第六話:瘴気
ルシールの意識体と共に森へと戻ったソルは、ヴィオレーヌに無事彼女の意識体をセリーヌの魂に逢わせることが出来たことを告げ、瘴気の化け物に殺された神官や巫女の亡骸を、神力を行使して水の神殿へと転移させた。
夕刻、神殿に戻ったソルとヴィオレーヌは神の間へと向かう。ルシールはセリーヌたち犠牲者を弔う儀式に参加するため、神殿副館へと向かった。本来ならばヴィオレーヌも弔いの儀式へ参加すべきなのだが、神々が光臨しているのでそちらを優先する形となった。
「ソル様、あの瘴気の化け物はいったい何だったのでございましょうか」
瘴気との接触はあまり感じのいいものではなかった。しかし、ソルには感じ取ることが出来たことが幾つかあった。そのうちの一つ、最も質問の答えに近いことをヴィオレーヌに告げる。
「あれは瘴気の塊だ。実体は存在しなかった。それ以上を知るには時間が足りなかった」
「実体が存在しないなんて! あれほどの濃度、大きさの全てが瘴気の塊……」
「その通りだ」
実態が存在しないという事はどういうことだろうか。瘴気の化け物が獣の形を取っていたことは確かである。何かが基になったのだろうか。あの短時間の接触ではそこまで感じ取ることができなかった。ヴィオレーヌは、ソルが告げた事実があり得ないと言わんばかりに驚き、考え込んでしまった。
神の間に到着すると、そこには既にカーリとフリスティナが待っていた。
「ソルさま、お帰りなさいなのです。カーリは見てたのです。ソルさまかっこよかったのです」
「ソル様、カーリの言うとおり神界から拝見させていただきしましたよ。あの化け物がソル様のお力で消滅してから、森に漂っていた瘴気が完全に消え、それにつられて集まっていた魔物も分散していったことが確認できました」
「見ていたか、あの瘴気に直接触れて分かったことは三つだ。一つは実態が存在しないこと。それから、魔力を欲する欲望と神力に対する恐怖」
「魔力を欲し、神力に恐怖する存在。ソル様、それは魔物、魔人の特徴と同じでございます」
実態が存在しないことはこの際置いておこうと考えたのだろうか、ヴィオレーヌの指摘にそのことは含まれていなかった。
「魔物、魔人とは何なのだ?」
「魔物は長期間瘴気に触れた獣が変質したもの、魔人も同じく長期間瘴気に触れた人間が変質したものです」
ヴィオレーヌに代わってフリスティナが簡潔に答える。だが、その答えから新たな疑問が生じた。
「だから特徴が同じになるわけか。ではどうして魔力を欲し、神力を恐れるのだ?」
「そもそも魔力とは、我らが長ルキアノス・ウーニウェルスム・リ・フィナール様が創造された力で、世界の理を歪め、捻じ曲げる力、瘴気とはその歪みを元に戻そうとする存在ですのよ」
ルキアノス・ウーニウェルスム・リ・フィナールは、イースティリア世界の森羅万象を司る神なのであるが、ソルがまだ幼少であったころに、神界でずいぶんと世話になった存在であり、ソルは今でも彼に頭が上がらない。
「そうか、魔力はルキが作った力なのだな。だがそうだとすると、魔力が瘴気の生みの親ということになるが?」
「ええ、そうなります。私たちが加護を与えた存在、神官や巫女は神力を使って、その瘴気を打ち消すことが使命なのです。世界のバランスはそうやって保たれてきました。神力は世界の理を創造破壊する力ですから、魔力のように歪みは生じません」
「それで、魔物は神力を恐れるわけだな。だが、なぜルキはそんな力を創造したのだ?」
疑問が疑問を生み、ソルは質問を続け、フリスティナはそんなソルの疑問に懇切丁寧な答えを返す。
「神力は魂の強度に依存します。人の身で神力の行使に耐えられる者は極僅かなのです」
「なるほど、魔力は魂の強度に依存しないのだな」
「ええ、魔力は精神力に依存し、殆どの人が多少なりとも行使できる力なのです」
魔力や瘴気に関する新たな知識を得ることができたソルは、多少なりとも満足したのであった。
いままで、難しい話ばかりでおとなしくしていたカーリが、ソルの質問攻撃が止んだことに、喜色を浮かべる。
