第四話:水の神殿
湖の最奥、湖面に浮かぶ白い巨大な建造物の前方には、二〇mを超える二列の石柱が湖面より立ち並び、その間を進むと石の階段の向こうには、門衛を思わせる二体の巨大な石像が神殿の入り口を守るように立っている。ソルを乗せた小舟が湖から延びる石の階段に横付けされた。
「ソル様、到着いたしました」
小舟から降り立ったソルは階段を上がり、眼前にそびえる白い神殿の中へと歩いて行った。
中に入ると、奥には半円形に水が湛えられ、フリスティナであろう水の女神像が両手を水面につきしなだれるように横座りしている。その前方に透明感のある白ーいケープをまとった、しなやかな水色の長い髪の女性が両手を胸の前で組み、頭を垂れていた。入り口から頭を垂れる女性までの間には、両脇にずらりと並んだ神官や巫女が、同じく両手を胸の前で組んで頭を垂れている。
「ソル様にございますか?」
ソルの前に進み出たルシールが両手を胸の前で組み、頭を垂れて答える。
「ソル・ニート・フィリア・ラ・フィナール様にございます。ヴィオレーヌ様」
「フリスティナ様は既にご光臨あそばせ、神の間にてお待ちでございます。ソル様もルシール様もこちらへ」
ヴィオレーヌは笑みを浮かべて二人を誘おうとするが、ルシールはヴィオレーヌに様付けされたからであろう、焦りの表情を浮かべた。
「ヴィオレーヌ様、私みたいな女にそのような、勿体のうございます。いつものように呼び捨ててくださいませ」
「あら、ルシール様はすでに私よりも格上になりますのよ。なによりソル様の妻となられる方を呼び捨てなど恐れ多いことにございます」
ヴィオレーヌを前に恐縮しきりだったルシールは「ソル様の妻」という言葉を聞いた途端、頬を染めたのだった。
そんなルシールを見てヴィオレーヌは、うふふ、と笑う。
「まぁ、ルシール様は本当にお幸せそうですわね」
神殿の最奥にある神の間は意外と質素で、さほど広くない部屋の中を、淡いクリーム色のカーテンで円形に仕切られたものだった。カーテンをめくって中に入ると、床にはふかふかの白い絨毯の上に、大きなクッションが丸く配置され、そこには一人の少女と一人の美しい女性が座っていた。ふわふわとカールしたボリュームのある淡い水色の髪には、花をあしらった紺色の髪飾りを付け、水のしぶきを連想させるゆったりした服の下からは、豊満な胸が自己主張している。そんな女性がソルを見上げていた。
「ソルさまー、ようこそなのです。さっきからフリスと待っていたのです。その人はだれなのですか?」
カーリがソルの後ろに付いて入ってきたルシールを見上げて首を傾けている。
「待たせたようだな。ああ、これは俺の嫁候補ルシールだ。覚えておけ」
「わたしはカーリ、これでも風の女神なのです」
「フリスティナ・アクア・リ・フィナールです。よろしくね、ソル様の花嫁さん」
「る、ルシール・トゥレイス・ル・ベクレルと申します」
紹介されたルシールは二人の女神を前にして、恐れ多くも、もじもじと恥ずかしそうにしていたが、なんとか自分の名前を名乗ることができたようだ。
「ソル様、ようこそおいで下さいました。本来なら私が出向かなければなりませんのに、お呼び立てしてしまい、まことに申し訳ありません。今日は折り入ってご相談したいことがあるのです」
「気にするな、これでもこの世界を楽しんでいるんだ。瘴気がどうとか、カーリが言っていたが」
「ええ、少し困ったことになっておりまして――」
フリスティナによると、水の神殿から山へ向かって森を進むにつれ、瘴気が濃くなってきているという。その瘴気に釣られてか、魔物が森に集まってきており、水の神殿の神官や巫女たちが、その原因を突き止めようとしているそうだ。すでに水の神殿から選抜された者たちで調査隊を組んで調査に向かっているが、今のところ原因は掴めていないらしい。
ここイースティリア世界では基本的に、神の立場にある者が人に干渉することは、加護を与えること以外は行われていないそうである。これは、創造主の方針らしく、フリスティナやカーリをはじめ、イースティリア世界を司る神々は、基本的に創造主であるソルの父親の僕であるので、その方針に従っている。
フリスティナが神の力で原因を探り、それを排除ししてしまうことは容易いことであるが、創造主の方針に逆らうことは基本的には考えていないらしい。これは他の神々も同じであるという事だった。
ところが、今回の事態は下手をすると、イースティリア世界が多大な混乱に陥る可能性が高いらしく、創造主の方針に逆らってでも人に手を貸そうかという意見が、神々の間で出はじめているそうである。
フリスティナがソルに持ちかけた相談を要約するとこんなところであった。
「そんな方針に従うことはない。俺が許す。と、言いたいところだが、あのクソ親父は意外と根に持つタイプでな、下手をするとお前たちが処分されかねん」
うんうんうなってひとしきり考えたソルであったが、自分なりの結論が出たようだった。何か吹っ切れたように顔を上げると、立ち上がって二人の女神に自分の考えを告げる。
「よし、ここは俺が一肌脱いでやろう。お前たちは神界で高みの見物でもしているといい」
「ソル様が直接動かれるなど、なんと勿体ない。ソル様のお手を煩わせるくらいなら、私が処分される方がまだましです」
ソルに相談を持ちかけたのはフリスティナなのであるが、彼女はあくまで相談するだけと考えていたようだ。よりにもよってソルがこの問題の対処を、自ら買って出るなどとは考えてもいなかったのだろう、慌ててソルに翻意するよう促したのだが、ソルの性格からしてそれは成らなかった。
