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〜翡翠の彼、瑠璃の彼女〜  作者: 狼×狐
第一章・翡翠色の眼/瑠璃色の瞳
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5・悲鳴

 

 風のない、静かな夜だった。聞こえるのは、中庭にある間欠泉型の噴水の水の音だけ、学園校舎のほうに行けばもう少し賑やかなのだろうけれど、寮が立ち並ぶこの地区は本当に静かだ。


 小包を抱えたまま、私は中庭を通過し、目の前にそびえたつ女子寮の東棟へと向かっていく。自然と足早になってしまったのは、昼間ルテラに聞かされた薄気味悪い『冗談』が、頭の中をぐるぐるとまわっていたからだ。


 夜中に寮を出て学園内を歩いたのは、これが初めてではない。むしろ、私はよくひとりで出歩くほうだ。昔から夜の空気が好きで、実家の屋敷に暮らしていた時から出歩きたがった。ひとりで外に出るなと毎回兄や姉に叱られながらも、眠れないときは部屋の窓を開けて、満天の星空を見上げていたものだ。


 グラン・ロマーナ学園に入学してから、『夜の散歩』と称してアイリスとふたりで学園内を散策することもあったし、この中庭にひとりで出て、ベンチに座って考え事をしたこともある。


 それはすべて、このグラン・ロマーナが『絶対な安全を約束された』学園であったからできたことだ。


 高い塀で囲まれたこの学園に外部の者が入るのは容易ではない。正門のところで厳しい検査を受けるし、たとえ親族の者だと主張しても、学園側が発行した証明書を見せなければ入ることはできない。さらに昼夜を問わず、学園の周りには王国軍に属する者が警備にあたっている。


 もはや監視というべき「安全」のなかで生活していたから、夜だって怖くないのだ。


 なのに、この学園内で殺人事件が起きたという。どういうことなのだろう? ここは絶対安全だったのでしょう? やはりルテラの言うとおり、内部犯なのか。


「……もうっ、ルテラが変なこと言うから、気味が悪くなってきたじゃない。あれは冗談なのよ、私を怖がらせるための……」


 とりあえず私は声を発する。黙っているのが嫌だったのだ。夜が怖いんじゃない、見えざる噂が怖いのだ。


 アイリスを連れてくるべきだったかなあ、と今更ながらに後悔したけれど、この距離でわざわざ連れ立つというのもおかしい。


 ほら、もう東棟の玄関が目の前にある。何よ、何事もなかったじゃない。管理人に挨拶して、ルテラの部屋を聞いて、部屋まで届けて、終わりだ____。





 ……背後に、人の気配を感じた。


 振り返る。


 けれど、完全に振り返るより前に、背後にいた誰かが私の口を手で押さえた。


「ッ!?」


 持っていたルテラ宛の小包が手から滑り落ちる。同時に私の身体が少し浮いた。声をあげることもできず、私は寮の裏手に引きずられてしまう。もがいたけれど、逆にこっちが苦しくなるだけだ。


 相手が男である、ということくらいしか私にはわからない。がっしりとした体格は、どう考えても男だろう。


 口を塞がれたまま、私の身体は壁に押し付けられた。その力が強く、私は動くこともできない。目の前には襲ってきた男がいる。帽子を目深にかぶり、顔はまったく分からない。


(ほ、本当に。ルテラが言ってたのは、冗談なんかじゃなかったの……?)


 私の口を塞いでいない右手には、銀色に光るものがあった。剣というには短い、ナイフだ。男はナイフを器用に右手の中でくるりと持ち替えて、すっと私の首元に当てる。



____『お聞きになりまして? 昨日の晩、なんでも学園の敷地内に斬殺死体があったのだとか』

____『死体からは臓器が持ち出されていて、学園のほうでは不正な臓器売買の手の者ではないかと疑っているそうですわよ』



(ぞうき……)


 その言葉が脳裏に響く。


 移植するにも、臓器を提供してくれる人が少ないのだということは、私も知っている。だから、臓器目的で人を殺して回る人もいるんだと。


 私に待っているのは、『死』だ。


(いやだ……)


 男はナイフをすっと下降させ、胸、腹へと向ける。そこを裂く気なのだろうか。


(いやだ、……いや、いや、いや)


 悲鳴を上げることも、抵抗ひとつすることも叶わないまま、こんな人気のないところで死ぬなんて。きっと私の死は公にされない、だってこれは学園の『不祥事』だから。不祥事は隠匿する____丁度私が、昨日斬られたという人のことを何も知らされていなかったように。


 またも男がナイフを持ちなおす。それはまさに、突こうとする構え。


(やめて……やめてぇッ)


 声にならない悲鳴は、誰にも届かない。

 助けなんて、来るわけないじゃない。

 分かっていた、分かっていたけれど。


 勝手に身体が震える。私は強く目を閉じた。



 ____風が、吹いた。



(え……?)