「ソルさまもフリスも、むずかしいお話しは終わりなのです。カーリはたいくつなのです」
「分かった、分かった。カーリ、今日は得難い体験をした。十分満足したからお前の望みに応えよう」
瘴気がなぜあれほど凝縮され、しかも獣の形をとって襲ってきたのかという、最大の疑問は残るが、辛気臭い話ばかりするのはソルの性分ではない。いずれは分かるだろうと、ソルはカーリと共に神殿の外に出るのだった。
外に出ると既に陽は沈み、辺りは暗闇に包まれていた。弔いの儀式はいまだに続いており、神殿副館からは明かりが漏れ出している。
「カーリ、何処に行きたい?」
「えっとね、カーリはソルさまが行くところならどこでもいいのです」
カーリと手をつないだソルは、星が瞬く夜空へと飛び立つのだった。
翌朝、カーリと陽が昇るまで空の散歩を楽しんだソルは、ルシールを連れて城へと戻っていた。
早速エルネスティーヌを捕まえると、朝食を催促し呆れられていたが、本人はそんなことを気に留めるはずも無く、食事を取りながらエルネスティーヌに水の神殿で起こった事件を報告していた。
「――ということだ」
「事情はよく分かりましたわ。セリーヌのことは残念でしたわね」
「ええ、でもソル様のお力でセリーヌの魂とも逢えて、彼女も喜んでおりました。神界での再会も約束できましたし」
朝食を終えると、エルネスティーヌはルシールに王のもとへ行くように告げる。なんでも、今後の身の振り方に関する話があるらしい。ソルは呼ばれていないのだが、することも無いので興味本位で彼女に付いて行くことにした。
ルシールの部下である近衛隊員が守る王の私室、ルシールが近衛隊員に目で合図すると、王から知らされていたのだろう彼は、すぐさま王へとルシールが来たことを取り次いだ。
王の私室はエルネスティーヌの部屋とは趣が異なり、とても質素とは言い難いものだった。高級感漂う机や棚には贅を尽くした調度品が所狭しと並んでいる。
「エルの部屋とはずいぶん違うな」
ルシールと共に王の私室に入ったソルは、ずけずけと思ったことを口にした。
「せっかく献上された物ですからな、使わないと勿体ない」
「マクシム陛下、ご用とは何でございましょうか」
「おお、そうであった。ルシールよ、そなたの役職に関する話だ。近衛隊副隊長の任を解き、ソル様の専属護衛に任ずることとなった。身命を賭して励むがよい」
ルシールは王命を受け、その意味をかみしめるように視線を床に落とした。 そして、再び上げられたその顔は、喜びに満ちたものだった。
「はッ、この身尽き果てようともソル様のお側で尽くす所存です」
このとき、ルシールは恍惚の表情をしており、それを見たマクシムは、最後に余計なひと言を付け足したと悔やむような顔をし、ソルは、ルシールが嬉しいのならばそれでいいと、深く考えることはなかった。
ルシールが王命を受けて用事はもう済んだと、部屋から出ようとしたソルに対して、マクシムは何か思い出したように呼び止めた。
「ソル様、少しご相談があります」
基本的にお人好しな性格をしているソルは、マクシムの相談を聞くことに躊躇がない。
「どうした?」
「娘のエルネスティーヌのことについてなのですが――」
マクシムの話によると、シーシア王家では伝統的に王位継承権一位の者が、成人してから二年間素性を隠して旅に出るしきたりがあるそうで、目的は見聞を広げること、信頼できる平民の人脈を作ること、そして何より身に降りかかる危険を乗り切る判断力、実力を身につけることである。
ところが、現在の王位継承権第一位はエルネスティーヌであり、何事も無ければ次代の王は彼女が務めることになり、シーシア王国建国以来の初の女王が誕生する。今までは旅に出るのが王子だったため、ほとんどの場合無事に乗り切ることができたが、いくらエルネスティーヌに実力があると言っても、親としては女の身で旅に送り出すことが心配であるという。
しかしながら、このしきたりを反故にしてしまうと、貴族や国民からの信頼を失いかねない。エルネスティーヌ自身は旅に出ることに対して、危機感を持つどころか、楽しみにしているらしいので、旅の中止はあり得ないとのことだった。
