閑話
遅くなってすみません。
そして、ものすごくおかしな区切り方をしていたと反省はします。
あまりにもおかしいという指摘が多ければ変更しますが、今のところこのまま…
※サクラの話し言葉改定。
こんなに流暢に喋る幼児いねぇだろ、と書き直したが読みにくくなりました。反省はしますが、又書き直す気力はありません。
欲しかったものを手に入れられたからといって、必ずしも幸せになれるというわけじゃない。
◇◇◇
「きっと見せてあげる。僕はもう、今までの僕じゃないんだから」
王子の言葉が、彼のいつにない自信に満ちた誇らしげな響きを持っていることに気が付いて首をかしげる。
「そうなのですか?」
思わず問うと、王子はウィルと二人顔を見合わせて悪戯っ子のように笑った。
おや、と思う。
こんなに無邪気な表情はもしかして初めて見るのではないか?
「見ていて」
興味を惹かれて王子の差し出した両手のひらを見ていると、そこへ魔力が集まってきた。
『命の泉が一滴、爾が姿をここへ顕さん《アクア》』
驚いて目を丸くする暇もなく、王子の呪文に反応して魔力が姿を変える。
ぱしゃんと水音がして、それは王子の小さな掌と絨毯に新たなシミを作った。
“新たな”?
そうだ。今の今まで気がつかなかったが、絨毯にはさきほど出来たものと同じように“水で濡れたような”シミがあと二つある。
これを、王子が?
恐る恐る視線を上げると、自慢気に胸を張る王子と息子の姿があった。
ついと視線を走らせれば、アマンダがしっかりと頷いてくれた。
ジュリアの願望が見せた幻覚ではないのだと。
胸の奥から吹き上げてくるこの感情を、どう言い表せばいいのだろう。
王子がその魔力の強大さ故に、コントロールがうまく行かず、適性の高さの割に魔法の発動ができなかくて悩んでいたことを知っていた。
それは年を経るごとに深くなり、ついにご兄弟の中で一番魔術の発動が遅かった第一王女が初級の魔術を発動できるようになった六歳を超えてますます酷くなった。
決定打は、乳兄弟のウィルが魔術の発動に成功してしまったことだったろう。
ウィルは聖騎士の父親に似て魔力の適性が高く魔力も子供が扱いやすい程度しか持ち合わせて生まれてこなかったことが幸いしたのか、貴族には珍しく非常に速いペースで魔術の発動が可能になったのだった。
喜々としてそれを報告したウィルに罪はない。
ただ、それがきっかけで、王子は目に見えて外へ出て遊ぶことがなくなった。
朝早くから夜遅くまで薄暗い書庫で魔術書にかじりついて、もともと白かった肌が透き通るほど真っ白になってしまった。
日々鬱々としていく幼い姿に心を痛めていたが、巨人族の血が濃いジュリアには魔術の適性はない。
王子と同じ悩みを抱えていたはずのアレクサンドラは、天使の嫉妬と政務の為に彼に時間をかけて構うことができなかった。
己の無力に、何度歯がゆい思いをしたことだろう。
きっとそれは息子も同じで、王子が半引篭りになってしまったのは自分のせいだと思っているフシがあった。
だが、そんな気鬱もこれまでだ。
王子はもともと魔法の適性が高いのだ。
ひとつ出来たのだから、きっと初級魔法など直ぐに習得してしまうだろう。
踊りだしそうな心のまま王子の小さな体を抱き抱えてぐるぐる回る。
「すごい!すごい!流石は私の殿下ですね!」
抱きしめて言うと、王子は嬉しげに歓声を上げた。
「ありがとう。サクラが教えてくれたんだよ」
王子の言葉に、いつの間にか背を向けてしまっていた少女の方へ向き直る。
少女は淡く微笑んで慎ましく佇んでいた。
先程まで恐ろしいと思っていたのに、そんなことはもうどうでもよくなっている自分に気がつく。
苦笑してしまいそうなほど現金なものだ。