 今まで無風だったはずなのに、ふわりと風が吹く。私の栗色の髪も、風を受け止めて広がる。


 ぱっと、男が私を解放した。そのまま力が抜けて地面にへたり込んでしまった私の目の前で、先ほどまでこちらを向いていた男は、背を向けて立っている。何か、突風に吹き飛ばされないように踏ん張っているような態勢だ。


 男が横へずれる。と、そこにはもうひとり若い男の人がいた。おそらく学生だ。夜の闇に溶け込みそうに、服装も髪の毛もすべて黒。その中で、手に持つ銀色だけが光り輝いている。


 抜き身の剣。男に斬りかかって、そのまま鍔迫り合いをしている。


 助けに、来てくれた……。



 学生が男を押し切った。男が持っているのはナイフ、長剣を持つ相手と戦うには分が悪いだろう。


 本物の『殺し合い』。初めて見るそれは、私が知っている試合や決闘とはまるで違った。男のナイフを使った早業と、それに翻弄されることもなく冷静に対処する学生。漂うのは、身も焦げるようなびりびりとした殺気。私はそれらを呆然と見つめていた。


 学生の斬撃を、男は後方に飛びのいて回避した。と同時に身を翻して駆け出す。学生もそれを追おうとしたが、ぴたりと足を止めて剣を鞘に収めた。その瞬間にちらりと見えた剣の刃には、若干の血が付着していた。


 どうやら、私を置いていくことを気にして、追跡を断念してくれたようだ。振り返ったその人の顔を見て、あっと私は思わず声をあげる。


 上から下まで黒一色。その中で光るものが、銀色の刃の他にもうひとつ。その、美しい翡翠色の瞳。


「ギルバート……さん」


 そう名を呼ぶと、その人は少し首を傾けた。間違いなく、今日の昼間に見たあの平民特待生のギルバートさんだった。


「怪我は?」


 短く尋ねられたので、私はふるふると首を振る。


「こんな夜中に、どこに行くつもりだ?」

「荷物の……届け間違いがあって。だから、届けようとして」


 ギルバートさんは少し離れたところに落ちている小包を拾い、砂埃を意外と丁寧に払って戻って来てくれた。そして立ち上がった私にそれを返しながら、素っ気なく言ったのだ。


「明日にしろ」

「は、はい……」


 もっともなことだったので、私は素直に答えた。


「寮まで送る」


 勝手にそう言って、勝手に歩いていく横暴っぷりに、なぜか腹は立たなかった。それより、『送る』なんて言ってくれたことが少し嬉しかったりもする。慌てて追いかけ、ギルバートさんの少し後方を歩きながら、ちらりと背の高い彼を見上げてしまう。


 寮の玄関口に到着して、まだお礼を言っていなかったことに今更気づいた私は、慌ててギルバートさんに頭を下げる。腰から折り曲げて頭を下げるのは、最大の感謝を示すものだ。


「本当に、有難う御座いました」


 ここで、『命を救われたご恩は必ず』などと付け加えるのは柄ではない。それでもギルバートさんは少し驚いたような表情だ。貴族の令嬢が頭を下げるのが珍しかったのだろうか。


「……不運だったな。昨日にも同じようなことがあった」

「存じています」

「知っていたのに、夜中に出歩く? どんな酔狂だ」


 まったく、耳が痛い。


 と、ギルバートさんは軽く腕を組んで私を見やった。


「泣かなかったんだな」

「……え?」

「あんな奴に襲われても、あんたは泣かないんだな」


 そういえば、と私は自分の(まなじり)に指をあてた。あれだけの恐怖に襲われたのに、涙は一滴も出ていなかった。


 ギルバートさんはそんな私を見て、ふっと小さく笑う。


「大した度胸の持ち主だ。シャノン・ヒューネベルグ」


 教えてもいない私の名前を呟いて、ギルバートさんはさっさと夜の闇の中に溶け込んでしまったのだった。


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