最終話:帰結
白い光で満たされたマクシム国王の執務室で、ソルの胸に飛び込んできた物体は、さらさらとした純白の長い髪と白いワンピースを着た幼い少女であった。
「誰かと思えばカーリか。どうした?」
「大変なのです。大変なのです」
執務室を満たしていたまばゆい光が収まり、ソルの胸に抱かれる格好のカーリは、ただ「大変です」の一点張りで要領を得ない。ソルは慌てふためくカーリを落ち着かせようと、そっとその白く長い髪を撫で、諭すように理由を聞いた。
「大変なのは分かった。カーリよ何があったんだ?」
「メリッサが、ディノスが、アレクが消えちゃった……」
そう言ってしゅんと項垂れたカーリ。
「風神カーリ様、今仰ったことは真ですか! まさか、火神と時神と地の神がお消えになったと……」
国王マクシムは信じられないといった表情で、ソルに抱かれるカーリに確認をとるが、カーリの反応はただ頷いているだけであった。静まり返った執務室では、ソルを除いて皆呆然として言葉が出ないようであった。
「カーリ、どいつにやられたんだ? ほかの神たちは今も戦っているのか?」
いつでも元気一杯だったカーリの、あまりの動揺と落ち込みように、ソルは優しく丁寧に状況を聞いて行く。カーリもソルに会えた安心感だろうか、強張っていた表情も次第に和らいでいった。
カーリの説明によると、世界各地で魔獣の襲撃が同時多発的に勃発し、その収束が見えてきた直後、事態を憂慮して集結していた十一神が凶悪な力を持った巨竜に襲撃されたらしい。ソルはここまで聞いて事態の全容がほぼ掴めていたのであるが、確実を期すためにカーリに説明を続けさせた。
今はイースティリア世界十神の長ルキアノスが、残った神々の助力を得ながら、襲撃してきた巨竜を何とか食い止めているが、このままではいつまで持つか分からないというのがカーリの説明であった。ルキアノスの意向もあるが、ソルはイースティリア世界の神々の成すことには頼まれでもしない限り、不干渉を決め込んでいたのであるが、事態の大きさと、何より怯えているカーリの心情を察して、この事態に関わることにした。
「俺の力が必要か? ルキや親父のことは気にしなくていいんだぞ」
そう問われたカーリは、言い難そうにしていたが、やがて意を決したようにソルを見つめると、思いのたけをぶつけてきたのであった。
「お願いなのです。ソル様、ルキを、みんなを助けてくださいなのです」
「分かった。その巨竜とやらを消し潰してやろう」
ソルは、イースティリア世界の創造神であるソルの父神やルキアノスの意向に背くと知りながらも、必死の思いでソルに思いのたけをぶつけたカーリを優しく撫でた。そして、抱いていたカーリを下ろすと、執務室に集まっていた者たちに向かって顔を上げる。
「今からカーリを苛めた巨竜を始末してくる。マクシム王よ、俺が帰るまで城にいる者たちの外出を控えさせよ。それから、カーリはこの城に出来るだけ強力な結界を張ってくれ。頼んだぞ」
「ソル様のご命じになった通りにいたしましょう。ですが、この国の民たちは大丈夫なのでしょうか」
「心配するな。残った神たちに守らせよう。ルシール、エルネスティーヌ、そしてロヴィーサ、お前たちもこの城からは出るな」
そう言われた三人の女たちは、この時ばかりはただ大人しく頷いていた。
「では行くとしようか」
その瞬間、ソルは王の執務室から忽然と姿を消したのだった。そして次の瞬間、紫炎を纏う巨竜に対峙しているルキアノスと、その後ろで祈るようにルキアノスに神力を送り込む六柱の神たちの間にソルは出現する。その空間はイースティリアの大地を遥か下方に見渡せる漆黒で、ルキアノスと六柱の神たちはソルの出現に驚いてはいるようであったが、既に息も絶え絶えで言葉を発することは無かった。そして巨竜はといえば、とくに驚いた様子もなく、ただ、ソルの様子を伺っているようであった。