そこで、この旅に同行してもらえないかというのが、マクシムの相談内容であった。ソルとしては自由に行動したいと考えているので、それでもいいのかと問えば、マクシムの返事は、エルネスティーヌが納得すればそれでもいい、嫌がればその時は諦め、近衛隊から護衛を選抜して付けるとも言った。
父親と口げんかしてイースティリアに落とされ、エルネスティーヌと出会った。元々目的があったわけではない。しかし、エルネスティーヌやルシールと行動を共にしたことで、人とのかかわりに興味を持ち始めていたことも、ソルの気持ちを後押しした。父親の言いつけに従ってしまうことになるが、もうそんなことはどうでもいいと思っている。だからマクシムの希望通り、彼女と旅に出ることにした。もちろん将来の嫁も探すつもりでいるが。
エルネスティーヌはソルが同行することを嫌がっていたのだが、マクシムの執拗な説得に折れた形となった。ただし条件として、ソルにある程度の一般常識を覚えてもらうという事を飲んでもらった。教師役はカーネルが務め、ソルは旅の前日まで割り当てられた自室に籠ることになったのである。
ソルがマクシムの相談に乗って二〇日後の夜明け前、エルネスティーヌは一六の誕生日をむかえ、成人となった。今、彼女の部屋では旅の準備を整えた一団が、出発前の確認をしている。
ソルはもともと目立ちすぎる容姿をしているので、目立たないように髪と目の色を一般的な焦げ茶に変え、服も目立たない綿の上下に皮のベストを着て片手剣を腰に差した。
「ソル様、凛凛しゅうございます」
一種のフィルターがかかるとでも表現すべきなのだろうか、ルシールがソルを見る場合は、彼がどんな姿でどんな服装をしていようが、彼女の眼には凛凛しく格好よく映るようである。
そんなルシールは、長かった透きとおるような銀髪をバッサリと切って、軽いウェーブの入った明るい茶色のショートボブに、瞳はソルと同じく焦げ茶色に変え、服装はベージュのパンツに白い長袖シャツ、皮のベストに片手剣装備だ。
エルネスティーヌは長かった金髪をこれまたバッサリと切って、サラサラの薄いオレンジ色に、エメラルドグリーンだった目の色は青みがかった黒に変え、黒のパンツに濃いモスグリーンのフード付きローブと、木製の長い杖をもった。彼女ら二人の髪と目の色はソルが神力を使って変更しているので、いつでも元に戻すことが出来る。
「ソルさま、ソルさま、カーリも見てほしいのです」
ソルたちが旅をする事を知ったカーリは、わたしもついて行くの一点張りで、強引に仲間に加わった。そんなカーリは白かった長い髪を短くして淡いブロンドに変えている。ただし、服は以前のままで、半袖の白いワンピース姿だ。
「ああ、カーリ可愛くなったな」
「ぶぅー、ソルさま、きもちがこもっていないのです。カーリは悲しいのです」
カーリのことをチラ見しただけで軽く答えたソルに、カーリは拗ねてしまった。ように見える。しかし、これはカーリがソルに構ってもらおうとする常套手段で、実のところカーリがほとんど気にしていない事をソルは知っている。
「服と髪型はこれで問題ないですわね。あとは、お互いの呼び方なんですけど、わたくしのことはエルと呼び捨ててくださいまし」
「それなら、俺もソルと呼び捨てでいいぞ」
「わたしは、カーリのままでいいのです。かぜのしんでんのみんなはウェントゥスさまって呼んでるから」
「では、私のことはシーと呼んでください。ですが、ソル様を呼び捨てることだけはできません」
全員が呼び捨てを了承したのだが、ルシールがソルのことを呼び捨てには絶対に出来ないと力説していた。
「そうですわね、ルシールとソルは夫婦みたいなものですから、呼び方は今のままでもよろしでしょう」
「ぶぅー、シーちゃんだけズルいのです。だったらカーリはお兄ちゃんと呼ぶのです」
好きに呼ぶがいいさ。とはソルの言である。こうして互いの呼び方が決まったところで、ソルたちの旅が始まるのだった。