「フリスティナ、気にすることはない。俺はやりたいようにやると決めている。それに、この世界にも興味が出てきたところだ。瘴気に魔物か、きっと俺を楽しませてくれるだろさ。もし親父が何か言ってきたらその時はその時だ。俺が何とかしてやるさ」
このとき、ソルの表情は面白い玩具でも見つけた子供のようであった。
「ソルさま嬉しそうなのです。ソルさまが喜ぶとカーリも嬉しいのです」
カーリはフリスティナほど深い考えは持っていないようで、単にソルが嬉しそうにしていることを喜んでいる。
「ははッ、カーリはいつも元気だな。よし、では早速森の奥に行ってみるか」
そう言ってソルが神の間を出ようとすると、カーリが慌ててソルを引き留めた。
「ソルさま、ソルさま、待つのです。ソルさまはせっかちなのです。今日はカーリたちと楽しむのです」
「カーリの言うとおりですよ、ソル様。神殿の者たちが宴の準備をしております。今宵は存分にお楽しみになって下さいませ」
さぁ行くぞと気合を入れたところでカーリに引き留められ、出鼻をくじかれた格好になったソルであったが、宴と聞いてその表情は一変した。ニヤリと笑みを浮かべると、後ろにいたルシールの肩に腕を回し、フリスティナの手を取って立ち上がらせる。
「そういうことなら、厚意に甘えるとしようか」
カーリはソルたち三人の周りをぐるぐると走り回りながら喜ぶ。
「やったー、やったー、ソルさまと宴、ソルさまと宴」
宴は神殿横の建物にある広間で行われた。ソルを上座にして両脇にフリスティナとルシールが座り、カーリは胡坐をかいて座っているソルの足の上だ。ヴィオレーヌがソルの正面に座り、その横に並ぶように巫女や神官の上位者であろうか、神気の強いもの男女二名ずつ座っている。その後ろには下位の者たちであろう神気の弱い者たちが多数伏していた。
「絶対神ソル・ニート・フィリア・ラ・フィナール様、水の女神フリスティナ・アクア・リ・フィナール様、風の女神カーリ・ウェントゥス・リ・フィナール様、そして、ソル様の奥方候補ルシール・トゥレイス・ル・ベクレル様、我々下々の者が元へとご光臨あそばせ、恐縮至極に存じます。今宵は存分に宴を堪能くださいますようお願い申し上げます」
ヴィオレーヌが口上を述べると、ソルが少し不機嫌な顔でこう言った。
「俺は堅苦しいことが嫌いだ。全員顔を上げて楽にしろ。せっかくの宴だ、今夜は皆で楽しむぞ」
ヴィオレーヌがソルの言を聞いて顔を上げると、他の神官や巫女たちが恐る恐る顔を上げる。それを見たソルはニカッと笑顔を見せた。彼、彼女らはそんなソルを見て安心したのだろう、こわばっていた表情が和らいでいった。
宴が始まると、ソルはとたんに上機嫌になる。出される料理や酒を美味い美味いとことごとく平らげていった。ルシールは酒や料理に殆ど手をつけず、ソルを見つめることに専念している。カーリは幼い見た目とは裏腹にがぶがぶと美味しそうに酒を飲み、料理には殆ど手を付けていない。フリスティナはソルの横でおとなしくしていたが、ヴィオレーヌと共に席を外して何処かへ行ってしまった。
ソルとカーリは人ではないのでいくら酒を飲んでも酔うことは無いのだが、初めのうちは上品にしていた神官や巫女達は、酒が回ってきたのか次第に陽気に話し始め、時間と共に宴は盛り上がってくのだった。
「カーリ、フリスティナは何処へ行った?」
「えーっとね、ヴィオレーヌちゃんとね、あっちにいったのです」
カーリは神殿の本館を指差すと、また酒を飲み始めたのだった。
「どれ、ルシールお前も来い」
ソルは神殿本館の方へと歩きだし、ルシールはその後を追うように続いた。
本館に入ると、奥の水を湛えた女神像の前でフリスティナとヴィオレーヌが話し込んでいる。
「宴を抜け出して何かあったのか?」
「ソル様、お気を使わせてしまい申し訳ありません。実は――」
フリスティナによると、調査に出した神官の一人が這う這うの体で逃げ帰ってきたという。彼の話では自分以外の調査隊は恐らく全滅したとのことだった。恐らくというのは異常な瘴気に包まれた調査隊が、もがくようにばたばたと倒れ付し、這いずりながらもかろうじて逃げ帰った神官は、そこまでしか見ていないからだという。
「神気を纏った神官たちが瘴気で倒れふすとは考え難いのですが、余程瘴気が強かったということでしょう」
自分で言ったことが信じられないのだろうかヴィオレーヌは、思案顔でフリスティナとソルの顔を見ている。
「分からん事が多すぎるな。すぐに調べに行くか?」
「ソル様、動くのは日が昇ってからのほうが宜しいでしょう。瘴気や魔物、それに森に詳しい者をお付けいたします」
「まぁ、そうしたいのなら仕方が無いな。俺は一人でも構わんのだが」
ヴィオレーヌはソルのことを心配しているのか、それとも、ソル一人で行かせることに気が引けているのか、ソルが絶対神であることを考えれば恐らく後者であろうが。
明朝、ソルはルシールとヴィオレーヌを含む神殿の者数名を引き連れて森に入った。引き連れてといっても先頭を歩いているのは森に詳しい神官なのであるが。フリスティナは反対していたが、ヴィオレーヌは神殿に勤める者の中で自分が一番神力が強いからと言って引かなかったのである。
神官を先頭に森を歩くこと半日、前調査隊が瘴気に包まれた場所までたどり着いたソルの眼前には、物言わぬ躯となった神官や巫女が倒れ付していた。