7・提案
部屋に戻ってきた私を見て、アイリスは不思議そうに首を傾げた。ルテラに荷物を届けに行ったはずなのに、その荷物はしっかりと私の手の中にあったからだ。
けれどもアイリスは「お帰り」と微笑んだきり何も尋ねてこなかった。こればかりは、アイリスが鈍いとかではなく、気を遣ってくれたのだろうと、付き合いの長い私には分かったのだ。
次の日の朝、寮内の食堂で朝食を済ませ、講義が行われる講堂へと向かうために外へ出た。今日は座学、座って授業を聞くだけだ。人によっては退屈で仕方ないだろうけど、実習が嫌いな私にとってはこれほど楽な授業はない。ああ、その前に今日こそルテラにこの小包を渡さなきゃいけないわね。
そんな考え事をしながらだったから、隣でぴたりとアイリスが足を止めたことに気付くのが遅れた。私も足を止めて、2歩ほど後ろで停止しているアイリスを振り返る。
「どうしたの、アイリス?」
「んー……?」
アイリスは可愛らしく顎に指をあて、軽く首を傾げた。しかしそれ以上何も言わない。
「ちょ、ほんとにどうしたの?」
「なんかねぇ、生理的な嫌悪感がするの」
「は、はぁ?」
なんとも抽象的だけれども、アイリスの口から出るには相応しくない痛烈な言葉に、私は目を丸くした。
「例えるなら、尾行してこっそりつきまとう嫌な男の下卑た視線を感じるの」
「……それって」
なんとなく内容を察した私だったけれど、私が口に出すより先にその『嫌な男』が姿を現した。
「アイリス、アイリス、ここだ、僕だよ」
寮の裏手からこっそり出てきたのは、この女子がひしめく女子寮区域には似つかわしくない学生の男の人だった。表に堂々と立っていれば目立つので、隠れていたのだろう。
アイリスはそちらを振り返らないまま、にっこりと私に笑いかけた。
「行こっか、シャノン?」
「そ、そう……?」
そのまますたすたと歩き始めたアイリスを、私は呆れつつ見送る。と、アイリスの行く手を阻むように、アイリスの兄のシャーニッドさんが回りこんだ。
「無視するなんて酷いんじゃないかい、我が妹よ」
「お兄様、相変わらず邪魔ですね。朝の爽やかな気分が台無しです」
無邪気な笑顔でこんな毒を吐く子であるなど、私や当事者たち以外の誰が知っているのだろう?
このシャーニッドさん、由緒正しきフォイエル伯爵家の長男で次期伯爵の17歳。騎士科3年生。紛うことなくアイリスの実の兄で、兄妹そろって容姿完璧。性格も良く、温和一言に尽きる好青年。
____であるにも関わらず、シャーニッドさんはアイリスを溺愛している。溺愛を通り越しているような気もするけれど。
そして対するアイリス。にっこりと可愛く微笑みながら、兄を邪険にして鬱陶しいと追い払う。
(ま、まあ私からすれば、アイリスの反応は普通だと思うけど、極端よねぇ……)
アイリスと出会ったとき、もれなくこのお兄様までついてきたから、第一印象はかなり強烈だったのを覚えている。
学ぶ学科も違うし、寮生活の学園では、兄妹でも滅多なことで会うことはできない。しかし、隙さえあらばシャーニッドさんはアイリスに会いに来る。……私から言わせてもらえば、シャーニッドさんはアイリスに冷たくあしらわれるのを楽しんでいるのではないだろうか。
「早くしないと、講義に遅れてしまうんですけれど?」
「何を言っているんだ、まだ時間はあるじゃないか。それにもしもの時は僕が抱っこして……いッ!?」
アイリスが渾身の力で、兄の右足を踏みつけた。これにはシャーニッドさんもたまらないようだ。最初こそ驚いたけれど、実家ではいつもこんな風だったらしい。兄が1年早くこの学園に入学したため、兄がいない屋敷での生活は悠々自適だったと言っていた。
妙な兄妹なのに悪い噂が立たないのは、ふたりともが人当たりの良い、敵を作りにくい性格をしているからだろう。