コレがどんなに恐ろしいものでも、王子の役に立つものである限り自分は許容してしまうのだろう。
かつて、アレクサンドラの天使を許容したように。
「ありがとう、サクラ」
「いーえ。でんかのどりょきゅのたまもにょれす」
幼い外見と舌足らずの口調に似合わぬ大人顔負けの返答に、ふとそういえばコレは樹精だったと思い出しておかしくなった。
王子よりずっと小さな幼い外見でも、きっとジュリアなどよりも生きてきた年数ははるかに多いのだろう。
それを鑑みるに、先ほどの謎の喉の閊えも、先人を前に知ったかぶりを披露する若造の気まずさに似たものだったような気がしてきた。
恐ろしいなどと感じるほどの類ではないのだろう。
そう、思えてきたのだった。
「早速城内にお触れを!今夜はパーティですよ!」
愛らしい王子が塞ぎ込むことに心を痛めていたのは何も自分たちばかりではない。
この国の国民は皆聖女と崇められるアレクサンドラを慕っていたし、その愛らしい王子だって愛しく思っている。
特にこの城に働く者たちは、三人いる王子の中でオズワルドが一番愛しいと胸を張って言えるくらい身内びいきな者たちばかりだ。
そんな彼らが王子の気鬱が晴れたことを喜ばないはずがなかった。
きっと最優先で祝ってくれるに違いない。
ジュリアの言葉に、心得たふうにアマンダがしっかりと頷いて支度のために出て行った。
さあ、忙しくなる。
ジュリアはもう一度きつく王子を抱きしめてその頬に親愛のキスをした。
「__何?第三王子が?!」
「そうなのよ!だから…」
「こうしちゃいられない!おい、一番の見頃の花はどれだ?」
「いけない!厨房にも教えてあげなくちゃ!」
バタバタと、いつになく忙しく走り回る下男下女たちに加え、普段はすまし顔でゆったりと優雅に廊下を歩く上級使用人たちまでもどこか浮ついたような足取りで城内は活気に満ちている。
はしたないといつもなら厳しい表情の執事長に咎められるが、ジュリアが足早に奔走していても今日、今だけは誰にも咎められることはなかった。
むしろ、嬉しいニュースをいち早く知らせてくれたジュリアは誰からも歓迎された。
「なんですって、ジュリー。本当に、オズが?」
アレクサンドラに報告した時彼女は執務中だったが、思わずジュリアを昔の愛称で呼んでしまうほどに動揺してくれる。
色んな感情がその深緑色の瞳に浮かんでは消えていく。
そういえばあの少女の瞳はアレクサンドラに似通った緑だと、気がついた。
バラ色の唇からから深いため息が漏れる。
「そう…よかった」
その一言だった。
その一言で十分だった。
ジュリアは嬉しくて口角が上がるのを自覚する。
人によっては、子供の成長を喜ぶ親が発する言葉がたったそれだけかという人もいるだろう。
だが、たったこれだけでも、抑圧された彼女が発することのできる言葉の中で最上のものだ。
ジュリアは内心、「そう」だけで終わると思っていたのだから。
「ええ。ですから、今晩はちょっとしたお祝いを催そうと思います」
ジュリアの提案に、アレクサンドラはちょっとだけその秀麗な眉をしかめた。
「それは…」
「殿下の成長を喜ぶ使用人たちが自主的に準備を始めてしまいましたので、今更撤回すると彼らの意識の低下につながるでしょうね」
アレクサンドラの言葉を遮る形で言ったジュリアに、彼女は仕方がないとばかりに頭を振って溜息を漏らす。
「皆も殿下の成長を王妃と喜びたいのです」
ダメ押しにそういえば、アレクサンドラは再び溜息を吐いた。
「…分かりました」
「ありがとうございます」
深く頭を下げてあげると、執務の手伝いをしていた政務官と目があった。
無言で互いに一礼してにやりと口の端を一瞬だけ上げる。
