アザトース
それは遠い遠い昔の記憶でした。
ボクは高いマンションが建ち並ぶ町でお母さんと二人で住んでいました。
お父さんはいません。
ボクのお気に入りはドラゴンのぬいぐるみです。
いつかドラゴンみたいに強くなりたいです。
はて?
……なんで強くなりたいんでしょうか?
それにボクはドラゴンですよ?
うーん……よくわかりません。
サラお母さんのように……
あれ?
にいちゃはお母さんじゃないですよ?
にゃーくんはお父さんで……あれ?
間違えました。
にゃーくんは……ボクのなんでしょうか?
うーん……なんでしょう?
ボクがよくわからなくなると、それに合わせるかのように目がぱっちりと開きました。
目が開いた瞬間、ボクはそれまで見ていた夢の内容の全てを忘れてしまったのです。
「……なにか……夢を見てたような……? はて?」
お気に入りの木箱の中で、ボクが抱っこしていたヌイグルミがボクを見つめていました。
急に寂しくなったボクはヌイグルミをぎゅうっと抱きしめました。
◇
「アザトース。なにしに来たのね?」
「なにってゲームを買いに……」
「嘘つくな。なのね。お前に手に入らないコンテンツがあるはずがないのね!」
「いや無理だな。これはもう一柱の創造神の製造物だ。うむ。プロレスに例えるとだな……」
「プロレスに例えられたら誰もわからないのね。この塩試合専門のオタが!」
塩試合とはプロレス周りのスラングで「つまらない試合」のことである。
「全ての試合を塩にするス○○○大先生をバカにするなー!!! SSDかますぞコラァッ!!!」
SSD。プロレスのとあるすんごい必殺技のことである。
「具体的な名前を出すななのね!!!」
思わずツッコミを入れたにゃーくんの耳にボキリボキリという音が響いてくる。
「ちょっと待つのね。ミーは悪くないのね」
後ろでニコニコと指を鳴らすもの。
それはサラだった。
「ほう?」
「サボったのは反省したのでシャイニングウィザードはやめてください!」
邪神が土下座した。
そこに邪神の威厳など存在しなかった。
しかたないなという表情をしたサラは今度はアザトースの方を向いた。
「で、あなたは何者ですかね?」
アザトースがにかっと笑った。
「創造神のアザトースだ。新たな創造神の母親だな? やあ探す手間が省けた」
それを聞いてサラの目つきが鋭くなった。
にゃーくんも珍しく真面目な顔になっていた。
「アザトース。それはどういう意味ね?」
「俺はもうすぐ引退だ。余生は今まで集めたプロレスを見……それは置いて、後継者を見に来たんだ」
「後継者?」
プロレスはスルーである。
「おう。ここのドラゴンのボウズのことだ」
「まーくん? いや確かに……」
確かにマクスウェルはアザトースと同じだけのポテンシャルを秘めてはいる。
だが……邪神というほどの邪悪さはない。
「なぜ、まーくんなのね?」
「三千世界から俺が特別に探し出した魂だからだ。もうすぐ羽化するだろうな。これは数万年前から決まっていたことだ。誰にも邪魔はさせん! そこのダークエルフにもお前にもだ」
そのときサラはアザトースの姿を人間のものとして認識できなかった。
これが『恐るべき宇宙の原罪そのもの』と表現される存在なのかとサラは思った。
その時、サラの腰になにかが抱きついた。
なぜかその感触にサラの緊張が一気に解けていく。
何事かと思ってその主を見ると、マクスウェルが腰に抱きついていたのだった。
「マクスウェル。どうした?」
サラは邪神になど構っている暇はなかった。
それほどまでにマクスウェルがただならぬ雰囲気で腰に抱きついていたのだ。
「わからないのです。……変な夢を見たのです」
それを見てアザトースが笑う。
「これはこれは、かわいいドラゴンだ。我が後継者よ。全てを混沌へ導くが良い」
そう言い残しアザトースは消えた。
サラはアザトースにいろいろと聞きたいことがあった。
だがそれをする暇がないほど、その後のマクスウェルの様子がおかしかったのだ。
◇
いつものお気に入りの木箱の中にマクスウェルはいなかった。
なぜかマクスウェルはべちょっとサラに寄り添っていた。
「どうしたんだマクスウェル。今日は様子がおかしいぞ?」
サラが優しい声で聞いた。
「にーちゃ……わからないのです。あれはカワグッチーでした。でもここじゃない……のです」
そういってまたもやマクスウェルはサラに抱きつき黙った。
すっかり赤ちゃんのようになってしまったマクスウェルに苦笑いしながらサラはマクスウェルの頭を撫でた。
マクスウェルはうっとりとした表情をすると数分後には寝息を立て始めた。
「サラちゃん。まーくんは寝たのねん?」
にゃーくんがどこからともなく現れた。
だがサラは特に驚きもしないで答えた。
「ああ。様子がおかしい。理由はわかるか?」
