マクスウェル 後編
それはボクの住んでいるカワグッチーではなく川口。
大さいたま帝国ではなく埼玉県でした。
ボクはお母さんと古い団地に住んでいました。
いつも薄暗くやたらと広い団地。
置き去りにされた公園のおもちゃ。
ぎいぎいと耳障りな音のする古いエレベーター。
子どもの姿はほとんどない閑散とした通路。
そこはなんだかダンジョンのようでした。
団地の奥には魔王がいるに違いありません。
ボクはこの団地が大好きでした。
ボクは毎日一人で遊んでいました。
ボクのお気に入りはドラゴンのフィギュアです。
空を飛んで遠くに行きたいなあと思っていました。
でもそうは思っても実際には団地から先へは行けませんでした。
お母さんに怒られてしまいますから。
なので、ボクは遠くへ飛んでいった自分を想像して大好きな絵を描くのでした。
いろいろなものを書きました。
団地で働くホネホネモンスター。
ボクが考えた地下の倉庫で働くスライム。
魔王を守るのは邪神なのです。
はて?
今のボクと似てますね?
なぜでしょう?
そんなボクの楽しい日々はある日突然終わりを迎えました。
それはある日のことでした。
「行ってきます」
そう言ってお母さんは出て行きました。
そうして二度と帰ってきませんでした。
ボクは困ってしまいました。
水道も電気も止められ、食べ物もありません。
団地の入り口で誰かに食料をもらうにも限界がありました。
本当だったら、警察を呼べばよかったのです。
ですが、それを知ったのは今のボクになってからでした。
あっという間にボクは追い詰められました。
そして、あっという間にボクは動けなくなったのです。
◇
突如苦しさから解放されました。
ボクがぜいぜいと荒い呼吸をしながら目を開けると、おじさんがいました。
いまならわかります。
アザトースさんです。
「プロレスは好きかね?」
今と何一つ変わっていません。
ボクは答えました。
「……ハ○ターさん対大先生は神だと思います」
それはプロレス史に燦然と輝く伝説の塩試合でした。
チケットが完売し、1万5千人収容の会場は満員御礼。
ペイパービューは売れまくり。
試合前の壮大な前振り。
そして起こったゲームAIのような動きの大御所二人による金返せレベルのグドグドな試合。
全く攻撃を受ける気がなく、ひたすら同じ技を繰り返す大先生。
そんな大先生にやる気をなくして全ての動きが雑になる○ンターさん。
その日アメリカ家庭の全ての砂糖が全て岩塩に変わったと言われています。
どうしてこうなったのでしょう?
アザトースおじさんはニヤリと笑いました。
「わかっているじゃねえかボウズ。プロレスは塩が一番。塩こそプロレスの醍醐味。どうだ? 俺の後を継がないか?」
後を継ぐ。
その時、ボクはよくわかりませんでした。
「答えなくてもいい。なあに拒否権などない。新たな神よ、思うがままに世界を作るがいい」
そしてボクはドラゴンになりました。
でも思うのです。
これはもう終わったことなのです。
これは意味はないのです。
そう今のボクには……
◇
「おかあさん!」
マクスウェルがサラに抱きついた。
サラは一瞬だけ困った顔をしたが、マクスウェルを持ち上げて抱っこをした。
「あのね。ボク、猫さんとここに来たのです!」
「うん」
「お外に出られたのです!」
「うん!」
マクスウェルが興奮して言うのをサラは聞いていた。
一行はここで口を挟むと命を取られかねないので黙っていることにした。
すると空気を読まずにマクスウェルに話しかけるものがいた。
リチャードである。
「うむ。ようやく来たか。帰る用意はできている」
「はいな♪」
マクスウェルが手を挙げた。
家に帰るのだ。
そう思うとマクスウェルはなんだか心が弾んだ。
マクスウェルたちがリチャードに案内されて研究室に入ると、猫が自転車を漕いでいた。
三毛猫のミケだ。
あやしい装置についた自転車を漕いでいるのだ。
「へふ……へふ……つらいにゃあ」
「ミケさんどうしたんですか?」
「ホラ、ぼくたちって月に行けるじゃない? そのエネルギーを使って装置を動かすんだって」
幻夢境の猫は月に行くことができるのだ。