息子の成長が嬉しくないはずがないのに、不器用なのだ、彼女は。
この城に仕える者なら皆わかっている。
聖女と呼ばれ誰より民を愛するヒトと評される彼女が、その実、たった一人の息子へ愛を囁く言葉も表現する術も知らないなんて。
まるで片恋中の少女のように、廊下ですれ違ったあとその背中を見つめているなんて当の王子は思いもつかないだろう。
◇◇◇◇
ジュリアは大扉の前で苦笑した。
アレクサンドラの許可を得たと伝えたら、思ったより大事になってしまったようだ。
いつも使用する食堂では足らずに、夜会を開くための大広間が用意されてしまうなんて。
煌びやかに飾り立てられた大広間は、まさに舞踏会でも始まるのかというくらい飾り立てられている。
ただし、華やかな装いの貴婦人たちも煌びやかな紳士たちもいない。
使用人たちはいつもと変わらぬお仕着せの服で、特別飾り立てているものもない。
変わったところで言えば、大広間など入ったことのない庭師たちが少々土を払って身奇麗にしているくらいか。
斯く言うジュリアだっていつもと変わらぬ簡素なドレスだ。
パーティーなら両方を大きく置け放つ観音開きの大扉を片方だけ、しかもジュリアだけで開けるので完全に“内輪”のパーティーだ。
それでも、どんな夜会より心躍る。使用人たちの表情がそう物語っていた。
ウィルに連れられて第三王子とその従獣がジュリアの待つ大扉の前に来るのを、華やかな笑みを浮かべた使用人たちが今や遅しと待ち構えていた。
ノック二回。
ざわめいていた使用人たちに目配せすると、皆一斉に静まり返った。
ひと呼吸あけて大扉を開け放つ。
『おめでとうございます!殿下』
大きく開け放たれた大扉の前で、王子がその青い瞳をまん丸く見開いた。
その表情にジュリアはニンマリと笑って、王子が呆然としてい隙にウィルを促して使用人たちの中まで誘導させる。
手加減を知らない庭師なんかにはきっともみくちゃにされてしまうけれど、王子にはそれくらいが調度いいだろう。
ジュリアはほくそ笑みながら案の定もみくちゃにされる王子と、ついでにもみくちゃにされてしまったウィルを少し離れた位置で見守った。
庭仕事に慣れた分厚い皮膚のゴツゴツした手が、手荒に猫の毛のようにしなやかな王子の金髪をかき混ぜる。
王子は力強い手のひらに押されてバランスを崩しながら、それでもまんざらでもなさそうに声を上げて笑う。
軽やかな王子の笑い声に、大広間の使用人たちは顔をほころばせる。
こんなにも晴れやかな王子の笑い声は、一体いつ以来だろう。
「殿下は天才だ!残念だったなぁ、先生」
基本が仏頂面の年配庭師の破鐘を打つような声が大きく響く。
夜会ではないのだからと酒等出していないにも関わらず、酩酊でもしているような陽気な声だ。
気持ちはわかるが、はしゃぎすぎだと年若い庭師の弟子たちは微苦笑した。
「いやぁ、やっぱりアレクサンドラ様の御子息だから別格ですよ」
王子に魔法の教師として付けられていた神官が屈託なく笑う。
彼が教えている間はついに王子は魔法を使えなかったのに、ぽっと出の王子の従獣が使えるようにしてしまった。
面目丸つぶれもいいところなのに、彼はそんなこと一切気にしていないように笑う。
「そんな。僕は今まで先生に教えていただいていたから呪文も間違えないで唱えられたんです」
慌ててフォローする王子の言葉を神官が朗らかに笑って否定する。
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、呪文を間違わずに言えたのは殿下の努力の成果ですよ」
「そうですよ。毎日外で遊びもせず、書庫へお通いになられて頑張っていらしたのは殿下なんですから!」