「さすがだな、絶対神。神力と歪なる力を融合させし我を前にしてその落着き様。貴様気付かせるためにわざわざ傀儡に襲わせ、こうして哀れな神どもと戯れて待っておった甲斐があったわ」
「ルキ、力は残っているか? お前の意向には背くことになるが、このトカゲは俺が始末することにした。お前と残りの者たちは世界に結界を張れ」
「そ、ソル様っ…… 不甲斐なき私をお許しください。我らの存在にかけてイースティリア世界の盾となりましょう」
巨竜のセリフを完全に無視してルキアノスらに命を下したソル。その様子を怒りに打ち震えるように見下ろしていた巨竜から、おぞましい咆哮とともに紫炎のようなその巨体から瘴気があふれ出した。
「我存在など歯牙にも掛けぬというか! それもよかろう。世界中に散らばる歪なる獣どもより抽出した力。三柱の神を構成せし力。その全てを我力と成した今、貴様なぞ我足元にも及ばぬということを分からせてくれよう。絶対神よ」
「ごたごたうるせぇ! それほど自信があるなら俺を消飛ばして見せろ」
「言われるまでもない」
荒ぶる巨竜は、その巨大な口を広げ、その先には紫炎と眩いばかりの光が混沌と融合した十メートルは有ろうかという巨大な球が出現した。そして次の瞬間、つんざくような咆哮と共にソルへと向けてそれは放たれたのだった。
しかし、迫り来る脅威に対してソルは微動だにしない。それは、驕り高ぶる眼前の歪んだ存在に、いくら足掻こうが、どう足掻こうが、どうしようも無いほどに圧倒的な力、次元の違う力の存在を知らしめるための行動であった。
巨竜の攻撃がソルを直撃する。その瞬間、漆黒の空間は不可視の光に満たされ、その中を幾条にも別れた紫炎がイースティリアの大地へと向かっていった。しかしその紫炎は大地に届くことは無い。ルキアノスらが懸命に張る結界に着弾して、その全てが消失していく。
光が消え去り、辺りに暗闇が戻った後には、まるでそよ風を浴びたかのようにたたずむソルと、その表情からは窺い知れないが、目の前の光景を受け入れることができないでいるような巨竜の姿が浮かび上がった。
数瞬を置いて覚醒したかのように巨竜に動きが戻る。広げていた翼を閉じ、全ての力をその口元に凝縮しているのがソルには容易に理解できた。次の瞬間、大きく仰け反った巨竜は反動をつけるようにソルへと向けて咆哮を放った。そしてその咆哮には、凝縮された圧倒的エネルギーが青白い光の形態をとって乗せられていた。
巨大な一筋の青白い光の柱がソルへと向かって突き進んでゆく。そしてその光はソルへと殺到すると、巨大な線香花火のように、幾条もの光を辺りにまき散らし、後方の大地を避けるようにして宇宙へと拡散していった。
その後には無傷で平然と宙に佇むソルと、それを上方から見下ろす巨竜が残った。もちろんルキアノスらとイースティリアの大地には一条の光も届いていない。
「それがお前の全力か? 出し惜しみは破滅を招くぞ」
巨竜による二度の攻撃を受けた時、ソルは何もしていない。防御結界も張らずに巨竜の放つ攻撃に身をさらし、その圧倒的な存在のみによって受け切って見せたのである。そして、ソルが観測していた
巨竜の余力はもうほとんど残っていなかった。
「愚かだな。最初の一撃に全力を使わないからこういうことになる。お前が最初から全力で挑んでいれば…… まぁそうだな、この俺に傷の一つでも付けることが出来たかもしれない」
「ぬぐぐぐぐぅ、よもや我力がまるで及ばぬとは…… 貴様の存在はそれほどというか。だが、我は滅びぬ」
捨て台詞を残して亜空を開き、逃げ込むそぶりを見せた巨竜に対して、ソルはそれを許すことは無かった。軽く右手人差し指を居留に向けると、巨竜の周囲に漆黒の輪が形成される。その輪は暗黒の宇宙空間に溶け込み、視認することは難しいが、どれほどの存在であっても抗えないような力が込めてあった。輪から溢れ出る圧倒的な力が巨竜によって開きかけた亜空を閉じていく。巨竜に至っては力に圧倒されて身動き一つとれないようである。
