じましたので、お伝えしました」

 そう言って、泉は笑った。

 大事なもの。愛しいもの。

 そういったもの達を、見失わないで生きていたい、と泉の笑顔を見ながら、大姫は思った。

 たった十二歳で逝ってしまった、義高を思いながら。

 それでも、「幸せ」になることを忘れずに。

 そうして、いつの日にか再び、自分は義高と出会うのだろう。

 今度こそ、共に在るために。

 その時、夢織姫にも会えるのだろうか?

 きっと―会えるだろう。

 その時、自分はまた聞けるはずだ。

 夢織姫の、あの機織機の音を。

 子守歌のように優しかった、あの音色を。

「お茶を入れて来ますね」

 そう言って、泉がぱたぱたと小走りで廊下を行く。

 その背を見送りながら、大姫は、優しい春の日差しに目を細めた。


 とんからかっしゃん とんしゃんしゃん

 夢織りしゃんせ 通りゃんせ

 とんからかっしゃん とんしゃんしゃん

 願い叶わぬ者達の 御霊を癒す夢を

 とんからかっしゃん とんしゃんしゃん

 明日の命に繋ぐため


 建久八年(一一九七年)、七月十四日。

 源頼朝の長女・大姫死す―享年、二十歳。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