「本当に。もうちょっと神官様も殿下を見習って勤勉にならないと!だからいつまでたっても神聖魔法しかできないんですよ」
神官の言葉にかぶせるように、女官たちの勇ましい声が掛かる。
神官は彼女らの声に押されるように苦笑して小さく愚痴を零した。
「私が神聖魔法しか使えないのは適性の問題ですよ」
女官たちは神官の事など気にもとめずに王子を取り囲んで口々にほめたたえ始める。
その輪から弾かれた神官の背を、同年輩のコックが叩いて励ました。
神官も苦笑して彼らに応えた。
誰も神官のことを責めているわけではない。
女官たちだとて、彼に特別不満があるわけではなかった。
王族に仕えている彼らも貴族出身のものたちが多い。
自らの経験として、または見聞して、身に余る魔力の制御がいかに難しいものであるのか知っているのだ。
彼らの中には、十をいくつも過ぎてようやく初級の魔術を危なげなく行使できるようになった者だっている。
王子は自分が思っているよりずっと優秀なのだ。
神官とコックが女性陣の姦しい輪から逃れて豪勢な料理の並んだテーブルまでたどり着くと、そこには先客があった。
「おう!お前らも来たか」
いつの間に王子のそばから移動していたのか、巌のような年配庭師がテーブルに陣取ってガツガツとあまり行儀の良いとは言えない様子で食べていた。
この年配庭師も確かどこかの男爵の三男のはずだが、庭師の腕前と引き換えにテーブルマナーをどこかへ捨ててきてしまったらしい。
だが、そんな彼の振る舞いは今に始まったことではないし、特段コックと神官が驚いて立ち止まるほどではない。
「どうしたんです?それ」
「どこから攫ってきたんですか?」
ゴーレムのようにゴツゴツとして、庭仕事によってよく日に焼けた腕の間、これまた岩のような膝にちょこんと少女が乗っていた。
生え際が緑で毛先に行くほど薄紅色に染まる小さな少女。
薄く淡い羅紗を重ねたドレスに身を包んだ姿は妖精族の子供の様に愛くるしい。
「人聞き悪いな、お前ら」
庭師が顔を盛大にしかめた。
もちろん、コックも神官も本気で庭師が攫ってきただなんて思ってもいない。
少女の正体も知っている。
ただ、その姿があまりにも誘拐犯とその被害者にしか見えなかったのでからかってみたのだ。
「冗談ですよ、冗談」
「馬鹿なことを言う奴に肉はやらん」
笑うコックの目の前で、庭師は一番大きく肉のついた鳥の大腿部にかぶりついた。
「俺の肉が!」
悲鳴を上げて抗議するコックを庭師は鼻で笑いながら、ぺろりと一塊平らげてしまった。
もう結構な歳だろうに、随分な健啖家ぶりである。
コックの落胆を見て庭師も周囲の者たちも笑う。
庭師の膝にいる少女も、声は上げなかったが微笑んでいた。
神官はその様子に正直感心する。
随分とまあ、人間くさい従獣もあったものだ。
「お前も食え」
神官が妙に感心していると、庭師が従獣に肉を突き付けてえ付けを試みていた。
王子の従獣は神ノ木である。
人の食物は食べられないこともないが、神官からみれば食べる必要もないものを食べるとは思えなかった。
無駄なことをと思いながら見ていたら、従獣は微笑んで差し出された肉の塊に鳥の雛よろしく大きく口を開けて齧り付く。
肉の塊は硬かったらしく、神官が驚き見つめる中、なかなか噛み切れなくてしばらく格闘していた。
神官の驚愕など知らない他の使用人たちは笑いながら、悪戦苦闘して肉を噛み切ったために汚れた従獣の手や口の周りを拭いてやっている。
「だめだねぇ、これがから男は」
恰幅のいい給仕係の女性が庭師の手から肉を取り上げ、子供の口に入るくらいに切り分けてやる。
従獣はその小さくなったものを嬉々として口に運ぶ。
まるでただの幼子と母親のようなやり取りだが、それは違うだろうと思う。