「まったくわからないのね。わかるのはアザトースが関わってるってことだけね」
マクスウェルはすやすやと寝息を立てている。
そのふわふわとした毛の中の手足は細く頼りなかった。
まるで触ったら折れてしまいそうなほど。
「情報収集できる?」
「うん。伝手を全て当ってみるのね」
二人が決意を固めたとき、マクスウェルが小さく寝言を言った。
「ママ……」
マクスウェルの足がピクピクと動いた。
サラはマクスウェルを起こさないように気をつけながらそっと抱きしめた。
◇
次の日事件は起こった。
「マクスウェル様!!!」
エレノアがドアを開けて飛び込んできた。
龍王の間にはショッピングセンターの面々が一堂に集まっていた。
その部屋の中央。
そこには大きな糸の固まりがあった。
キラキラと光るそれは、まるで蚕の繭のようであった。
光が当ると中で丸くなって眠っているマクスウェルが透けて見えた。
「エレノア。これはどういうことだ?」
サラが聞いた。
「わかりませんわ! ドラゴンは成長に応じて脱皮はしますけど、こんなの聞いたことありませんわ」
「じゃあどうすれば……」
「わ、私はお父様に聞いてきます!」
「エレノアっち! 炎竜のおっさんには俺が連絡したぜ!」
ぶもうっとカツオが言った。
「え? どうやって?」
「ゲーム機のフレンド機能からメッセージを飛ばした!」
「ふ、フレンド? め、メッセージ?」
携帯も使えないアナログドラゴンのエレノアには少し難しい。
エレノアが混乱しているとカツオの懐から曲が流れて来た。
大人ぶりたい年頃のカツオの着メロは恐ろしく昔のシャンソン。
それを格好つけながらもったいぶったポーズで取ろうとするカツオ。
次の瞬間、イラついたエレノアの鉄拳がカツオの顔面にめり込んだ。
エレノアはカツオから携帯を引ったくると『通話』を押して電話に出た。
「はい! お父様! え? マクスウェル様のお母上? サラさんならすぐ横に……そうじゃなくて本当の母親……? ええ。じゃあ代わります」
エレノアが携帯をサラに渡した。
サラは震える手で携帯を耳に当てた。
「マクスウェルの母親は誰だ?」
火龍の声が聞こえた。
サラは、一瞬間を置くとぽつりぽつりと今まで言わなかった真実を話し始めのだった。
「あれは……先代の龍王様が崩御なされる一週間前……先代の龍王様に呼び出された私が目にしたのは……」
◇
マクスウェルは夢を見ていた。
お父さん。お母さん。
片方の手を父に、もう片方を母に。
両親の顔はわからない。
でもマクスウェルはうれしかった。
手を片方ずつ両親に預け、父親と母親を交互に見ながら上機嫌でマクスウェルは歩いていた。
夕日がマクスウェルを照らす。
その夕日をマクスウェルはなんてきれいな光なのだろうかと思った。
……でもこれは本当ではないのです。
さしたる根拠もなくマクスウェルは思った。
ボクのママは……
マクスウェルの頭にサラの顔が浮かんだ。
ママの所に戻るのです。
いえ……にいちゃはママではなくて……はて?
マクスウェルが首を傾げた。
じゃあ、にいちゃはボクのなんなのでしょうか?
ボクは誰?
いつの間にかマクスウェルはドラゴンのヌイグルミを抱えていた。
マクスウェルはそれをぎゅうと抱きしめた。
◇
サラは真相を話し始めた。
先代龍王の間で見たもの、それは煉瓦一つ分ほどの大きさの卵だった。
それと銀髪、プラチナブロンドの髪を腰までのばした眼鏡の男性がそこにいた。
彼が先代の龍王である。
「龍王様……この卵は?」
サラが聞いた。
龍王がつがいを作ったという話は聞いたことはない。
サラは龍王の親衛隊である。
パートナーがいればわからないはずがない。
驚くサラを前に龍王はかけていた眼鏡を外すとサラの方を向いた。
「ボクの子どもだ。詳しい話は聞かないでくれ。これは命令だ」
「で、ですが龍王様……」
卵からは隠しようもないほどの膨大な魔力が渦巻いている。
それは龍王などというレベルのモノではない。
なにか恐ろしいものが卵の中で育っているのだ。
龍王が卵に手を当てた。
「彼が大人になれば魔族と人間のありようは根底から変わってしまうだろうね」
龍王はそう言うとサラに卵を手渡した。
「サラ。次代の龍王を育ててくれ」
こうしてサラはマクスウェルの教育係になった。
◇
「つまり……なにもわからない訳ですわね」
エレノアがツッコんだ。
「うん。マクスウェルはマクスウェルだからな。何があろうとうちの子だ」
そう言い切ったサラを見てエレノアは満足そうな顔をした。
エレノアがふふっと笑ったその時だった。
非常になんとも表現し難い造形のスライム、ショゴスが龍王の間に入ってきた。
「テケリ! じゃなかった!!! クトゥグア様がいらっしゃってます! 幻夢境にマクスウェル社長を迎えに行こうと仰ってます」