足の痛みをにっこり笑って払拭したシャーニッドさんは、首を振った。
「いや、残念だけれど、今日は本当に用事があってね……」
その様子に、アイリスも口をつぐんだ。『ちょっと待っててね』と言い置いたシャーニッドさんは、先程まで隠れていた建物の陰に引っ込んだ。そしてシャーニッドさんに引きずられて物陰から出てきたのは、ギルバートさんだった。
「!」
驚く私の前にギルバートさんを引きずってきたシャーニッドさんは、にっこりと微笑む。
「シャノンさん、改めて紹介します。僕の友人、ギルバートです。まあ、有名人ですからご存じだったと思いますけれど」
ギルバートさんは視線を明後日のほうに向けている。居心地が悪いのだろうな、と私は直感した。ここは女子寮、女子の聖域だ。そこに男性が足を踏み入れるのは、シャーニッドさんみたいに太い神経の持ち主でないと躊躇うだろう。
そうか。シャーニッドさんの友達だから、アイリスもギルバートさんを知っていて、ギルバートさんは私のことを知っていたのだろう。
「ど、どうしてそんな改まって……?」
「いやあ、昨日の晩からギルバートがやけにシャノンさんのことを気にするものですから。ちゃんと大人しく部屋に戻ったのか、また外に出ようとしていないか、犯人がまだ狙っていたらどうしようか、とね。あまりにうるさかったので、連れてきたのですよ」
「おい、シャーニッド!」
ギルバートさんが怒鳴りつけたが、シャーニッドさんはにっこりと笑う。このあたり、さすがアイリスのお兄様である。
シャーニッドさんに掴まれていたままの腕を振りほどいて、ギルバートさんは私に向きなおった。
「……あんたのもとに届いた、あの荷物だけどな」
「はい?」
「事務方の人間を問い質したら、あっさり吐いた。あれは、ルテラって女に頼まれてわざと届け間違えたそうだ」
「……! なんのために?」
「あの女は、いまこの学園で起こっている事件を知っている。が、彼女自身も真実ではないと思い込んでいたらしい。だから、あんたを少しおどかしてやろうと仕組んだことだったそうだ」
「事件なんて冗談だと思っていたのに、本当に襲われてしまったんですからね。……あ、事前に彼女にはきつくお灸を据えてきましたので、心配しなくていいですよ」
微笑んで物騒なことを言うシャーニッドさんに、ギルバートさんは呆れ気味だ。……きっとこういうタイプが、一番怖い。
「でも、どうしてそこまで……?」
私はただの一被害者にすぎない。なのに、事務方の人やルテラを糾弾するなんて。
「俺は学園側から、学園の警護とともに事件の解明を依頼されている」
「ええ。やたらと心配するのは、シャノンさんがこの事件唯一の『生存者』だからです。貴方は犯人の姿を見ています」
そのあとは、言われなくても分かる。口封じ、だ。ギルバートさんは腕を組んだ。
「……それに、元々犯人はあんたを狙っていたのかもしれない」
「え?」
「いや、なんでもない」
小さな声だったので、私には聞き取れなかった。はぐらかされてしまい、私は口をつぐむ。
そっと、アイリスが私の手を握った。話を聞いていれば、私が何か事件に巻き込まれたというのは分かっただろう、酷く不安そうだ。私は少し微笑み、「大丈夫」と言う。
シャーニッドさんが咳払いをした。
「……まあともかく。犯人はもう一度シャノンさんを襲う可能性があります。なので、注意を促しに来たんですよ」
「ああ。夜中は外に出るな。昼間でも、人気のないところに行くのも……」
「あ、あのっ」
私が声をあげると、ギルバートさんが言葉を切る。
口封じのためにもう一度私を狙いに来るかもしれない。ギルバートさんは、犯人を捕まえるために活動している。
だったら、私にだってできることがあるじゃない。
「私が、犯人をおびき出す囮になります!」
『は!?』
男性二人の驚愕の声が、重なった。