「ぇえ?何やってるんです?」
そのままの感情がつい口から出てしまって、神父は無駄にその場の全員から怪訝な視線を集めてしまった。
その中に件の従獣も首を傾げてみているのだから、たまったものではない。
「あなた、“神ノ木”でしょう?何ヒトの子みたいに食べてるんですか?」
「…ごはん、たべちゃいけないんれしゅか?」
いかにも困ってしまったという顔で、切なそうに言うものだから、女官たちから睨まれてしまった。
母性本能だか何だか知らないが、小さな子供だと女性を味方につけやすいから困る。
若干男の視線も交じっていたがそれはカウントしないで置く。
「いや、そうじゃなくって…食べても大丈夫なのかい?」
ヒトでない生き物なのだから、人の食べ物など食べるようには体の作りとしてできていないだろう。
そういった意味合いの言葉を紡げば、小さな従獣は微笑んだ。
「しんぱいしてくあしゃったんですね。ありあとうございましゅ。れも、だいじょーぶです。もとが“き”でしゅからよくひえたものなら、すこしは“こやし”になりましゅ」
そうだったのかと納得して神官は口を閉ざした。
そしてふと、従獣が庭師の膝にいる理由に思い至った。
“樹木”であるというのなら、まさに庭師の得意分野の範疇ではないか。
「ああ。ここにいたのか、サクラ」
納得していた神官の後ろから王子の声がした。
「でんか」
従獣が声を上げると、庭師はその小さな体を膝から降ろした。
降ろされた従獣は見た目の子供らしく王子に駆け寄るかと思ったが、案に反してゆったりと歩き出したところで殿下のほうが先についてしまった。
見た目ほど機敏ではないらしい。
そういえば元が樹木だというのなら、その体は同じくらいの体格の子供と比較して重いのだろうか。
「お母様に君を紹介しようと思って探してたんだ」
王子の言葉に、従獣は理解しているのか曖昧な笑みを浮かべた。
笑みの真意を探る前に人波が割れた。
神官もあわててその場に片膝をついて臣下の礼をとる。
最高神官たるに相応しい眩いほどの神聖な魔力を感じて神官はまぶしさのあまり目を細めた。
神聖魔法に適性のない者は感じる事もかなわないという王妃のこの気を纏った姿の、なんと神々しく美しいことか。
「畏まらずともよい」
神官にはその耳触りの良い王妃の声こそが、神の啓示のように聞こえる。
王妃の言葉ではあったが、神官は一層深く頭を垂れた。
他の使用人たちも同様だったのだろう。誰も動く気配がしなかった。
王妃の側から小さくため息のような気配がしたが、おそらく気のせいだ。
「…魔術が使えるようになったそうですね」
「はい。お母様につけていただいた神官様とサクラのおかげです」
王子の声は硬さの中にほんの少しだけ誇らしさのようなものが見えた気がした。
ほとんどの知識を王子は自力で手に入れていたというのに、ここで神官の名を出してくれることがうれしかった。
「そうですか。よくやってくれました」
「ありがとうございます。ですが、此度は従獣の助言と殿下の努力の賜物でございます」
頭を垂れて、従獣は何と答えるのか少しだけ興味がわいて視線を流した。
そして驚く。
小さな従獣は王子の傍らで跪いてもいなかった。
王子はいい。
立場的に王妃に次ぐ地位を持つ彼は、王妃の“畏まらなくていい”という言葉で視線を合わせる権利を持つ。
だが、いくら人の礼儀に疎くとも従獣は王子の臣下なのだから御せなければそれは王子にとってマイナスになる。
こういう事態を危惧したからこそ王子と従獣に《共有》の魔法をかけて王子の礼儀的知識をうつしたというのに。
それとも、“王子の”知識を共有させたからだろうか。
自分も彼と同じだけの地位を持つと勘違いをして?
