第三十五話:急転
サヤンデの街を出発した翌日。
道中一泊の行程でソルたち一行はアネトラレイルの港町に到着した。サヤンデを突破した走竜は二頭だったようで、アネトラレイルの傭兵やハンターが協力して倒したそうである。死者が三名ほど出たが、それでも被害は少ない方だとは、ソルたち一行が宿泊することになった宿の主の言であった。
アネトラレイルに到着したのは夜の遅い時間であったため、そのまま宿で夕食を頂いて一夜を明かすことになったのだが、サヤンデの街でご馳走に有り付けなかったソルは、美味いものを食いに行くと駄々をこねてエルネスティーヌを困らせたのだった。しかし、宿屋の主の「こんな夜分にやっている店なんてどこにもありませんよ」の一言で、ソルはしょんぼりと肩を落として部屋へと引き上げる。そして、その鬱憤を晴らすかのごとくルシールとの激しい一夜を過ごす。しかし、ルシールはソルのあまりの激しさに臆するどころか、逆にその体を酷使されて喜びのあまり何度も再戦を挑んできたのだった。
そして翌朝。
港町アネトラレイルはその本領を発揮するかのごとく活気づいていた。漁師たちの朝は早い。港には日の出前から大量の魚介類が水揚げされ、市が開かれている。新鮮な魚介目当てに大勢の仲買人や商人たちが押し寄せ、さらにその人々の胃袋を満たすために、港と市の周辺には新鮮な海の幸を売りにした様々な食事処が軒を並べていた。
ソルたち一行は、エルネスティーヌお勧めの魚料理が食べられる店を宿の主に紹介してもらい、朝も早くからそれを楽しむためにその店に押しかけていた。
「早朝から出張った甲斐が有りましたわね。獲れたての新鮮な魚料理がこれほど美味だとは思いもしませんでしたわ。これを食せるだけでもここに来た意味がありますわ」
出された料理はアネトラレイル名物の高級海鮮鍋なのであるが、エルネスティーヌなどの王侯貴族やそれに近い位置で働いていたルシールなどは、大勢で一つの鍋をつつくというような食事法は初めてだったようで。しきりに「こういった食事もいいですわね」と感心していた。ロヴィーサは鍋自体は食べた経験があるらしいが、こういった高級鍋は初めてらしく、しみじみとその味を噛みしめているようだ。ソルに至っては三人の様子などお構いなしに高級海鮮鍋を堪能している。
しかし、ついさっきまで鍋のあまりの美味さに感動しているように見えたロヴィーサが、不思議そうな顔をして視線を一点に向けていた。
「ん? どうしたロヴィーサ。もう食べないのか?」
「い、いえ。あそでとてもお美しいご婦人が手を振っていらっしゃるように見えるのですが」
ロヴィーサの視線の先を確認したエルネスティーヌとルシールは、見てはいけないもを見る世な表情で脱力した。
「なんだヴィドか」
こっちに来いと手招きをしたソルに、微笑みを浮かべて手を振っていたヴィドが歩み寄ってくる。今日は侍らせていた僕たちは連れていないようだ。
「ソル様~、少しお話がありますの。とぉっても~大事なお話なので、お食事が終わったら場所を変えて頂けませんか~」
脱力したような話し方で大事な話がると言ったヴィドに、ソルは一言だけ「分かった」と言って、俺の食事を邪魔するなと言わんばかりに無関心なそぶりでひらひらと手を振った。
「んもぉ~、ソル様のイケずぅ。分かりましたわ。外で待ってますからね~」
いじけたそぶりを見せて店の外に出ていったヴィドに、ロヴィーサは「いいんですか?」と、心配げな表情でソルに聞いていたが、ソルは「あいつはああされたほうが喜ぶんだ」と気にもしていない様子だった。ロヴィーサはソルの言った意味が理解できないのだろう。頭上にハテナマークを沢山浮かべるかのように不思議がっていた。
早朝から海鮮鍋という重い朝食をとったソルたち一行は、ヴィドが現れたこともあり、宿へと戻ってヴィドの話を聞くことにした。皆でソルの泊まる部屋に集まり、さっそくヴィドの話を聞き始めた。
「サヤンデが魔獣に襲われたことはお気づきですよねぇ。実はですね、わたくしぃ、怪しいと思ってぇ調べてみましたの。そしたらぁ、国中のいたるところでぇ、おんなじことが起こっていましたのよぉ」
その言葉にエルネスティーヌが喰らいついた。ヴィドに食って掛かるかのごとく詰め寄っている。
「なっ、なんですって! 国中と申されましたがそれはシーシア王国の事ですの」
「あらぁ、そんなに慌てないでいただけますかぁ。王女ともあろうお方がお下品ですわよ~」
「今はそんなことを言っている場合ではありませんの。で、どうなんですか?」
「もちろんシーシア王国ですわよ。でもぉ~、ほかの国もおんなじなのぉ」
ヴィドによれば魔獣の襲撃は、このイースティリア世界全土で起こっているそうである。魔獣に襲撃されて武力が十分あった街や国などは何とか持ちこたえたが、そうでない国や街などは壊滅的な損失を被っているらしい。
「こうしてはおれませんわね。旅は一旦中止して一度城に戻りますわよ。ソル、よろしいですね」
「ああ、構わんが、どうやって戻る? 急ぐのなら俺が転移させてやってもいいぞ」
「それは有り難いですわね。今すぐやっていただけますか? 貴女たちも宜しいですわね」
