クレーマー
クレアは目を覚ました。
天井が見える。
白い。
どうやら屋内のようだ。
この感触は……パジャマだ。
どうやらパジャマを着ているようだ。
次に腕が重いことにクレアは気づいた。
横を見ると白くて毛の長い生き物がクレアの腕にアゴを乗っけて寝息をたてていた。
「うにゅう」
……重い。
犬だろうか?
それにしては見たことのない犬種だ。
子犬……のように思える。
「むにゃむにゃ。タコさんもう食べれないー」
「喋った!!!」
その声で謎の生き物が飛び起きる。
「はいな?」
「き、君は誰?」
「マクスウェルです」
「な、なんで隣で寝てたの?」
「えっと。にいちゃに運動がてら館内一周してこいって言われてたら眠くなって、ここから寝ている人の匂いがしたのでつい」
マクスウェルは暗いところが怖いせいか一人では眠れない。
いつもサラと一緒に寝ている。
「あ、そう……(まあいいか)。ところで君はどこの子?」
「ここの子です」
どうやらダンジョンのモンスターの子どものようだ。
悪意は持っていないようだ。
クレアは安心した。
「そう。出口とかわかる? それとでっかいタコってわかる」
援軍を呼んであの邪神を倒さねばならない。
これは世界崩壊の危機なのだ。
「んー? 埼玉湾にいたクトゥルフさんですかー?」
あの邪神はクトゥルフと言うのか。
というか、今、埼玉湾って……
「えっと100グラム298クレジットで販売しましたー。昨日の夕飯はたこ焼きだったのです」
はい? たこ焼き?
「え? ごめん今なんて言ったのかな?」
「えっと。『えたーなる・なんとか・ブリザード。当ったら死ぬ』なのです」
なにその適当な魔法。
……相手は子どもだから仕方がないのだろう。
きっと。
クレアはムリヤリ納得することにした。
「美味しかった?」
驚きすぎてバカな質問をしてしまった。
「はいー。美味しかったです。あ、まだあるんで食べます?」
「い、いらない!!!」
おかしい。
あの邪神がダンジョンマスターではないのか?
それを食料だと!
どれほど強大な相手なのだ!!!
クレアは肝が冷えた。
太古の邪神に打ち勝つような生き物……
竜族か?
それも上位種。
……まさか龍王!
そう言えばホワイトドラゴンの幼竜は外見がプードル(くまさんカット時)そっくりだと聞いた。
……まさか。
クレアがマクスウェルを見る。
マクスウェルはお気に入りのくまさんのぬいぐるみを差し出して仲間になりたそうな目でクレアを見つめる。
ないわ。クレアは確信した。
何を考えていたのだろう。
こんなに邪気のない生き物がそんな恐ろしい生物のはずがない。
少しでも疑ってしまったお詫びだ。
遊んであげよう。
クレアはくまさんを手に取り、
「取ってこい♪」
放り投げた。
「あふんッ♪」
くまさんを目で追うマクスウェル。
前も後ろも見ていない。
そしてそのまま全力ダッシュ。
当然のごとくベッドから足を踏み外し下へ落ちた。
「ぎゃぴッ! ふみゃあああああああッ!!!」
「だ、大丈夫?」
まさか落下するとは……
うまく降りるものとばかり思っていた。
「……泣かないもん」
マクスウェルは涙目になりながら後ろ足のヒザを押さえ悶絶している。
どうやら少し残念な子のようだ。
クレアが苦笑いする。
その直後、部屋に何者かが飛び込んできた。
それはクレアと戦ったリーゼントの半魚人だった。
「しゃ、社長!!!」
「はーい。なんですか? それにしてもよくここがわかりましたね」
「はい。防犯ベルにGPSが入ってて……ってそりゃいいんです! た、タコ焼きが売れすぎてタコはあるんですが粉がなくなっちまいました!!!」
クレアが起き上がる。
「き、貴様ぁッ!」
「お、昨日のアネさん! もう戦う気はねえ。やめておくんなせえ」
半魚人はバンザイをし、戦う気がないことをアピール。
「うちの組も組長が刺身用100グラム298クレジット(税込み)という有様で解散の運びになりやして……折角なのでカタギになることにしやした。もうアネさんと戦う理由もないっす」
「組長刺身にされてそのままかよおい」
クレアはツッコミが追いつかない。
「強いものには徹底的に媚びへつらう。それが半魚人の哲学ってやつでさあ」
「お、おう……」
どうやら、本当にどうでもいいらしい。
クレアが呆れていると半魚人の発言にマクスウェルはうんうんと頷いていた。
「にいちゃ怖いですからねえ……」
「このダンジョン最強の生き物っす……」
『にいちゃ』とはいったい誰だろう。