その可能性に思い至らなかった自分の失態だと神官は反省した。
「…あなたにも、感謝を」
王妃は跪かない従獣に多少戸惑ったようだったが、そのことには触れずにそういって労った。
従獣が微笑んで貴婦人のように優雅な礼を返したので、神官は内心舌を巻いて苦笑する。
なるほど騎士や男なら跪くが、従獣とはいえ少女の形ならそれもありだ。
「しんかんしゃまのきそきょーいくとでんかのどりょくがあぇばこしょです」
「召喚の翌日に成果を出せるモノは稀です。謙遜する必要はありません」
王妃の言葉に内心うなずく。
神官は自分でも言ったが、王子にはあまり教育の成果はなかった。
教育がどうこうというより、王子が自力で努力した分の成果ほうがあまりにも大きいのだ。
そして、その努力の成果を目に見える形として顕現させるきっかけを作ったのは従獣だ。
王妃にそのことは報告が言っているだろうし、先の言葉も神官に対しては形式的な意味合いのほうが強かっただろう。
悔しい気持ちがないでもないが、王妃の言葉があっただけで神官にとっては十分だった。
それなのに、従獣は王妃に向かって苦笑する。
「…しんかんしゃまの《きょーゆー》でごきょーじゅをうけたでんかのきおくからおもいついたほーほーをここぉみただけなにょで、わたしのてがらというにはおこがましいのれすが…」
「どういうことです?」
「でんかのそしちゅでもっともすぐぇてたのはしんしぇーまほーれすが、こぇはしんかんしゃまのごきょーじゅないよーからさっすりゅにあんてーせーとこーりちゅのめんからかんがみてよんだいまほーのせーぎょをまにゃんでかりゃのほーがいーよーれした。さりゃに、でんかのよーにおーきすぎぅまりょきゅはまだおしゃなくじがのうつわがちーさなこどもではせーぎょがむじゅかしいれしょ。れすので、ぜんたいてきにゃししちゅのめんれでんかにとってもっともまりょくがちーさいのがひけーのまりょくれしたので、しんかんしゃまはおもにひけーのまほーからでんかにおしえていたのらとおもいました」
舌足らずで聞き取りづらいが流れるような解説に、神官のみならず、周囲の使用人たちは頭を下げるのも忘れて目を大きく見開いた。
目に見える小さな子供の形と、耳に聞こえる言葉の内容のあまりの乖離に、心がついていかない。
心情を一言で表すなら、「この子供は何を言っているのだろう?」だ。
「なるほど、ではなぜ《アクア》の魔法を?」
さすが、王妃は子供の形をした生き物の姿に似合わぬ言動をものともしていなかった。
従獣は王妃に微笑む。
「ひはみずできえましゅから」
意味が分からない。
答えになっていないと口をついて言いかけた神官は、はたと王妃の御前であった事を思い出して間一髪で差し出がましい口を開かずに済んだ。
「…なるほど。弱い火の資質を水の性質が打ち消しているのではないかという可能性に気が付いたわけですね」
王妃にはそれの言っていることが分かったらしい。
神官にも周囲で聞いていた使用人たちにもちっとも分らなかったが。
わが意を得たりと笑う小さな従獣に、使用人たちはそそけだった。
この小さな子供の形をしたよくわからない生き物は、確かにただの子供ではありえないのだとようやく気が付いたのだ。
未知は恐怖だ。
よくわからない何かは、何をもたらすかわからない恐怖を呼び起こす。
それが人の子供のような顔をしてすぐそこにあったのだから、一瞬で氷を背に入れられたような気分になった。
「わかりました。その可能性に気が付いたことがあなたの手柄ですね」
「きづかせてくだしゃった、でんかとしんかんしゃまのしこーさくごのけっかかと」
「過ぎた謙遜は反感を買うと覚えておきなさい」
王妃の言葉に頭を下げる小さな従獣に、少しだけ安堵する。