口調はいつも通りだが、明らかに動揺しているエルネスティーヌにルシールとロヴィーサが頷いた。そして、それを確認したソルがヴィドと一行を連れて王城のエルネスティーヌの部屋へと転移したのだった。魔法での転移ではなく神力を使った転移なので、詠唱もなしに突然部屋の様子が切り替わったことにルシールとロヴィーサが驚いていたが、エルネスティーヌは転移したと同時にドアを開け放って部屋から飛び出していった。
「あの様子からすると、そうとう慌てているな」
「それはそうでしょう。エルネスティーヌ様は仮にも一国の王女、それも次期国王が確約されたお方なのですから、まずは何よりも自国のことを心配なさっているはずです」
このとき、王国の危機を知ったルシールは久しぶりに騎士としての凛凛しい表情を取り戻していた。
「私たちも参りましょう。エルネスティーヌ様は恐らく国王のもとへと向かったはずですから」
「そうだな、あの様子だとすぐにでもこの城をも飛び出していきかねん」
ソルとロヴィーサ、それにヴィドはルシールに引き連れられて国王の執務室へと向かった。その執務室ん大扉の向こうからはエルネスティーヌの声が聞こえている。ドアの前には衛士が二名立っていたが、ルシールが頷いて合図を送ると、さっと大扉の前から退いた。そして、ソルは気兼ねすることもなく大扉を開け放つと、躊躇することもなくその中へと歩を進め、残る三人もそれに続いた。中では国王マクシムに、エルネスティーヌが詰め寄るように国内の状況を聞き出しているところであった。
「――今は呑気に旅などしている場合ではありませんの。国の状況を詳しくお話し頂けませんか」
「エルネスティーヌよ、お前の心配は分かるが…… おお、ソル様にルシール、よう戻られた」
「お父様! 今はわたくしの質問にお答え下さいまし」
執拗に食って掛かるエルネスティーヌに国王マクシムはタジタジになっているようであった。
「エル、国王は困っているようだぞ。少し落ち着いたらどうだ」
「ソル様は黙って下さいまし。今は非常事態ですの」
このとき、ソルとしては珍しく、慌てているエルネスティーヌにやれやれと手のひらを上に、両手を軽く広げて呆れて見せた。ルシールはいつもの通りソルの横にいて、表情を殺しているが、ロヴィーサは遥か雲の上の身分の高い人物――ソルとヴィドは人ではないが――に囲まれて、オロオロと落ち着かないようであった。
「そう焦るな。ところで国王よ、今のシーシア王国の状況はどうなのだ?」
ソルとしてはエルネスティーヌの援護射撃をするつもりは無かったが、聞きたいことは同じことだったようで、結局のところ援護射撃をする形になっていた。国王マクシムも、さすがにソルに聞かれれば答えないわけにはいかず、国内の状況を話しはじめる。
「分かりましたお話ししましょう。現時点で把握していることになりますが――」
国王マクシムによると、武力がたまたま集中していた都市や街などは何とか持ちこたえたが、そうでない都市や小さな町や村などは壊滅的な損失を被っているらしい。サヤンデ近辺はたまたま傭兵が多数いたせいで住民の犠牲がほとんど出なかったが、ほぼ全滅した都市もあるそうである。ヴィドの報告とかぶるが、その損失は人名に限れば十万人を超える規模になっているそうである。シーシア王国の人口が五十万人程度だという事を考えれば、実に人口の二割を一日で失ったことになる。エルネスティーヌはその惨状に絶句し、力なくペタンとその場で床に崩れ落ちたのだった。
「ひどい…… ですわね。ですが、このままじっとなどしていられませんわ。お父様、既に手は打っておいでですわよね」
座り込んでしまったエルネスティーヌは、そう言って奮い立つように立ち上がると、国王マクシムに詰め寄ってその手を握りしめた。娘に手を握られてすがるような瞳で言い寄られた国王マクシムは「落ち着きなさい」と優しくエルネスティーヌに囁く。
「エルよ、今は城勤めの全ての王国騎士と隊長以外の近衛を対応に向かわせておる。だから安心しなさい」
「分かりましたわ。取り乱して申し訳ありません。お父様」
ようやく落ち着いたエルネスティーヌは、国王マクシムから離れると、ソルに向き直って意を決したように話しはじめる。
「ソル様、聞いて下さいまし。当分の間旅は中止致します。わたくしはこの城で自分にできることを致しますわ。ですからソル様はどうぞご自由になさってくださいまし」
「分かった。しばらくはこの城にまた厄介になるが、その後はまた旅に出よう。俺はお前をいつでも歓迎するから、旅を再開するときは連絡を寄越せ。いいな」
「ええ、分かりましたわ。いつになるかは分かりませんが旅は必ず再開いたします。その時はまたご一緒させてくださいまし」
ソルとエルネスティーヌの話を満足そうに聞いていたマクシムは、二人の話が終わると、この場にいた全員をねぎらうかのように「今は旅の疲れを癒してくれ」と、部屋に戻るように勧めたのだった。
そして、ソルたちが取り敢えずエルネスティーヌの部屋に戻ろうとしたその時。
唐突に国王の執務室が白い光で満たされたかと思うと、ソルの胸元に小さな塊が飛び込んできたのであった。