クレアは覚えておくことにした。
「あ、そうそう、たこ焼きの粉ですね。バックヤードに行くので店長さん呼んできてください。ボクは倉庫前に行きますので」
「あ、専務お呼びしますか?」
「んー。任せます。んじゃ人間さんバイバイです」
慌ただしくマクスウェルと名乗った可愛い生き物が出て行った。
「それにしても半魚人が『社長』って……まさかねえ」
まだクレアはマクスウェルの正体に気づいていなかった。
「さて……そろそろ脱出しなきゃ……」
サラはベッドから降り、部屋の入り口にあったロッカーを開ける。
そこには見たことのない洗練されたデザインの洋服が入っていた。
「これ……かわいい……」
着替えがないのだから仕方ない。
クレアは自分にそう言い聞かせるとロッカーに入っていた洋服に着替えた。
完全な窃盗である。
しかもクレアはまだ知らない。
それがショッピングセンターの女子職員の制服である事を。
◇
「いらっしゃいませー」
可憐な制服に身を包んだダークエルフの女性たちが元気よく挨拶をする。
「はい。みなさんもっと声を出して!!!」
一人、スーツに身を包んだサラが支持を出した。
「はーいお姉様♪ いらっしゃいませー」
「『はーいお姉様♪』はいりません。……まあいいや。みなさんの研修もあとわずかです。残りもがんばって龍王様のためにがんばりましょう!」
「はい!!!」
慢性的な人手不足から、ショッピングセンターはサラの故郷の村の若い衆を大量に雇った。
今更、70年前に家出した故郷で村長をやっている両親に頭を下げる羽目になるとは……サラはその時の様を思い出し少しイラッとした。
「お姉様!!!」
「はい。なんでしょう」
「研修終わったらマー君だっこさせてください!!!」
「一緒に写真撮っていいですか?」
「おやつあげていいですか?」
「添い寝してもいいですか?」
「全部ダメです」
なぜここの連中はどいつもこいつもマクスウェルを甘やかすのだ。
ダメな子をダメな大人にしてどうする。
それがサラの母親ポジションの安定感から来ていることにサラは気づいていない。
つまり、
サラ以外 → 甘やかす人
サラ → しつけをする人
みんながこう認識していたのである。
サラはマクスウェルが大人になった時を思い浮かべる。
かなり悲観的に。
「にーちゃ。お外には絶対に出ません!!! プラモ作るので忙しいのです!!!」
「あ、にーちゃ。カジノで全財産すっちゃいましたー。てへ」
「にーちゃ! 地球破壊的な爆弾で危なくないように遊びます! あ、(ちゅどーん)」
あ、アカン!!! 今のままじゃアカン!!!
優秀じゃなくてもいい。
せめて普通の子にしなければ……
新たなる悩みを抱え込むサラ。
ところが悩んでいる暇などなかった。
白目をむいていると、スケルトンが部屋に駆け込んできた。
「せ、専務!!! 店長が! 店長が若い男にタコがマズいって絡まれてます!!!」
はい?
「え、だってここ埼玉ですし、半魚人も認める超新鮮サバきたてほやほやの逸品ですよ!!! つか、うちしか販売できませんって!!!」
タコではなくクトゥルフということは完全に忘れてサラがそう主張する。
そしてもう一人が飛び込んでくる。リーゼントの半魚人だ。
「お、親分、じゃなくて専務。店長どこッスか?」
クトゥルー戦後、クレアを救出していたところ、運悪く彼らはサラに襲いかかった。
一瞬で半魚人全員が二度と逆らう気も起きないほどボコボコにされ、絶対服従を誓わされた。
先代龍王の近衛騎士は伊達ではないのだ。
「店長はクレーマーに絡まれていて応対できないそうです」
「いや、こっちも早くバックヤードから粉持ってこないと、たこ焼きが作れなくなってしまいやす。もし売り切れでもしたら、おばちゃんたちが暴動起こしますぜ」
半魚人が抗議する。
「スケルトンのみなさんは倉庫開けられないんですか?」
もっともな疑問をサラが口にする。
「あそこは危険なんで立ち入り禁止なんですよ! 中で作業してるクルーと店長しか鍵を持ってないんです」
スケルトンの一人が言った。
スケルトンであれば顔パスという訳ではないらしい。
「仕方ありません。私が店長のところに行きます!」
「ひえ、専務!!! お客様は殴っちゃダメなんですからね!」
「私は狂犬か!!! とにかく皆さんは倉庫の前で待っててください。それとダークエルフの村の……そこの子とそこの子、私についてきて」
「はーい!」
部屋を出たサラはダークエルフを従え長い廊下を突き進む。
クレーマーという新たな敵に向かって。