「声も出せんか。ならば、それがお前の実力だという事だ。己の力なさを恨んで消え去るがいい」
その言葉と共に漆黒の輪がその径を狭めてゆく。そして、巨竜の体躯に触れた瞬間。上下に広がるように巨竜を覆っていった。やがてその闇は急激にその体積を減じ、小さな点となって消滅した。巨竜は全ての世界からその存在を消し去られたのである。
このときソルは大きくなり過ぎた自分の力を実感したのであるが、よくよく考えるとそれでもまだ父親の存在する力には至っていないことも理解していた。
「ソル様、お見事でございました。このルキアノス、己の不甲斐なさ、小ささを知り、また、ソル様のお手をわずらさせてしまった事、 慚愧の念に堪えませぬ。我身の処遇、いかようにもなさ
いますよう……」
「ルキ、難しい言葉を使うな。お前がいくら恥じ入り、恐縮したところで俺は何とも思わん。せいぜいこの地の民と、カーリに恨まれぬようその力を使う事だ」
「ハッ!」
こうして、圧倒的な力を見せつける形で巨竜を消し去ったソルは、ひれ伏すルキアノスらを返り見ることもなく、エルネスティーヌやルシールたちの待つ王城へと帰還していったのである。
王城に戻ったソルは、女たちとしばらく城で優雅に暮らしていたが、国の復興にかかりきりのエルネスティーヌを残して、ルシールにロヴィーサを連れ、再び旅路へと戻って行った。
そして、二年の間にシーシア王国全土を回ったソルは、その間にも嫁候補となる女を増やし続け、復興を終え旅へと復活したエルネスティーヌを呆れさせたのである。
エルネスティーヌが戻った後はシーシア王国出て、外国へと旅の足を延ばしたソルは、十年の歳月を経てイースティリア全土を回りきった。エルネスティーヌは約束通り旅を再開して二年の時点で王城へと戻り、次期国王としての足固めを進めていった。そして、ソルが旅を終えたのと時を同じくして国王の位へとついたのであった。
十年の旅を終えたソルは、嫁候補となった女たちと共に、シーシア王国国王となったエルネスティーヌに譲り受けた大邸宅で五十余年を過ごすことになる。そして、イースティリア世界で最初に見初めたルシールの人間としての死を以って、彼女の魂を連れて神界へと戻ったのであった。
それから七年の後、死を迎えたエルネスティーヌにも神界で共に暮らすことを誘ったソルに対して、彼女の言はこうであった。
『死してまで貴方と行動を共にするつもりはございませんの。わたくしは転生して新たな生を楽しむことに致しますわ』
転生を選んだエルネスティーヌはその後数回の人生を人としてやり直すことを選択していた。ソルは彼女が死ぬたびに、その魂にエルネスティーヌであった頃の記憶を蘇らせては共に暮らすことを提案し続けたのである。
そして、その甲斐あってかどうかソルには分からなかったが、ソルが神界に戻って千と数十年がたったころ、とうとうエルネスティーヌがソルと共に暮らすことを選んだのであった。この時、ルシールは既にソルの正妻の座を射止めており、ソルの息子を身ごもっていた。
そして、ソルは息子が生まれたことを切っ掛けとして、新たな世界を創造し、その世界の最高神にエルネスティーヌを任命したのである。これは、神界での退屈な生活にすぐに飽きてしまったエルネスティーヌが、新しい世界を作るのならその世界に行ってみたいと申し出たことが切っ掛けであった。
今はエルネスティーヌが司っている新たな世界を創造して五千年の時を経たある日、成長し透き通るような銀髪を風に揺らす息子に向かって、ソルは昔父親に聞いた懐かしい言葉を送ったのであった。
「人の世を、その理を、裸一貫、一から学んで来い」
(了)