何やらよくわからないが、この従獣をしても王妃は目上の存在として認識されているらしいのできっと大丈夫だろうと思えた。
「さらなる研鑽を期待しています」
最後に王子に向かってそういって、王妃は大広間を出て行った。
その背を見送って一同が深く垂れた頭を挙げた時、王子の頭はまだ下げられたままだった。
背筋は伸びているものの、その背中が小さく項垂れて見えて少々心配だったが、王子の斜め後ろに控える小さな従獣が目に入ると近寄るのはためらわれた。
理解できない生き物だと気が付いてしまった従獣に近寄りたい気分ではない。
そうして不用意にできてしまった奇妙な沈黙の間に、王子の深いため息が下りる。
腰を起こした王子の顔がはれないのを訝しんだのか、従獣が首をかしげる。
「どうしてためいき?」
王子が恥ずかしげに苦笑した。
「お母様にあまりほめていただけなかったから、かな?」
そんなことはないと、言ってしまいそうになって唇をかむ。
王妃の言葉を聞く限り、王子の落胆を慰めるのに安易に否定できるわけもなかった。
女官の中にはそんなことはないと否定している者もいたが、どんな慰めの言葉も王子に響いている様子はない。
こんな時、何と言っていいのかわからないから、神官は口をつぐんでいるしかできない。
「じゅーぶんほめて、げきれーしていらっしゃったよーにおみうけしましたけぇど?」
「そう?」
従獣の慰めの言葉にも王子は苦笑するように笑う。
「…たとえば、ころんでなくこがいたら、ふつーのおやならだきおこして「いたかったね」とか「もぉだいじょーぶ」となぐめるでしょ?」
従獣の出した例に使用人たちは一様に顔を青くした。
「そうなのか?…僕はそんなこと、一度もしてもらったことはない」
王妃も乳母も、そういうことをするような女性ではなかった。残念ながら。
王子はそのような愛情を受けてこなかったのだ。
可愛そうな王子に、従獣は淡々とうなずく。
「おーひしゃまはきっと、ころんだこがじぶんれたちあがってくぅのをみまもられぅかたなのれしょ」
「…どういうこと?」
「いとしーこがきじゅちゅくのはおしょろしく、かにゃしむしゅがたをみぅのはつらい。それでも、いつまでもおやがだきおこしてあげらりるわけれはないから、じぶんでたちあがれるようにみまもるのもあいじょーひょげんのいっしゅれしょ」
虚を突かれたような表情で王子がまじまじと従獣を見た。
きっと、王子や目に見える使用人たちだけじゃなく、自分自身も同じような顔をしているのだろうと思いながら、神官も従獣を見た。
「こーしてでんかのせーちょーをじぶんのことのよーによろこんで、いわってくだしゃるかたがたをそばにつけてくだしゃっているのでおーひのでんかへのあいじょーのふかしゃがうかがえよぉとゆーものれすかぁね。きょーいくほーしんのちがいでしょうか」
「そうなの、かな?」
戸惑う王子に、肯定の証として使用人たちが精一杯首を縦に振る。
なぜか胸が詰まって言葉は出てこなかった。
「けんりょくをもついえにうまれたらおにょずとみじゅからのちからをかしんしがちなもにょれす。でんかをみぇばおーひやめにょとのかた、これまでのでんかにたじゅさわってこらりたかたがたがまちがっていにゃかったとわかぃましゅ」
「そう、なのかな…?」
従獣に返す言葉は同じでも、其処に込められた思いは違う。
王子の薔薇色に染まった頬と弧を描く口元に、使用人たちは顔をほころばせ、幾人かは目頭を押さえる。
そうして思った。
如何にこれが得体のしれないモノであろうと王子の従獣である限り、王子を傷つけることはしないだろうと。
それならば、我々の敵ではないと確信をもって断言できる。
多大なる安堵と感動をもって使用人たちはその得体の知れない従獣を受け入れたのだった。