「すごいのです!」
「なんと時給、カワグッチーのショッピングセンターの猫缶一つ」
そう言うとミケは缶詰をマクスウェルに差し出した。
「あ! うちのプライベートブランドの缶詰ですね!」
それを聞いたミケの黒目が大きくなる。
「……え?」
「はいな?」
「もう一度」
「うちのプライベートブランド」
「うち?」
「はいな。ボク社長なのです」
「同じ重さの金が買える猫缶作ってるの?」
「はて? 安いですよ? 84クレジットですよ」
どうやら転売屋が値段をつり上げているようだ。
物理法則を無視した空間で全ての材料をまかなっているので原価はゼロである。
「……うわあああああああんッ!!! 酷すぎる!!! 練習までしたのにいいいいいいぃッ!!!」
ミケが泣いた。
無駄な労働やらいろいろと思い出して。
「あの……あとでクトゥルーさんに頼んで送りましょうか?」
「まじで?」
「はいな」
「ボクがんばるよ!!!」
欲まみれの猫がやる気を出してペダルをこぎ始めた。
「うむ。話は終わったか……では行くぞ」
「はいな」
こうしてマクスウェルは帰ることになった。
装置にはマクスウェルが入るカゴと動力の猫。
それと中央に魔道書が備え付けられていた。
そしてもう一つ。
人が座る椅子が装置につけられている。
「ええっと、ダークエルフの。そこのアンタ。ここに座れ」
恐れを知らない魔道士がサラに言った。
「はい。ところでこれは?」
「魂を元の場所に戻す装置だ。対象の魂の記憶からあるべき場所に帰す装置だ。ふむ、親が来てくれてよかった」
サラはマクスウェルが「お母さん」と言ったこと、目の前の男が「親」と言ったことに違和感を持った。
確かにサラはマクスウェルの親だ。
サラも自信を持ってそう言える。
だが種族の違いは見た目にも明らかなのだ。
「血は繋がっていませんが大丈夫なのでしょうか?」
「ああ。血の繋がりなど関係ないな。魂の繋がりが必要なのだ」
リチャードはそう言うとサラを椅子へ導いた。
そしてマクスウェルに聞いた。
「家族は他にいるか?」
「います!!! そこのみんなです!!!」
マクスウェルは元気よく答えた。
(クトゥグアを除く)全員が椅子の周りに集まった。
「では先に帰っています!」
「龍王の間に母ちゃんがいるからな」
「はいな! カツオ兄ちゃん、ありがとうなのです!」
マクスウェルはカツオに答えた。
そしてエレノアや店長を見てぺこりと頭を下げた。
「みんなありがとなのです!」
そして……
「お父さん。ありがと」
にゃーくんに微笑んだ。
「う、うん。息子のためならえんやこらなのね!」
今まで大人しかった邪神は優しくそう言った。
「では装置を動かすぞ!!!」
リチャードが装置のスイッチを入れる。
カゴに入ったマクスウェルへ光が放たれた。
◇
気がつくとボクは繭の中にいました。
繭を破らないと。
ボクはパンチをしました。
繭はビクともしません。
ボクはキックをしました。
繭はビクともしません。
……どうしよう。
出られません。
ボクは最悪の事態を想像しました。
こうなったら……かめ○め波しか。
この前、カツオちゃんと遊んでいる時に編み出しました。
一区画丸ごと破壊したので、もう二度とやるなと言われてますが、背に腹はかえられません。
えっと息を吸ってー。
はいてー。
吸ってー。
「かー○ーはーめー……」
「あんらー」
ぶもうっという声が聞こえてきました。
カツオちゃんのお母さんです。
「おばちゃん! 出られないのです! 助けてくださいなのです!!!」
「あんらーそりゃたいへんだ! ふんがー!!!」
みしみしみしと繭が割れて行きました。
そしておばちゃんに抱えられてボクは繭から脱出できました。
「おばちゃんありがとうなのです!」
ボクが俺を言うとおばちゃんが指をさしていました。
「あんらまあ……」
「はいな」
「羽」
背中でなにかがピコピコと動きました。
結構大きいです。
うん?
「はて?」
肩甲骨の所がピクピクと動きます。
ボクはおそるおそる後ろを確認しました。
白い羽がピコピコと動いていました。
あれー?




